TidBITS: Apple News for the Rest of Us  TidBITS#1024/19-Apr-2010

TidBITS は今日で 20 歳になる! 象2頭分の超特大号で、それを祝いたい。まず Adam が TidBITS を何がこれほどスペシャルなものにしたのかと考察し、スタッフメンバーたちがそれぞれ TidBITS にどのようにして加わったのかを物語る。それから、Macintosh 業界の友人たちから数え切れないほど多くの便りが届き、それぞれに思い出を語ってくれた。そうそう、20 周年記念として $200 相当の iPhone、iPod touch、または iTunes Gift Card が当たる抽選もあるのでお見逃しなく! でも、すべての記事が思い出にふけるためだけのものではないのでご安心を。Adam は大規模ネットワークで iPad に DHCP 関係の問題が起こっていることを説明し、Doug McLean は Adobe Creative Suite 5 の新機能をまとめて紹介する。それから先週出た MacBook Pro シリーズの素晴らしいアップデートについてもお伝えする。今週紹介する注目すべきソフトウェアリリースはすべて Apple からのもので、Mac OS X 10.6.3 Combo Update 1.1、Mac OS X Server 10.6.3 Combo Update 1.1、Security Update 2010-003 (Snow Leopard)、Security Update 2010-003 (Leopard)、Server Admin Tools 10.6.3、27-inch iMac EFI FW Updat 1.0、MacBook Pro Software Update 1.3、それに MobileMe Backup 3.2 だ。

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TidBITS がインターネット出版 20 周年を祝う

  文: Adam C. Engst <[email protected]>
  訳: Mark Nagata <nagata@kurims.kyoto-u.ac.jp>

いよいよその時が来た - TidBITS が、20 歳になった! ちょっと嬉しい偶然の一致だが、今週の電子メール号の番号は #1,024、そう、その通り、私たちはこれまで 2 の 10 乗個の号を公式に出版してきたのだ。おおまかに言えば、1 kiloTidBITS ってわけだ。マニアっぽいでしょ?

私たちの興奮の気持ちをお分けするために、スタッフたちのサインの入った Twentieth Anniversary Mac をプレゼントしようとも考えたのだけれど、結局そういう昔のマシンはなかなか見つからないし、あれは PowerPC 603e で動くマシンなので、もらってもあまり使い道はないだろうという結論になった。

それとは別に、この記念日を機会に、また世界がどう変わってきたかを認識し直すためにも、私たちのサイト http://db.tidbits.com/ に掲げるウェブロゴを、これまでの "Mac news for the rest of us" から "Apple news for the rest of us" に変更することにした。そういうわけで、あまり使い道のない古い Mac をプレゼントするのは止めて、好運な当選者たる TidBITS 読者一名に $200 相当の刻印入り iPhone または iPod touch、または iTunes ギフトカードを差し上げたいと思う。(賞品をどれにするかは当選した方に決めて頂く。皆さんの多くは既に iPhone か iPod touch をお持ちだろうし、また国によっては事情が違うこともあるので当選者の側にも都合があるだろうから。)応募するには、2010 年 4 月 26 日になる前に専用の DealBITS ページで必要事項を記入して頂きたい。サーバが持ち堪えてくれることを祈ろう!(何か問題が起こったなら、少し時間をおいてからトライして頂きたい。)

[訳注: 応募期間は 11:59 PM PDT, 25-Apr-2010 まで、つまり日本時間で 4 月 26 日(月曜日)の午後 4 時頃までとなっています。]

この節目の日を記念するために何をするのがよいか考えたが、私の頭に最初に浮かんだのは、TidBITS についてあまりよく知らない人たちと普段話をする際に私たちがよく持ち出す話題、つまり私たちが休まずインターネット出版を続けてきた 20 年間や、1992 年に世界最初のインターネット広告プログラムを発足させたことなどだった。

そうした TidBITS の成果について私はもちろん誇りを持っているけれど、私が TidBITS で最も気に入っているのはそういう種類のことではない。2010 年 11 月の New York City Marathon に出場するために私がトレーニングを重ね、26.2 マイル (42.16 km) を走り切ったとき、その達成のためにはまず目標を定めてそれに向かって懸命に努力することが必要だった。けれども、TidBITS を 20 年間休まずに出版し続けることが私の目標であったことは一度もない。これは、ただ生活の一部であっただけだ。

その上、インターネット広告を始めたことについて(当時あまり目立たなかった NPR/PBS スポンサーシップモデルを使った)いくらかの功績を認めてもらえるのは嬉しいが、その後のインターネット広告の発展の成り行きを見ればあまり嬉しくないことも多々ある。ポップアップ広告、すきま広告、それにムカムカさせられる写真だらけの現代のインチキ販売広告など、見るに耐えないからだ。でも良い面もある。ひょっとして私はほんの僅かでも Google から功績を認めてもらえるのではないだろうか。なぜなら、インターネット広告なしに今日の Google はあり得なかっただろうからだ。

いや、私が毎朝勇んでベッドから飛び起きる動機となっている TidBITS 出版の側面は、決してそういう類いの成果が理由なのではない。一つには、記事を書いたり、編集したり、出版したりできること自体を、私が大好きだからだ。それは、複雑な話題をわかりやすく説明できるだけでなく、実際に読者の方たちの生活の中に何かそれまでと違ったことを生み出せるからだ。電子メールや記事コメントで読者からの便りを受け取って、その記事のお陰でトラブルシューティングに何時間も費やさずに済んだとか、何かの機器が生き返ったとか、時間のかかる繰り返し作業を無しに済ませる役に立ったとかいう感想を読む時ほど、私が良い気持ちになることはない。

私たちがデザインし実装したテクノロジーのエレガントさにも私は誇りを持っている。TidBITS 出版システム、TidBITS コメントシステム、iPhone アプリ TidBITS News、Take Control サイトのバックエンドとなっているカスタムエンジン ExpressionEngine、まだベータ版だが読者アカウントの管理システム、等々だ。これらのシステムは私たちの仕事を楽にしてくれると同時に、読者の皆さんにとっても TidBITS と Take Control を扱いやすいものにしてくれる。もちろん私たちはすべてを望み通り素早く開発できるだけの資金を持ち合わせてはいないけれど、私たちなりに十分良い成果をあげてきたと思うし、これらのプロジェクトで仕事をするのは驚くほど楽しさに満ち満ちている。

より一般的に言えば、TidBITS スタッフの他のメンバーたちと一緒に働くのは素晴らしい。彼らは皆最高の人たちで、だからこそ実際他の出版社各社からも引く手あまただ。それにもかかわらず、Tonya と私は何かをうまくやり遂げたに違いない。なぜなら、才能あるライターやテクノロジー技術者の彼らが何年も続けて私たちについて来てくれているからだ。幾人かはほぼ最初からずっと続けてくれている。スタッフメンバーがそれぞれどんな風に TidBITS と関わりを持ったかについては、記事 "TidBITS スタッフがそれぞれのスタート時を回顧" (2010 年 4 月 19 日) をお読み頂きたい。それから、TidBITS をいろいろな国語に翻訳してくれている心優しい翻訳チームの面々と一緒に働くことも、私には大きな喜びだ。彼らのお陰で TidBITS がより多くの人たちの手許に届くようになっているし、また英語の慣用句を翻訳することにまつわる苦労について教わるのも私にとって良い経験だ。

でも、私が毎日電子メールや、記事へのコメント、tweet、チャット、電話などに溢れた TidBITS の海を泳ぎ回る生活の中で最も心を引き付けられることは、友人たちや同僚たち、それに TidBITS 読者たちとともにいろいろな発見、考察、意見、冗談、小技、助言などをお互いに分け合うことに伴う、言葉には言い表わし難い興奮だ。TidBITS を通じて、私はとても素敵な、とても賢い、とても愉快な、最高に興味深い多くの人たちと知り合いになることができた。そのうちの何人かを説得して TidBITS や Take Control で一緒に働いてもらうようにできたこともあったし、他の人たちがテクノロジーの世界で素晴らしい仕事をするのをワクワクしながら眺めたこともある。そういう人たちについてここで私がこれ以上述べるよりも、できるだけ多くのそういう人たちを別の記事“TidBITS の友人たちから寄せられた 20 年分の思い出”(2010 年 4 月 19 日) の中で紹介したいと思う。べらぼうに長い記事になってしまったけれど、その中でそれぞれの人たちが自分自身の言葉で TidBITS に対する感想や思い出を語ってくれている。20 年間を振り返ってみようかという気になられたら、どうぞちょっと時間をかけて目を通してみて頂きたい。きっと、とても面白い読み物になっていることに気付かれることだろう。

記憶の細道を過去へ辿る際にもっと詳しいことが知りたいと思われれば、私たちの "TidBITS History 記事シリーズ" が参考になるかもしれない。そこには私たちがさまざまの角度でものごとを伝えようとした記録がある。後を振り返り、前を向いて展望し、中に向けて覗き込み、体験談を共有したり、教訓を学んだり、その他いろいろのことがある。私も今回これらの記事を読み返してみて、その中のいくつかには何年も経った今でもぴったり当てはまる内容があること(例えば 2000 年 4 月 17 日の記事“TidBITS 10 年の教訓”)に驚かされた。

"TidBITS History" 記事シリーズ(日本語)
MailBITS/15-Apr-96 | TidBITS 7.0 | あなたにふさわしいバッジをつけて | TidBITS Talk 登場 | TidBITS 創刊 9 周年を達成 | TidBITS 10 年の教訓 | TidBITS、11 年を経て | TidBITS が満12歳に | TidBITS も 13 歳: 目標を持とう | TidBITS 14 周年を記念して Take Control 50% 割引セール | TidBITS の誕生日: Macintosh の 15 年間を振り返って | TidBITS 16 周年記念休暇 | TidBITS が 17 歳に | TidBITS の 18 年間を振り返る | TidBITS の 19 年間を振り返って思ったこと

これからさらにあと 20 年、あと 1,024 号の TidBITS を続けることが目標だなどと豪語するつもりはない。そんなことは目標ではないからだ。TidBITS は私たちが今していることそのものであり、まわりの状況が私たちを続けさせてくれている限り、これからも進み続けて行きたいと思う。

私たちをここまで続けさせてくれた人たちすべてに、感謝を捧げたい!

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Apple、Intel Core i5/i7 を MacBook Pro に導入

  文: TidBITS Staff <[email protected]>
  訳: 亀岡孝仁<takkameoka@kif.biglobe.ne.jp>

Apple は Macintosh 側のビジネスにも力を注いでいることを示し、全 MacBook Pro ラインを同時にアップデートした。これはある特定モデルだけに特化し他のモデルを除外した前回のアップデートに較べると良い動きである。大きな変更となったものには、新しい CPU オプション、より寿命の長い電池、デュアルグラフィックプロセッサの継ぎ目の無い統合、オプションの高解像度ディスプレイ、Multi-Touch トラックパッド上の慣性スクロール、そして高容量固体ドライブのオプションが含まれる。但しこれらの変更は製品系列に対して等しく分配されているわけではない。

新しい 13-inch MacBook Pro は引き続き Intel Core 2 Duo プロセッサに頼ることになったが、速度が上がって 2.4 GHz か 2.66 GHz のどちらかとなる。しかしながら、Apple によるとこの 13-inch MacBook Pro の新しい 48-core Nvidia GeForce 320M プロセッサは最大 80% 速いグラフィック能力を提供すると言う。この新しいグラフィックプロセッサはグラフィック依存度の高いアプリケーションや高性能ゲームにはとりわけ歓迎すべきものであろう。他の注目すべき変更には新モデルの 10 時間と言われる電池寿命があり、これは全てのモデルに適用される。電池は組み込みでユーザーが交換できるものではないが、Apple に頼めば交換はして貰える。

この 13-inch MacBook Pro は比較的変更が少なかったが、15-inch17-inch のモデルはより大幅な改良を受けている。これらのモデルは Intel Core i5 (15-inch 用には 2.4 か 2.53 GHz そして 17-inch 用には 2.53 GHz) 又は Intel Core i7 (2.66 GHz) プロセッサに依存しており、Apple によると旧モデルより最大 50% 高速化していると言う。改善点の幾つかは、Intel Core i5 と i7 プロセッサがメモリコントローラと Level 3 キャッシュを統合してシステムメモリへのアクセスを高速化していることから来ている。Apple は更なる性能向上は Hyper-Threading 技術から来ていると言っている。この技術は仮想プロセッシングコアを設けることでデータスループットを改善している。それから Turbo Boost がある、これは二つのプロセッサコアの間の動作を最適化するもので基本的には、システムを集中的なデュアルコア作業には 2.66 GHz から 3.06 GHz へ、シングルコア作業には最大 3.33 GHz まで加速する。これら全てが実世界ではどの様になるのかはこれからということであろう。

それから 15- と 17-inch モデルで改善されたのはグラフィックスサブシステムであり、これには一対のグラフィックスプロセッサ、最高性能用途の Nvidia GeForce GT 330M と消費電力低減用途の Intel HD Graphics が採用されている。前世代の性能分割からの歓迎すべき変更は、新しい MacBook Pro モデルはそれらの間の切替を自動でやってくれることである;特定のグラフィックスモードを選択し、ログアウト、そしてその変更を適用するために再びログバックするというのをやらないで良くなる。(Apple はもう既に MacBook Pro Software Update 1.3 をリリースしていて高性能ビデオとゲームアプリケーションでのグラフィックス安定性の向上を図っている。これは 258.32 MB のアップデートで、新しい Mac の購入者には Software Update 経由で入手可のはずである。)

Apple はまた新しい 15- と 17-inch モデルでの電池寿命も改善し、一回の充電で 8 から 9 時間になったとしている (以前の公称値の 7 から 8 時間から上がって)。これはより緊密に統合されたハードウェアとソフトウェアのお陰である。15-inch モデルでは電池が 73 ワット時から 77.5 ワット時に上がったという事実も助けにはなっているであろう (17-inch モデルの電池は 95 ワット時のままである)。

Apple との会見中に、我々は Apple がどの様にして電池寿命の数字を算出するのかも知った。Apple の公称値の最大の数字は、昔の "理想環境" での推測値よりもより現実の使用に近いものに根ざしている。スクリーンの明るさを 50% に設定した機器で、Apple は Wireless Web と呼ばれる電池テストを走らせる。スクリプトが Web ページを Wi-Fi 経由で読み込み、テキストドキュメントを作成し保存するなど "軽負荷" の使用を模擬する。

他の試験は電池に究極の負荷をかけるよう意図されている:スクリーンの明るさは 100% に設定され、音量も最大まで上げられ、そして DVD をかける (物理的なドライブを駆動させ同時に同時進行の MPEG デコードと再生もさせる)。この試験だと、15-inch MacBook Pro で平均すると約 4.5 時間の電池寿命となる - これはそう遠くない前には軽負荷状況下での寿命としては良い値であった。

我々が自分でも経験してみたいと楽しみにしているものは Multi-Touch トラックパッドの新しい "慣性スクロール" 機能である。Apple はこれについては簡単にしか言及していないが、我々が思うにはこのトラックパッド - そしてそれを認識するソフトウェア - は iPhone, iPad, そして iPod touch に見られる同じ模擬動作でアイテムをスクロール出来るのであろう。正直に言うと、Apple タッチ機器と Mac の間で切替えて使う時、両方の環境で同じ振舞いをしてくれるものと期待する時がある。(Adobe Photoshop CS4 はこの様な型のスクロールを導入し、そのお陰でズームインした画像をそのウィンドウの周りで "投げる" のが容易になりそして必要なスクロールも量も軽減した。)

基本装備とオプション -- 標準の装備はお馴染みのものだと思う。全てのモデルに付いてくるのは、MagSafe 電源ポート、Gigabit Ethernet ポート、ビデオ出力用の Mini DisplayPort、FireWire 800 ポートが一つ、そして二つの USB 2.0 ポート(17-inch モデルには三つ) である。13-inch モデルは単一の音声入出力ポートだが、15- と 17-inch モデルは別々の音声入力と音声出力ポートが備わっている。13-inch と 15-inch モデルは一つの SD カードスロットを持っており、そして 17-inch モデルはそれに代わる ExpressCard/34 を持つ。ワイヤレスネットワークに関しては、全てが 802.11n 準拠の AirPort Extreme Wi-Fi ワイヤレスネットワーキングを持ち、その他に Bluetooth 2.1+EDR も付いている。更に全てのモデルが内蔵の iSight ビデオカメラを持っている。

4 GB の RAM が全てのモデルの標準であるが、それぞれに 8 GB までアップグレード出来る。ハードドライブのオプションは 500 GB まであり、そして固体ドライブはサイズでは 128 GB, 256 GB, そして 512 GB とあり、500 GB のハードドライブに較べて、それぞれ $200, $650, 或いは $1,300 の割り増しとなる。

より大きなスクリーン解像度 -- 全ての MacBook Pro モデルには光沢仕上げの LED バックライトスクリーンが含まれているが、幾つかのカスタム構成も注文できる。13-inch モデルのスクリーンは光沢ありで解像度は 1280 x 800 ピクセルであるが、非光沢スクリーンのオプションは提供されていない。15-inch モデルに対する標準構成は 1440 x 800 ピクセルの光沢ありである。追加料金を払えば、より高解像度の 1680 x 1050 ピクセルのディスプレイを光沢あり ($100 プラス) 或いは光沢なし ($150 プラス) で注文できる。光沢なしのオプションはより高解像度に対してのみありで、デフォルトの解像度に対しては無い。17-inch モデルのスクリーンは 1920 x 1200 ピクセルで、非光沢のバージョンも $50 の追加で入手可である。

よりグリーンな MacBook -- 最新シリーズの MacBook Pro の場合も、Apple は環境にやさしい製品を送り出す約束を守り続けている。新しいラインナップの全ての MacBook Pro は EPEAT Gold ステータスを受賞しており (つまり EPEAT の必要要件 は全て、そして任意要件の少なくとも 75% は満たしていることを意味する)、そしてそれぞれが Energy Star 5.0 等級に対する要件を満足している。

これらの結果に貢献している項目には、リサイクル性の極めて高いアルミのユニボディ筐体、水銀及び砒素を含まない LED バックライトディスプレイ、そして臭素化難燃剤 (BFR) や塩化ビニル (PVC) を含んだ部材を一切使っていないことが挙げられる。更に、新しいグラフィックスの切り替え技術のお陰で MacBook Pro は、重たい作業のための強力な Nvidia GeForce GT 330M とより軽い負荷用のエネルギー効率の良い Intel HD Graphics プロセッサの間を自動的に切替えられるので電池寿命が長くなっている。これと 1,000 回充電の寿命 (Apple の推定では約 5 年に相当する) とを組み合わせると、電池廃棄物は少なくなるであろう。電池が最終的に寿命を迎えた時には、Apple はまた環境的責任も持ったプログラムを提供しており、古くなった電池の取外しと廃棄、そして新しい電池の取り付けを行う - 値段はモデルにより $129 か $179 となっている。

値段と入手可能性 -- 全ての新しい MacBook Pro モデルが下記のベース構成で、現在入手可である (最後の 17-inch 構成はベース構成ではないが、他は CPU タイプで区分けされているのでこれを取ってしまうのは奇妙に思える):

時期と性能について -- これらの新しい構成を仕様の高速化と見るのはやさしいが、我々はもっと大きな跳躍があったと思う、そして時期選定も良かった。最新の Core i5 か i7 プロセッサを持った iMac モデルの所有者からの報告を見ると、Intel Core 2 Duo に較べて劇的な性能向上が見られる様である。Apple のノートブックは同社のデスクトップモデルよりずっと多く売れることを考えると、MacBook Pro は手の届く最高の性能が必要である。Apple は電池寿命も伸ばした、速度のため犠牲にする代わりに、そしてグラフィックスモード間の切替えのぎこちないやり方を解消した事実は、同社がいまでも Mac 製品を改良するために必要な資源を注ぎ込み、そして単に少しマシな部品を放り込んでいるだけではないことを示している。我々は MacBook Pro のファンであり、これらの新しいモデルは我々の既に持っている好感を更に強いものにしてくれる。

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Princeton University、iPad の DHCP 欠陥を特定

  文: Adam C. Engst <[email protected]>
  訳: 亀岡孝仁<takkameoka@kif.biglobe.ne.jp>

Princeton University の Office of Information Technology はキャンパス上の 40 台の iPad の約半分が ネットワーク問題を経験しているという書面 を掲げた。この問題は iPad 自身によってこれまで経験されているものとは違う - 実際に起こっている事は次の通りである。(私がこの問題を最初に取り上げて以来、他のサイトでもこの問題に直面している話を聞いた。その中には University of Washington と George Washington University も含まれる。)

iPad は DHCP (Dynamic Host Configuration Protocol) クライアントソフトウェアを使って (iPhone OS の中で) ネットワーク構成情報を - 一番分かりやすいのは IP アドレス - DHCP サーバーから要求する。この IP アドレスは通常ある決まった期間に亘って DHCP クライアントに対して "リース" される;そしていったんリース切れになると、もしその DHCP クライアントがまだオンライン状態にある場合は、リースを更新してこの IP アドレスを保持するよう要請する。そのリースが期限切れになった時もしそのクライアントがオンラインに無い場合は、DHCP サーバーはその IP アドレスを他の機器に自由に割当てられる。DHCP クライアントがそのネットワークに戻る時、それは再度要求し新しい IP アドレスを受取る。

問題は iPad が、ある状況下では、DHCP リースを更新出来ないのに前に割当てられた IP アドレスをそのまま使い続けることにある様に見受けられる。リースが更新されなかったことで、DHCP サーバーはその IP アドレスを再割り当てしても良いと信じてしまう。それでもし iPad は引き続きそれを使っているにも拘らず、その IP アドレスが他の機器に再割り当てされてしまうと、両方の機器が同じ IP アドレスを使う羽目になってしまい、ネットワークの接続を失う結果となるし、オペレーティングシステムはそのエラー状況を扱おうとして出すダイアログも混乱してしまう、等々となる。

Princeton はこの問題の解決に向けて Apple と一緒に検討をしている。問題は iPhone OS 3.2 に中にある DHCP クライアントにあると見られており、このバージョンの iPhone OS のアップデートで簡単に修正出来るはずである。Princeton は、取りあえず iPad ユーザーは同キャンパスのネットワークには接続しないように言っている、何故ならばもし一台の iPad が誤動作するとすると、他のネットワークユーザーに迷惑がかからない様それをブロックする必要が出てくるからである。

ではこの問題に遭遇しやすいのは誰であろうか?それは主としてネットワーク機器がしょっちゅう変化することに対処するため DHCP に依存している大規模なネットワークを持つ組織であろう。家庭ユーザーや小規模ネットワークの人々はこの問題によって IP アドレス衝突を経験する可能性は殆ど無い。

もしあなたがあなたが管理する小規模ネットワークでこの問題に遭遇した場合は、幾つかの解決法がある:

上にリンクされた The Daily Princetonian の記事で引用はされていると言っても、この DHCP 問題は、これまでにある特定の iPad ユーザーを困らせて来たあの Wi-Fi 問題とはまず間違いなく別物である事は知っておいた方が良いと思われる ("iPad ユーザーの一部が Wi-Fi 問題に遭遇" 6 April 2010 参照)。

いずれにしても、Apple はこの問題を早急に修正する様に望みたいものである。これは何も大規模ネットワークに対してすらそれ程の迷惑をかけているからと言うことでは必ずしも無く、DHCP は長いこと実証された標準であることを鑑みれば、簡単に修正出来るバグのはずのもののためにネットワーク管理者達の間に iPad が悪い評判を確立してしまうと言うのは何とも情けないからである。

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Adobe、Creative Suite 5 を発表

  文: Doug McLean <[email protected]>
  訳: 大石哲伸<tedz2000@gmail.com>

最後のメジャーアップデートから 2 年が経ち、Adobe の Creative Suite 5 は期待を集めている。ユーザーはびっくりするような新機能と共に基本機能の改良、実行速度の向上を求めている。そういう意味で云えば、巨魁なソフトウエアである CS5 はこの挑戦を受けて立っている。

CS5 のような大きなものに対して記事を書くのは骨が折れる。主要な変更だけを取り上げるにしてもそうだ。CS5 はもはや、いくつかの主要なプログラムを組み合わせて販売しているものではなく、もっと雑多なものの寄せ集めになっている。( 6 つから 18 個の間のいくつかだ。どのエディションを買うかによって数は違う)。簡単に紹介するのが難しいが、今回の Suite で最も興味を引く変更を要約する。もし、詳細をお知りになりたいのなら、Adobe の Web サイトを見ていただきたい。ふんだんに説明が用意されている。

Photoshop -- Photoshop CS5 Extended に搭載されている新しいプログラムや写真ツールが Creative Suite にも搭載されている。そういったツールの一つが混合ブラシツールで、その先端にのせた複数の色と画像の色を混ぜ合わせる。下敷きの画像がどのくらい「湿っているか」を指定する事さえでき、「湿った絵に湿った筆」から「乾いた絵に乾いた筆」までの範囲を調整できる。さらに他にも素敵なペイントツールがあって、現実世界のブラシのようにびっくりするほど正確で精細な効果を得る事が出来る。

CS5 に追加された機能の中で一番驚かされたものは、おそらく、「コンテンツに応じた塗り」だろう。この機能は写真からなんでも消し去る事を可能にする。消された場所には、即座に周辺の背景から最適と思われる画像が作成され、差し替えられる。信じられないのならば、 絶対にこのリンクを見るべきだ。同様に印象的なのが、「パペットワープ」で、これは驚異的な精密さで画像を変形し、曲げる事ができる。改善されたエッジ検出は前のバージョンよりも遥かにすぐれた輪郭の検出を行う。Photoshop の新ツールの多く、あるいは、InDesign, Illustrator のツールは、説明を読むよりは実際に見た方がよく理解できる。それには Adobe の ビデオツアーが役に立つだろう。

CS5 で写真家は改善された HDR (ハイダイナミックレンジ)処理を行う事が出来る。これは違う露出で撮影されたほぼ同じ写真を組み合わせ、写真全体の中で光のレベルを調整するもので、シュールな写真や現実離れした画像作成にも利用できる。HDR 処理は Photoshop に以前から搭載されていたが、今回のバージョンでは「ゴースト削除」のオプションが追加され、原画と違う半透明の部分が出てくるのを押さえる。この問題は HDR 画像にはよく見られるものだ。露出を変えながら写真を取っている間にも、フレームの中の木や草はいつも揺れ動いているため、画像を重ねた時にゴーストとして現れるのである。

Adobe の新しい Raw 画像変換ソフトウエア、Camera Raw 6 は 275 機種以上のカメラをサポートし、取り込んだ後の画質も改善されている。さらに云えば、このソフトウエアでは、シャープ化やノイズ除去の機能が改良されており、Raw 画像だけでなく、JPEG や TIFF の画像もいじれるようになっている。

Adobe は長らく待たせていた、低レベルの改良も行った。Mac 版はついに64ビット完全対応になり、これで64ビットシステムに十分な量の RAM さえあれば大きなファイルを簡単に扱えるようになる。OpenGL エンジンでは3D グラフィックの扱いを改良し、文書中に直接ファイルをドラッグアンドドロップして新規レイヤーを作成できるようになった。最新版ではさらにパネルのカスタマイズ、ワークスペース管理、そして、ミニブリッジ(プログラムの中から Photoshop のファイルマネージャを呼び出す)をサポートした。

Illustrator -- Illustrator CS5 は1、2、3 点透視図法をそれぞれサポートした透視図法描画ツールを新たに搭載した。ビューティフルストロークツールはどのような幅のブラシでも精密な描画ができる。シェイプビルダーツールでは単純な吹き出しのような形からインクのしみのような不定形なものまでなんでも作る事が出来る。3D 画像を作成し、ねじ曲げる事が出来る機能では、ロゴやボタンを簡単に作れる。また、WEB や携帯機器のためのグラフィックデザインが簡単にできるようになった。

InDesign -- InDesign CS5 で一番注記しておきたいのは、会話、ナビゲーション、動作、音声、動画といった要素が Flash Professional にエクスポートする事によって文書に含められる事だ。最新版では、文章の変更を追跡する事が出来、一つの文書に複数のページサイズを混在でき、一つのパラグラフを複数のカラムにわたって記述でき、電子書籍として簡単に EPUB 形式で作成が出来、さらにレイヤーパネル機能では、Photoshop や Illustrator のようにもっと直接的にページ中のアイテムをいじる事が出来る。付け加えれば、フィードバックのやり取りは CS Live Online サービスの一部である、Adobe CS レビューで簡単に行う事が出来る。

Dreamweaver と Flash -- Dreamweaver CS5 は統合されたコンテント管理システムを持つ。CSS インスペクション、Adobe BrowserLab との統合、Subversion のサポート、PHP カスタムクラス、サイト別のヒント情報。Flash Professional CS5 はコードスニプレットパネル、AppleScript エディター、XML ベースの FLA ソースファイル、ワイドコンテンツ配信、動画処理が改善された。

オプションの購入 -- Adobe はいろんな購買、アップグレードのオプションを提供していて、5つの構成で購入できる。(アップグレードの価格はパッケージ毎に違う)

各 Suite はそれぞれ、Bridge CS5 と Device Cetral CS5 を含む。Production Premium と Master Collection はさらに Dynamic Link を含む。また、すべての主要なプログラムは依然として個別に購入できる。(価格は上記の同じリンクにある)

Adobe によれば、これらのソフトウエアは 2010 年 5 月の中旬に出荷される。

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TidBITS スタッフがそれぞれのスタート時を回顧

  文: TidBITS Staff <[email protected]>
  訳: Mark Nagata <nagata@kurims.kyoto-u.ac.jp>

TidBITS は、共同作業の賜物だ。これまでずっとそうだった。仮想のマストの先には代表者として Adam Engst の名が掲げられているが、私たちがする仕事のすべては、ほとんどあらゆる部分で二人から十人までいろいろのグループによる共同作業から成っている。この記事の導入部分にしたってそうだ。(そんなことないわよ! いや、そうなんだよ!)

TidBITS 発足以前の時代からかかわりのあった人たちも何人かいる。つまり、実際に出版が実現するより前に Adam と会って力を貸した人たちだ。また、長年の読者であり寄稿者であった人たちもいるし、フレッシュな顔ぶれもいる。最もピカピカの新入りは Rich Mogull と Doug McLean だが、彼らは私たちに加わることによって報道内容に厚みを加え、それぞれ独自の意見と専門性とを加味してくれている。

だから、ここに、スタッフそれぞれがどのようにして、そしてどんな動機で TidBITS に加わったのか、思い出してもらうことにしたい。TidBITS の一員であった期間の長い人から順番に、登場してもらうことにしよう。

Tonya Engst -- TidBITS が始まった時、Adam と私はまだ結婚していなかった。私たちは猫を一匹と Macintosh SE を一台、共有していた。Adam はコンピュータのコンサルタントとして働いていて、クライアントたちがバックアップシステムを設定したりデータベースを作ったりするのを助けていた。私は、Cornell 大学のコンピュータストアで働いて、大学のスタッフや学生が Mac や PC、NeXT などを選ぶのを助けていた。Adam と私は当時 Cornell 大学を卒業したばかりで、いろいろと雑多な主専攻と副専攻を取り混ぜて修得していた。コミュニケーション論 (私)、科学技術の歴史と哲学 (私)、古典学 (Adam)、それにハイパーテキスト小説 (Adam) だ。

ある夜のこと、私たち二人は長い間、いろいろの話題の絡まり合った議論をした。話題は PageMaker と HyperCard から、テクノロジー業界について行くように人を助けるにはどうするか、学術著作と商業用著作の違い、などなど延々と続いた。その議論を始める前、私たちは何の変哲もないいつもと同じ一日を過ごしていた。けれども議論が終わった時、私たちの眼前には今まで考えてもみなかった、全く予想もできなかった道筋がはっきりと見えていた。

この議論の結果生まれたのが、TidBITS だった。それは HyperCard スタック、それは電子メールのニュースレター、それは私たちが大学で専攻したことを混ぜ合わせた必然的結果、それは史上初めて広告を受け入れたインターネット出版物、それはコミュニティー、それはデータベース駆動でコメントも受け付けるウェブサイト、それは多くの著者たちと多くの読者たちの協力の賜物、それはあなたの頭に浮かぶどんな言葉で形容されてもよいが、とにかく TidBITS は私たちの生活の焦点となった。

こうして、Adam は表に立つ人物となった。数多くの記事を執筆し編集し、いろいろなカンファレンスに出席し、絶え間なく押し寄せる電子メールに返事を書き、いつももっと新しい、最先端の方法で TidBITS を出版しようと霊感を与えつつ協力して構想を練っている。では、私は具体的に何をしてきたのか?

私は、記事を書き、記事を編集し、初期のバージョンの Microsoft Word と初期のバージョンの HTML について隅から隅まで何でも学んだり教えたりし、変革を求め、経験の少ないユーザーたちのための熱烈な擁護者となり、共鳴板として行動し、記事のアイデアを与え、帳簿をつけたり、予算を組んだり、CFO (最高財務責任者) の仕事をしたり、即席の「人材管理」部局の仕事をしたり、プロジェクト管理とスケジュール管理に冷酷な力をふるったり、財政の厳しい時期には「本物の」仕事をしたり、仕事をしながら母であるために正気であるにはどうすべきか学んだり、夜通し仕事をするのを気にしない術を身に付けたり、それから 2003 年以後には Take Control 電子ブックの仕事にほとんどの時間を捧げるようになった。これは TidBITS を財政的に支える力にもなっている。

この TidBITS Publishing Inc. で働くことが、もしも普通の職業だったなら、絶対に私は今まで続けてくることができなかったに違いない。勤務時間は殺人的だし、要求されることは山のようにあり、to-do リストはいつ果てるともなく連なっている。でも幸いなことに、そこにはこれほどに多くの興味深い人たちと交流できる喜びがあり、テクノロジーの世界で意味のある仕事に関わりを持てる実感があって、不都合なことがいくらあってもちゃんと釣り合いが取れている。Adam と、そして他の多くの人たちと、共に TidBITS を運営して行けることは、いつも驚きと喜びに満ちたライフスタイルとなっていて、私たちはみんな繋がっているという実感を私に与え続けてくれている。

Matt Neuburg -- その昔 1980 年のこと、私は Cornell 大学で古典学の博士論文を仕上げようとしていたが、その際私は自分の博士論文を大学のメインフレームコンピュータ上で執筆・編集・出力して、教授の面々の度肝を抜いた。私にとってはそれが自然なやり方だった(私はその 12 年前からプログラミングを始めていた)し、そのお陰で私は能率的に論文を仕上げることができた。けれどもパーソナルコンピュータはまだ当時一般的でなく、コンピューティングの経歴を持った文系の研究者はほとんどいなかった。

時を進めて 1987 年、私は古典学を教えるために二年間 Cornell 大学に戻ることとなった。その時までに、私は Apple II を使って英語とラテン語、ギリシャ語の混じった複雑な書類を出力したり、講義録をオンラインの形で保存したりすることに慣れていた。クラスでよく出来る学生の一人がこのことに気付き、私は自分が過去と現在どんな風にコンピュータを使ってきたかを彼に話した。彼もまた、コンピュータに強い興味を持った文系専攻者の一人だった。そうして私たちは教室の外でも友好を深めるようになった。彼の名が Adam Engst だった。

1989 年に、Adam は Storyspace について私に説明してくれた。これはまだリリースされていないアプリケーションで、ハイパーテキストの書類を作ったり読んだりするためのものだった。彼はこれを使って卒業論文を書いていた。彼はまた Cornell 大学のコンピュータ・ラボに置いてある Mac についても私に説明してくれた。ただ、彼はその段階では Mac がただのオモチャではないということを私に納得させることができなかった。

けれどもそれから数年後、私は Swarthmore College (私の母校) で教えていたが、この大学は研究室の家具の一部として一台の Mac を私に くれた。そうして私は Mac 使いとなった。私はクラスの教材を HyperCard で作り、学術的書類を Nisus で書き、教育関係の書類を Storyspace で作るようになった。

1990 年代の初期、学術研究者の一人として、私は研究室の机の上でインターネットにアクセスでき、いつも Info-Mac を見ていた。Info-Mac に、プログラマーたちはアプリケーションを投稿して誰でもダウンロードできるようにし、ユーザーたちは Mac 関係の質問やそれに対する回答を投稿した。(Info-Mac の簡潔な歴史については 2005 年 12 月 19 日の Adam の記事“Info-Mac ネットワークが引退”を参照。)Adam は Info-Mac 居住者の一人であって、彼は Info-Mac に TidBITS を投稿し始めた。こうして私たち二人は交流を続け、数多くの点で Mac 関係の興味を共にしていた: HyperCard、Nisus、Storyspace.

自然と、私はそれらのアプリケーションについて TidBITS に記事を書こうと申し出るようになった。Adam は大いに助けになってくれ、徹底的に詳細にこだわったレビュー記事をたくさんの号の中で私に書かせてくれた。さらには、共著で記事を書かないかとさえ申し出てくれた。こうして彼は Storyspace のレビュー記事(1991 年 11 月 18 日の“Storyspace Introduction”、私が初めて TidBITS に書いた記事)で私と共著者となり、また私が Nisus をレビューした記事(1992 年 4 月 6 日の“Nisus Review Preview”)ではゲストコメンテーターとして登場した。

今では、私はすっかり Adam の流儀を真似て仕事をし著作をするようになっている。(これこそが TidBITS 精神なるものかもしれない。)そして、決まり文句で言えば、その後のことはご存じの通りだ。その後の私の職業的経歴にもいろいろと Adam が関係していたことは全部省くとして、ただ一つだけ言っておきたいことは、TidBITS に執筆する際に何よりも素晴らしいのは信頼だということだ。私はいつも、TidBITS の哲学にこだわり続け、その文学的、知的な水準にかなったものを書こうと努めている。そしてその返礼として、Adam は何でも私の好きなことを、いつでも私の好きな時に、どれだけでも私が適度と思う長さで、書いてもよい自由を私に与えてくれるのだ。これ以上のことってあるだろうか?

Mark H. Anbinder -- Adam、Tonya (当時彼女の名字は Byard だったが)、それに私は皆 1980 年代の終わりごろに Cornell 大学の学生だった。この大学のキャンパスには普通よりも速い速度で初期の Macintosh コンピュータが浸透していたのでお陰を被れただけでなく、ある冬には何と Steve Jobs 自身がキャンパスを訪れて NeXT Cube を見せてくれるという幸運にも巡り会えた。(当時の彼はまだジーンズに黒のタートルネックの姿ではなかったが、Tonya が彼の靴が凄いわと言っていたのは記憶に残っている。)長年知っていた人たちは何人もいるが、私の覚えている限りあの NeXT プレゼンテーションの場で私は初めて Adam と Tonya に会ったのだった。

私たち三人は皆、卒業後も Ithaca の近くに残ったので、お互いの道が交わる回数はますます増え、その後三人ともこの地域の Mac ユーザーグループ MUGWUMP の活発な参加者となり幹事役も引き受けるに至った。このグループ名は "Macintosh User Group for Writers and Users of Macintosh Programs" の頭文字を取ったものだ。MUGWUMP には膨大な数のメンバーこそいなかったが、活動はとても盛んで独自のソフトウェア貸出ライブラリを持ち、デスクトップ出版の恐怖の時代にもかかわらずよくデザインされた印刷版のニュースレターを発行し、毎月のミーティングでは最新のソフトウェアとハードウェアが Mac ユーザーたちのためにプレゼンテーションされ、舵取り役の委員たちは定期的に会合を持っていた。私たちは三人とも、その委員たちの中でも最も活動的なメンバーとなっていた。

Adam と Tonya がずっと持ち合わせてきた HyperCard とハイパーテキストへの愛着を Macintosh コンピューティングの知識を人々に広める喜びに組み合わせる決断をした時、私もそこに居合わせた。ほどなく私も、彼らの初めての (UUCP-ベースの) TidBITS 電子メールシステムの構築を手伝うようになり、時には号の出版にも手を貸すようになった。その後、私が記事を書く回数も増えて行った。1991 年に彼ら二人がシアトルに引っ越した際には、Adam が新しいインターネット接続を見つけるまでの間、8 月の一ヵ月間は私が TidBITS を運営した。

ニュース編集者として、その後ほんの少し活動量の落ちた寄稿編集者として、私はずっと TidBITS の最も大がかりな共同の報道作業の場に参加し続けた。新製品のコンピュータや新しいオペレーティングシステム、その他について記事を書いたりしつつ、面と向かって合うことはほとんどなくなったけれども、それでも大きなテーブルのまわりで皆一緒に集まっている感覚は常にそこにあった。(私が面と向かって会ったことのない TidBITS 常連もまだ二人ほど残っているが、その数はだんだん減り続けている。)

この 20 年の間、私たちは直接会ったり、またその他の方法でも、とても大勢の読者たちと交流することができた。私は、この交流こそが、私たちがずっと TidBITS を続けてくることのできた大きな要因だと思う。私は TidBITS 関係の繋がりで他にもいろいろのところで執筆活動をすることができ、それについては非常に幸運だったと思っている。今私はこうした思い出をイスラエルの Safed にある Artists' Quarter ホテルで書き記しているが、TidBITS クルーのメンバーたちに、この地から心を込めた "Mazel Tov!" の言葉を送りたい。

Geoff Duncan -- 私が最初に TidBITS と出会ったのは 1990 年の夏だった。(それは TidBITS #10 号で、HyperCard 2.0 の記事と、カラーの Mac SE の噂が載っていた。私は興奮した!)でも、それは単に好奇心で記事を目にしただけだった。おそらくそれから一年ほどした後、仕事場の隣の部屋で働いていた女性にこう言われた:「ねえ、TidBITS を購読してる? 絶対にすべきよ。Adam と Tonya ってすごい人たちだわ!」コンピューティングセンターの薄暗い廊下で私にそう話しかけてきた Linda Iroff は、Cornell 大学で Adam と Tonya と顔見知りだったのだ。その後間もなく私は荷物をまとめてシアトルに引っ越した。その折に、Linda は Adam と Tonya もシアトルに引っ越したのでぜひ会ってみるべきだと勧めてくれた。私はそれを頭の中のメモに書き留めた。(私の頭の中は雑多なメモでゴチャゴチャだ。)でも、驚いたことに、それから数ヵ月後、私のアパートのドアを誰かがノックしたのでドアを開けてみると、「やあ!」という声とともに、そこに Adam と Tonya が立っていた。二人は、買い物ついでに私の家に寄ってみたのだという。私はずっと以前からオンライン出版への興味を心に温めていたので、その後、結局私は TidBITS 最初の「いちおう公式の」スタッフメンバーとして参加することになった。

当時私は(そしてそれは今日でも変わらないが)TidBITS が Macintosh コミュニティーの中で独特の位置を占めていると感じていた。それは単に最高品質の情報と分析を(無料で!)出版しているというだけの理由ではなく、TidBITS が非常に多くの点と点を結んでくれるからだ。TidBITS は一つの話題について、いつ、どこで、値段はいくら、といったことだけを語るのでなく、なぜ という疑問にも、自由に深く掘り下げて考察する。そしてこの仕事を 20 年間続けてきた結果、TidBITS には、そうした答にたどり着けるだけの知識と、情報への接点、それに人脈が、ちゃんと備わっている。Adam と Tonya がそうしたことすべてを、業界によくあるごまかしや、見せかけだけの行動、政治的工作、いかがわしい取り引きなどに陥ることなく、彼ら二人の真摯な、そして率直な、しかも情の厚い人柄によって生み出せたことこそ、Adam と Tonya という二人の人物像を浮き彫りにしているではないか。TidBITS の成功はそういう実にシンプルなところから来ている。そして、そんな場所に加われて、少しでも寄与することができたとすれば、それこそが私自身の誇りだと思っている。

Glenn Fleishman -- 私はごく初期のころから TidBITS を読んでいた覚えがある。ただ、最初にどうやって見つけたのかは覚えていない。たぶん、Info-Mac をミラーしていた Usenet ニュースグループの comp.sys.mac.digest ではなかったかと思う。

TidBITS を読み始めて間もなく、私はいろいろなことについて Engst たちに手紙を書き始めた。例えば 1991 年には Multiple Master フォントについての説明が間違っていると 苦情を書き送った。それから数年後、私の初めての記事(1993 年 4 月 19 日の“Apple's 16-bit Solution”)が載った。それは私がシアトルに引っ越す直前のことで、メーン州での仕事が終わり、西海岸に向けてドライブする前にたっぷり時間があったからだった。

シアトルに到着する前に私はちょっと Engst たちに連絡を取った。すると、湖にほど近い彼らの Renton の自宅で毎月開かれる夜会にどうぞいらっしゃい、という招待を受けた。(オーケー、確かに、それは Washington 湖の人気の少ない側、Boeing 社の施設の近くにあるちっぽけな平屋に過ぎなかったけれど、Tonya が Microsoft に十分通勤できる距離の場所にあった。)

私がしっかりした内容で書いた最初の TidBITS 記事は、たぶん 1995 年 5 月 1 日の“The Experiment is Over”だろう。その中で、私は当時のインターネットの基幹回線、National Science Foundation (国立科学財団) の運営していた NSFNet が、商業的に運営される新しい基幹回線サービスへの移行の最終段階に達したことを説明した。1995 年のうちにこの記事は多くの注目を集め、いたる所で引用され配布された。

その当時 TidBITS の記事を書くことは自分にとって一大事のような感じがしたが、それは今もまだ変わっていない。TidBITS はユーザーの声であって、今日の巨大な業界誌が潤沢な資金のあり余る会社の方により焦点を絞っているのとは一線を画していた。情報テクノロジーと個人用テクノロジーの市場が爆発的に広がるにつれ、そういった業界誌には広告収入がたっぷりと注ぎ込まれていたのも一つの理由だったろう。

私が TidBITS に記事を書いて得た自信が、その後の私のフリーランスライターとしての仕事に直接結び付いたのだと私は思う。私が初めて報酬を得て文章を書いたのは 1995 年だったが、全国規模の大規模出版社の仕事を始めたのは 1998 年になってからだった。例えば New York Times、その後には Wired、Business 2.0、Fortune、その他「ドットコム」バブルの時代にはいろいろのところに手を出した。

12 年間以上にわたり、私は TidBITS のために、TidBITS とともに、一生懸命仕事をしてきた。(1997 年から 1998 年にかけて、短期間だったがインターネットに焦点を絞った NetBITS という名のものを派生させようと試みたこともあった。)

Engst 一家と私は、同僚から始まって友人同士の関係になり、私たちは Renton で楽しい笑い声に包まれた時間をたくさん過ごした。その後、ワシントン州 Issaquah の道路の突き当たりにある丘の頂上の狂った科学者の隠れ家みたいな彼らの新居も訪れた。彼らがニューヨーク州 Ithaca に戻った時には、私も数滴の涙をこぼしたが、私たちの間にある仮想の交流は以前にも増してさらに強くなった。

Jeff Carlson -- 1994 年に、雑誌 Wired の紙面で目の前に見せつけられた可能性に心を奪われ、私は自分の Mac Classic II のためにモデムを購入した。正直言って、最初のうちはそれを使って何をすればいいのかわからなかった。それでも、「オンラインに繋がる」ことはいずれ大きなことになるそれだけは私にも分かっていた。私は手近な電子掲示版 (BBS) を二つ見つけたが、その一つはライターたちのためのものだった。そこで私が出会ったのが、当時 TidBITS の編集長をしていた Geoff Duncan だった。彼は私に、もし BBS を使うのが気に入ったのなら、ぜひともインターネットをやってみるべきだと勧めてくれた。(Geoff こそ、ゲートウェイのドラッグに私を誘い込んだ仮想の売人だったというわけだ。)

もちろん、当時インターネットにアクセスを得るために誰もが依存していた方法は、Adam の本 "Internet Starter Kit for Macintosh" を買うことによってだった。本を読んで知識を得られるだけでなく、接続のために必要なソフトウェアも付いていたからだ。(本の裏表紙の内側に、MacTCP を入れたフロッピーディスクが付いていた。)私をインターネットへと手引きしてくれただけでなく、この本 "Internet Starter Kit for Macintosh" が有益だったのはいわゆる「コンピュータ本」が単に情報を得られるだけでなくて読んで楽しめるということも私に教えてくれた点だった。私はこの本を隅から隅まで読んだ。

1996 年には(年代を教えてくれた Geoff に感謝)私は Open House Books 社で編集長として働いていた。シアトルにあったこの会社は、Olav Martin Kvern の本 "Real World FreeHand" や、David Blatner、Bruce Fraser、それに同社のオーナーである Steve Roth の著した "Real World Adobe Photoshop" などの本を制作して出版していた。Steve はまた Thunder Lizard Productions の共同経営者でもあり、こちらは当時生まれ始めていたテクノロジー関係のカンファレンスを運営する仕事をしていた。可能な限り丁寧な言葉を選んで Steve は私に Open House Books を解散すると告げ、私は仕事を失った。

幸運にも、私は当時 Adobe Magazine などの出版物に記事を書く仕事も始めていたし、本も何冊か編集段階のものがあった。そこで私はフリーランスの仕事を試してみるのも悪くないと思った。私が TidBITS に書いた最初の記事は、いみじくもエイプリルフール記事で、1996 年 4 月 1 日の“Netscape Sleep Plug-In”だった。

その年の後半、シアトル在住の何人かのテクノロジー系ライターたちとの昼食会の席で(あの元祖 Speakeasy.net カフェだった)ついに私は Adam と Tonya に直接会うことができた。昼食が終わって、Tonya が私のところに来てこう言った。「じゃあ、うちの編集長になることについてもっと詳しく話して!」(この感嘆符は意図的に付けたものだ。私が知る限り、Tonya は間違いなくいつも元気よくしゃべる。特に誰かに初めて会った時にはそうだ。)これが就職の面接だったことに私はすぐには気付かなかったのだが、きっと私の受け答えは満足できるものだったに違いない。その後間もなく、彼らは私にパートタイムの地位を申し出、私はそれを受けた。こうして彼らはその後 15 年間、毎週月曜日(電子メール号を作る日だ)のほとんどすべてを独占することとなった。

Joe Kissell -- 私が Mac を使い始めたのは、1991 年にテキサス大学 Arlington 校の大学院で言語学を学んでいた時のことだった。それから二年の間に、私は Adam の "Internet Starter Kit for Macintosh" を読み、TidBITS の購読を始めた。そのどちらが先立ったのかは覚えていない。でも、1994 年に Nisus Software 社で働き始めた頃には、私は Adam の書いたものを相当量読んでいて、彼のことをまさに有名人そのものだと見なすようになっていた。

次の年の 1 月に、私は初めてサンフランシスコの Macworld Expo に行った。そこで同僚の一人に Adam を紹介され、Adam が Nisus Writer のファンだと知ったとき、私はスターに会えた気持ちで有頂天になった。彼は著名な著述家で、私のお気に入りのコンピュータについて何でも知っているらしく、彼に比べれば私なんか初心者に過ぎなかった。

それから一年後、私は初めての本 "The Nisus Way" を書き終えたところだった。二度目の Macworld Expo で Tonya に会った時、私は彼女にそのことを話した。彼女の話に私は腰を抜かしそうになった。何だか Amazon.com とかいう新しいウェブサイトがあって、そこで私が自分の本を買うように人々に勧めれば、なぜだか知らないが魔法のように私のところに余分のお金が回ってくるというのだ。二ヵ月ほどして、Tonya が私の本のレビュー (1996 年 3 月 18 日の記事“私は Joe の本です”) を TidBITS に書いてくれた。私は彼女に自分の母でもこれほど好意的なレビューを書けなかっただろうと言い、感謝の印としてぜひミルクシェークを一杯おごらせてほしいと申し出た。(Tonya、あのミルクシェークはまだおごらせてもらっていないと思う!)

数年後、休暇旅行でパリに行った折に、当時ガールフレンドだった Morgen に、私はいつか TidBITS に記事を書くことが自分の目標だと言った。そして、さらにいつか、もし幸運があれば、Macworld にも記事を書きたいと言った。その時までに私は既に本を二冊出版していたけれど、TidBITS に記事を書くことは私にとって背伸びのようなもので、自分にその資格があるかどうか自信がなかった。Kensington 社で五年間仕事をした後、私は三冊目にあたる本を書いた。この本が出版されたのは 2003 年の初めで、Adam が親切にも本の序文を書いてくれた。その関係もあり、ついに私は初めての TidBITS 記事 (2010 年 8 月 25 日の“Salling Clicker を活用する”)を書くに至った。さらにその数ヵ月後、Take Control 電子ブックの発足にも関係することとなった。そうして、その関係で Macworld から記事を書いてくれないかという依頼さえ受けた。その後の年月、どちらの出版社も、ひっきりなしに何か書いてくれと私に言ってくるようになり、私に "senior" (上級) という単語の付いた肩書きを付けてくれた。だから、私は書き続けてきた。今でも私は、ただ単にごく近くに立っていただけ(としか思えないのだが)のことで TidBITS の渦の中に吸い込まれた自分の幸運に、ちょっと目眩のような思いのすることがある。

Rich Mogull -- 私は最も最近 TidBITS スタッフに加わった者の一人かもしれないが、本名を伏せて TidBITS とつき合い始めたのはおそらく私だけだろうと思う。

私はちょっとしたギークだ。私にとってテクノロジーとプログラミングの日々が始まったのは 1980 年代初頭、小学校にあった Commodore PET がきっかけだった。また、ちょっと金持ちの両親を持つ同級生がいて、彼の自宅に (機種は覚えていないが) Apple II があったことも幸運だった。私たちはそれで数え切れない時間を費やして Wizardry や Olympic Decathlon で遊び、時々はプログラミングもした。

さて、時代は 2005 年にジャンプする。私は Gartner 社のセキュリティチームでアナリストとして働いていたが、まだ Mac を持ったことがなかった。初代の PowerBook から第1世代の iMac まで、よだれを垂らして眺めていたものだが、自分のものにしたことはなかった。子供の頃からの友だちで長年の Apple ユーザーでもある Chris Pepper が、顔を見るたびに私に思い切って切り替えろよと勧めるものだから、Mac mini が発売されて十分リスクの低い投資だと思えるのを見た時、私はようやく Mac に乗り換えた。Chris の勧めに従って私は TidBITS を購読し、Mac OS X について学ぶために Take Control 電子ブックも何冊か買った。

それから数週間もしないうちに、私は Mac mini がもう私のメインのコンピュータとなっていることに気付いた。私は AppleScript でのプログラミングさえ始めていた。そのため大いに依存していた Matt Neuburg の本 "AppleScript: The Definitive Guide" にはページを折って印を付けた個所がみるみる増えて行った。Apple が CPU を Intel に移行させると発表したことで Windows を Mac 上で仮想化して使えるようになり、転向の速度はさらに増した。

業界アナリストとして私はテクノロジー関係の文章をかなり多数書いていたが、それらはすべて個人的でないものばかりだった。この頃に Chris はいくつかの記事を TidBITS に寄稿していたので、私は彼に頼んで、私の「転向者体験」を記事にするというのはどうかとそれとなく Adam に探りを入れてもらった。ただ一つ問題があって、私の職業の必要上、記事はペンネームで書かねばならず、私の本名は秘密にしておかねばならなかった。

Adam はその提案を気に入ったようで、こうして私の初めての TidBITS 記事が実現した。(2006 年 3 月 13 日の“iPod から MacBook Pro へ: 乗り換え体験記”だ。) それから一年間に、私はさらにあと三つの TidBITS 記事をペンネーム "Robert Movin" で書いた。2007 年 8 月に私は仕事を辞め、自分で会社を設立したので、時々書く TidBITS 記事に本名を使えるようになった。

Macworld Expo が近づいたので、私は Adam に電子メールを書いて、プレス用のパスを申請するために TidBITS を照会先に使ってよいかと尋ねた。すぐには返事が返ってこなかった(これは Adam にしては珍しいことだ)ので、私は彼が気を悪くしたのかと思った。こっそりともう一度尋ねてみたところ、彼からスタッフの身分のオファーがあって私は心底驚いた。私は彼の気を悪くしたのではなかったのだ。彼はただ、私を雇い入れてはどうかという考えをチームの他のメンバーと相談していただけだった。

それからもう三年くらい経った。今も私は、このグループの一員でいられることに心から恐縮しつつ光栄なことだと思っている。

Doug McLean -- 私が初めて TidBITS のことを知ったのは、世界で最も長く続いている電子出版のことを知るにしてはとても意外な方法だった。実際の新聞の紙をめくって、求人広告を探していた時だったのだ! 私はガールフレンドと一緒に Ithaca に戻って来たばかりで、それは彼女が Cornell で修士の学位を取るための勉強を始めるためだった。その求人広告には、Apple に焦点を置いてコンピュータに関する文章を書いたり編集したりする仕事だと書いてあった。ボストン近くの小さな美術大学で Mac ベースのネットワークを管理する仕事を辞めてきたばかりだったので、これは私にぴったりの仕事に思えた。

Tonya との電話で陽気な言葉を交わしてインタビューを済ませ、サンプルの文章を提出した後、私は近所のコーヒーショップで Tonya と Adam の前に面と向かって座った。これこそ私が今までに受けた就職面接の中で最高のものだった。いや、合格すること間違いないと思ったからではない。そうではなくて、実際とても楽しくて興味をそそる会話が持てたからだ。Facebook と Twitter のどちらが良いか、Steve Jobs の功績と人柄、さらには美術についての話題までも話しているうちに、あっという間に一時間が過ぎた。(Adam と Tonya は二人とも非常に興味を持ってくれたし、それに私は大学で美術を学び、ずっとアトリエの管理も続けている。)

さて、私は幸運に恵まれて、仕事を得ることができた。TidBITS スタッフに加われたことは、私にとってこの上ない楽しみに満ちた人生経験となった。最初のころ Adam に向かって Apple の歴史について一般的な本で何か良いものはないだろうかと尋ねたことがある。すると私は Engst 家の自宅に招かれ、どっさりと本を抱えて帰ることになった。そこには Guy Kawasaki の有名な "The Macintosh Way" から、David Allen の "Getting Things Done" (自宅で仕事をする方法に悩んでいる人には大いに役立つ!)、さらには庭で大きく茂っていた果樹から採れたたくさんの桃まであった。また、私は大きな Apple イベントの会場で初めてリアルタイムの共同作業を目にして驚嘆した。他の五人の編集者たちが作業するのに合わせ、私の目の前で、記事の文字が現われたり、消えたり、別の文字に変わったりするのを眺めて私は目を丸くした。まるで、デジタルなアリ塚みたいだった。

TidBITS が存在していたうちで私が参加していたのはごく僅かの部分に過ぎないけれど、他の TidBITS クルーたちと一緒の仕事は日々私に喜びを与えてくれている。そのことに、私は何よりも大きな感謝の気持ちで一杯だ。

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TidBITS の友人たちから寄せられた 20 年分の思い出

  文: Adam C. Engst <[email protected]>
  訳: Mark Nagata <nagata@kurims.kyoto-u.ac.jp>
  訳: 大石哲伸<tedz2000@gmail.com>

私がこの 20 年間に TidBITS に関係したことで何が一番楽しかったかと思い返してみると、それはテクノロジーではない。そうではなくて、TidBITS が私の生活を最も豊かにしてくれた要素は、TidBITS のお陰で会うことができ、ともに仕事をすることのできた人たちが、独立の Mac ソフトウェア開発者から、あるいは Mac ユーザーグループのメンバー、さらには Apple 社の重役まで、Macintosh 業界のあらゆるレベルにいたということだ。

だから、ここに私は今日だけ特別のことを皆さんにお届けしようと思う。それは、私の友人たちや同僚たちだ。業界で長年知り合ってきた人たちの中から何人かを無作為に選んで、その人たちに対し、初めて TidBITS と出会ったのはどんな状況だったか、私と Tonya に会った時のことで何か記憶に残っていることはあるか、TidBITS が生活の中にどんな影響を及ぼしたか、そういうことについて一言書いてもらいたいとお願いした。

もっと大勢の人たちを含める時間がなかったことだけが悔やまれるが、もしもあなたが初めて TidBITS を見つけた時のことについて、スタッフの誰かに会ったことについて、あるいは TidBITS があなたの生活をどんな風に変えたかについて、何か面白い話をお持ちならばコメントに書き込んで頂きたい!


Andy Affleck -- 私が言わなければならないのは、ただ一言:「今回もまた私は Solitaire Till Dawn を推薦する。」わかった、わかった、冗談だよ...

Adam の本 "Internet Starter Kit for Macintosh" が出たとき、私はそれを Dartmouth 大学のブックストアで買った。(当時私は Dartmouth で働いていた。)料金を払うための行列で待つ間、私はたまたま索引をぺらぺらとめくって、そこに私の名前を発見してびっくりした。(当時、私は Andy J. Williams という名前を使っていた。)まさにショックだった! Adam は、当時私の趣味だった LISTSERV アクセスをさまざまの電子メールリストに提供するという活動を紹介して、私のことを「ホームを必要としているリソースを何でも集めてしまう阿呆」と形容していた。レジの係員はそれを聞いても何とも思わないようだったが、私はちょっと有名人になったような気がして興奮した。

その次の年の夏、例年通りボストンに旅行して Macworld Expo に行った時、私は Adam が自分の出版社ブースで本にサインを書いているところを見つけた。私は自分のバッジを裏返して名前が見えないようにしてから、彼に近づいて、できる限り「俺は笑わんぞ、絶対に譲らんぞ」という厳しい顔を作りながら、「あなたはこの本の中で私のことを阿呆と呼びましたね、私は本当に怒っています!」と言った。彼はまるで頭のおかしい人間を見るような目で私を見たが(わかった、わかった、公平に見て、私の頭がおかしかった)それから私はバッジを表に戻すと、彼は笑い出した。これが私たちの初対面だった。

たしか、私が初めて TidBITS 記事を書いたのはそれからしばらく後で、新型の LaserWriter のレビュー記事だったと思う。(1994 年 11 月 14 日の記事“LaserWriter 16/600 PS”参照。)

HyperCard 形式で出されていた時代以来、TidBITS は私の生活に欠くことのできない一部分だった。第 2,048 号になっても元気に続いていて欲しいと思うし、関係者全員に 20 歳の誕生日おめでとうと言いたい。

[Andy Affleck は Take Control 著者であり TidBITS 寄稿者でもあり、毎年年末の TidBITS ギフトガイドでトランプゲームの Solitaire Till Dawn を推薦することですっかり悪名高くなった。]


David Blatner -- TidBITS、わが旧友よ! もちろん、君がほんの小さかったころから知っているよ。1990 年代のずっと初めごろから、奇妙なやり方でフォーマットされた定期的な電子メールで届き、Macintosh のすべてに(そう、その昔は、"Mac" はもっと長い名前で呼ばれていたんだよ)興味を持つという奇妙な性癖を持っているのは自分だけでないという実感を与えてくれた。その当時のことは大して覚えておらず、混乱した私の脳のなかでモヤモヤした霧のような感じだが、ただ残っている記憶はすべて愛情に包まれたものばかりだ。そしてもちろん、私の TidBITS の記憶がどこで終わり Adam と Tonya の記憶がどこで始まるかを識別するのは難しい。(あたかも、Tron のごとく、それらの記憶が彼らの執筆活動を通じてデジタルな実在に取り込まれ、より優れた ASCII へと転化したかのように。)Adam と Tonya の自宅で、2001 年に彼らがニューヨーク州に引っ越した(涙)すぐ前に開かれた、あの素晴らしいパーティーは今もよく覚えている。私たちはカネノナルキの鉢植えを引き継いだ。(今はわが家のキッチンの中でいくつかの鉢に増えている。)Geoff Duncan とも型破りの会話を何度もしたのを覚えているが、仕事場の同僚であり友人でもある人が二人も (Glenn Fleishman と Jeff Carlson だ) 突然大きな責任を持つ編集者の職に就いたのを知った時には本当に驚いた。私はよく覚えている。文章を書いて、書き直して、編集しながら、その間いつも「私は本当にこの記事を無料でやっているのか?」と自問していたことを。それこそが TidBITS の魔法だ。私たちすべてを、子供時代に戻してくれる。皆が共同で体験を共有し合い、ほんのちょっとしたことについても友だち同士で興奮し合える。生活の中のほんの些細なことであっても、自分たちにとっては一番大切だったこと、そして今、大切であることについて。おめでとう、Adam と Tonya! 君たちに拍手を。

[David Blatner は InDesignSecrets.com の、そして Print and ePublishing カンファレンスの共同ホストの一人だ。彼は出版用ソフトウェアについての世界的なエキスパートとして広く知られている。その一方で彼は円周率について、航空学について、ユダヤ教についても記事を書いたことがある。]


Liz Castro -- 私が TidBITS を読み始めたのは 1990 年代の初頭、まだ私がバルセロナに住んで、"The Macintosh Bible" の第3版をスペイン語に翻訳していた頃だった。私にとって TidBITS は Apple の世界のニュースに関するライフラインとも言うべきものだったし、それ以来ずっと私はそのタイムリーな、正確な内容の、切っ先鋭い、今日的な意味のある文章に依存して生活してきた。記事を読んで、後になってからその記事が解決法を示していた問題点に遭遇したことが何度もあったのを覚えている。

TidBITS が進化してきた様子が私は大好きだった。初めのうちはほとんどすべてが Mac の話だったが、Apple が名前に i の付いた機器を出すようになってから、TidBITS はそれらもカバーするよう強化された。TidBITS はいつでも私が最新の情報に触れているという感覚をもたらしてくれた。まるで、私を内情に詳しい場所に居させてくれるかのように。

そして、世界が狭いことの実例を一つ。サンフランシスコの Macworld Expo で私は初めて Adam と Tonya に会ったのだが、少し会話をしているうちに、私たちの共通の友人が Ithaca に住んでいることがわかった。

おめでとう! この 20 年間をありがとう!

[Liz Castro はコンピュータ本の著者で、最もよく知られている著書 "HTML, XHTML, and CSS: Visual QuickStart Guide" は六つの版を合わせて百万冊以上売れた。]


Marshall Clow -- 私は子供たち(今は 21 歳と 19 歳だ)が小さかった頃からずっと TidBITS を読んでいた。ただしそれは、HyperCard スタックでの配布を止めてからしばらく経った後だった。記事のお陰で窮地から救われたことも何度かある。それに、誰かに向かってただ TidBITS 記事を指し示しつつ「あなたの言った問題はこれじゃないですか?」とだけ言えば用が済んで物事がスムーズに行くという経験を私は長い間に何度もした。

私の名前が TidBITS 記事の中で紹介されたことは何度かある。それは私にとってスリルだ。他の人たちから「おい、君の名前を TidBITS で見たぞ!」などと言ってもらえるからだ。でも、一番笑ったのは、ある年 TidBITS の号を受け取るとその中に私を名指したハッピーバースデイが書いてあり、それが臨時版のエイプリルフール号だった時だった。

[Marshall Clow は長年来の Mac ソフトウェア開発者で、StuffIt Deluxe から Eudora までさまざまの製品の制作に携わった。誕生日が 4 月 1 日というのは事実だ。]


Michael E. Cohen -- 初めて TidBITS を読んだのはいつかさえも思い出せないが、それはウェブの上ではなかった。なぜなら、Tim Berners-Lee は当時まだ World Wide Web を世界に向かって解き放っていなかったからだ。ぼんやりと覚えているのは、Easy View という名の Mac プログラムを使って、電子メール号の TidBITS をスクリーン上で読みやすく表示させていたことだ。それはまだ前世紀、Mac のニュースに飢えていた私たちにとって、TidBITS は素晴らしいの一言だった。それは、本当に有用で興味深いさまざまの(エヘン)情報断片 (tidbits) の、素晴らしい出所となった。言わば、ここに Mac があって、インターネットのジャングルがあり、そこに太鼓の音が響いて毎週私のメールボックスに便りが届くといった具合だった。初めて TidBITS を読んだ時から一年か二年経って、私は Adam の "Internet Starter Kit for Macintosh" を買ってきて、友人や同僚たちすべての間で回し読みした。そのきっかけは、たぶん TidBITS の号の中でその本に関する記事を読んだからだったと思う。

初めて Adam と Tonya に会ったのは(思うに、オンライン以外で二人に会ったのはその一回限りだった)2007 年のサンフランシスコでの Macworld Expo の会場だった。それは、同期について書いた私の Take Control 本の最初の版が出てから数ヵ月後のことだった。二人の印象が、電子メールや電話での印象と比べてずっと 素敵な感じだったのが記憶に残っている。もともと、私がこれまで遠隔で交流した人々の中で二人は最も素敵な人たちの中に数えられるくらいだったので、この出会った時の感じはことさら印象的だった。TidBITS の 1K 号おめでとう!

[Michael E. Cohen は同期に関する Take Control 本を三冊書いた。現在のところ、一冊あたりの駄洒落の数の最高記録を保持している。]


Colin Crawford -- 三十年以上の期間を通じ、Apple 業界は非常な高みもどん底の状態も両方経験してきた。けれども、いくらかの動揺はあったとしても、この業界にははっきりとした仲間意識が常に存在していた。それは、Apple とそのエコシステム全体がただ単に生き残るだけでなく、他のものたちをリードする高い規範を掲げ続けて行くのを見たいという欲求によって互いに結ばれていた。疑うことを知らぬ忠誠心とか、熱狂的なマニアとかではない。私たちは皆、建設的な批判を提供することによって Apple や業界の各社がより良い製品を作り出すのを助けたいという思いに駆られている。標準以下の製品が登場すれば、私たちはそのことで会社を問い詰め、それに対する反発にも何とか対処してきた。関心の焦点はいつも、何が Macintosh ユーザーのためになるかということであり、私たちに可能な最高のアドバイスを差し出すことであった。

TidBITS は、20 年にわたり、常に良心の声であり続けた。そのスタイルは決して声高なものではないが、それは信頼できる声であり、道理にかなっていて、いつも変わらぬ素晴らしい明快さとプロフェッショナルな編集の施された文章で届けられた。一言で言えば、Adam と Tonya はなくてはならぬ信頼のブランドを作り上げ、それは Mac コミュニティーに欠くことのできぬ一部分となっている。

この号に業界のさまざまな分野からこれほど多くの寄稿が集まったことは、まさしく TidBITS の及ぶ範囲の広範さと影響力の大きさとの証しとなっている。私は、これからも彼らの洞察を長く読み続けることができることを願っている。

[Colin Crawford は 1995 年から 2003 年まで Macworld Magazine の CEO であった。]


Nancy Davis -- 私は、TidBITS の背後にいる人たちを知るよりも前に TidBITS について知った。

私が初めて Peachpit で働き始めた時、私は Mac ユーザーではあったが、それほど Mac の世界に没頭していたわけではなかった。Peachpit の同僚たちが TidBITS のことを教えてくれて、すぐにそれは私にとって信頼できるニュースソースとなり、さらに重要なことには、見事に書かれた(そして編集された)文章でそのニュースを伝えてくれていた。

それから一年ほどして私は Adam と Tonya に紹介された。その頃にはもう既に二人について書かれたものをたくさん読んでいろいろなことを知っていたが、今でもはっきり思い出すのは二人に会った瞬間「この二人が Adam と Tonya のはずがない、この人たちはあまりにも若過ぎる!」と思ったことだ。二人の書いたものがあまりにも権威と信頼に溢れ、テクノロジーに対する理解に満ちていたので、無意識のうちに私は二人がもっと年配の人たちだろうと思い込んでいたのだ。こんなに若くて、あんなに幅広い経験を積んでいるなんて、あり得るのだろうか?

それから間もなく、私は Adam が書く最初の Peachpit 本の編集者に任じられた。白状しよう、私はとんでもなく怖じ気づいていた。そう、Adam が書いて Tonya が編集したら、それはブックエディターのドリームチームだ。私なんかがどうやって二人の仕事を編集することができるだろう? あの人たちと一緒に仕事をすることなんてできるのだろうか?

でも、すぐにわかったのは、彼らが実際ドリームチームであって、しかも一緒に仕事をしてこれほど楽しい人たちはいないということだった。私が彼らから学んだことが、彼らが私から学んだことより遥かに多かったことは間違いない。でも、彼らは素晴らしいパートナーであり、完璧なプロフェッショナルだ。そしていつの間にか、彼らは私の友人になっていた。彼らと一緒に仕事ができ、今後も彼らから学ぶことができて、私はとても幸運だったと思っている。毎週届く TidBITS の各号は、私の超満員の受信箱の中でさえも心躍る便りだ。そして、TidBITS のアーカイブは私にとって宝物、何かを思い出すため、情報を探すため、そして時にはただ楽しみのために、私は折に触れて開いている。

驚くべき 20 年間、おめでとう! このコミュニティーを強く保つためにあなたたちがしてくれたことすべてに、ありがとう!

[Nancy Davis は Peachpit Press の編集主幹だ。]


Sky Dayton -- 私と TidBITS や Adam との関係はずっと昔に遡る。十七年前、Adam が TidBITS に書いたアドバイスと彼の重要な著書 "Internet Starter Kit for Macintosh" の助けのお陰で、私は自分の Mac を初めてインターネットに繋ぐことができた。その後間もなく、私は EarthLink を始めることにした。私は "Internet Starter Kit" を箱単位で注文し、サインアップした EarthLink 購読者一人一人に配った。その後、Apple が EarthLink を内蔵インターネットプロバイダに選んでくれたが、それはわが社が長年 Mac に専心してきたからだった。それもこれも、すべて TidBITS から始まったのだ。

楽しい時も辛い時も、TidBITS は二十年間ずっと、Mac コミュニティーの心のよりどころであり続けてくれた。

[Sky Dayton は 1994 年に EarthLink を設立し、2001 年に Boingo Wireless を設立した。今も彼は Boingo Wireless の取締役会長だ。]


Steve Dorner -- 私が TidBITS で最もよく思い出すのは、TidBITS が Eudora を持つ人々をいかに辛抱強く助け、そしてこのプログラムをどれだけ広めてくれたかということだ。単純に、これが自分自身にとって便利に使えたからというだけの理由で。

[Steve Dorner は Eudora の原作者だ。]


Ole Eichhorn -- 私が初めて TidBITS をダウンロードしたのは CompuServe からで、たしか #7 号かそこらから、古い setext フォーマットだった。忘れもしないが、当時はまだ目新しかったインターネット電子メールなるものを使って、新しい号が出たことの通知が私のアカウント 70740,50 に届いていた。そう、その通り、私は7桁の CompuServe アカウント番号を持っていた。

それ以来、何百という TidBITS 記事に助けられて、重要なヒントを教えられたり、興味深いことを知らされたりした。Apple 製品の機種を全部見分けて、どの機種がどの機能をサポートするかを判断することが至難の業だった時代もあった。今の時代にはそんなことは到底考えられないが。思うに、私が記事を読んでいた一番の理由はソフトウェアのレビューだった。昔はソフトウェア会社が試用版を提供することも簡単にはできなかったし、それにこれはインターネットがまだない時代の話だ。ちょいと Google すればいつでもレビュー記事が読めるというようなことはなかった。TidBITS はいつも、いろいろな製品を「公正かつバランスのとれた」視点から眺めてくれた。

私にとって、TidBITS で最も驚くべきはその一貫性と長命さだ。たった今私が友人に TidBITS について話をするとすれば、それはたぶんこんな話だろう: 20 周年と 1,024 番目の号を祝うために、Adam は長年の読者の何人かに便りを送って、少し TidBITS について書いて欲しい、TidBITS について思い付く限り最も驚くべき話を語って欲しい、と頼んできたのだよ、と。

[Ole Eichhorn は Aperio の最高技術責任者だ。これまで歴任してきた身分の中には、PayPal の技術担当取締役副社長、Intuit のオンライン決済統括マネージャーなどがある。]


Akif Eyler -- 人間のスケールとしては、千というのは非常に大きな数字だ。オンライン出版で 1,024 号といえば、もはや他のどこにも比べるもののない比類なき偉業だと言えるだろう。おめでとう!

二十年は、人間の感覚では相当に長い期間だ。二十年の間たゆまずに確固とした意思を示し続けたことは、素晴らしい成果だ。ありがとう!

私は初期からの Mac ユーザーで、1987 年から 1997 まで Mac を使っていた。私は TidBITS をその発足 2 年目から知っていた。けれども、私の人生における TidBITS の重要性は、読者として、Mac ユーザーとしてのものではなかった。私は、電子出版をサポートすることを狙ったブラウズ用ツールの開発に参加していたからだ。その分野で初期に生まれたツールの一つが Easy View だった。当時、これは学術上の仕事の産物だった。「手軽に手の届くアーカイブ」に心を砕くことこそ、私たち双方を結ぶ強い絆だったのではないか。

[Akif Eyler はトルコの Istanbul の Marmara 大学でコンピュータ工学の教授をしている。Mac 世界での彼は、ファイルビューワ Easy View の開発者として知られている。長年の間、TidBITS の号をアーカイブして表示する方法として Easy View が推奨されていた。]


Dan Frakes -- 正直言って、私が初めて Adam や Tonya に会ったのがいつだったか、どうしても思い出せない。それがたった 12 年か 13 年前からのことに過ぎなかったとしても、私にははるか昔から二人をずっと知っているような気がしている。それよりさらにずっと以前から、私は二人について 知っていた。1993 年か 1994 年に私は大学のコンピュータストアで "Internet Starter Kit for Macintosh" をぺらぺらとめくって読んでいたのを思い出す。TidBITS を定期的に読むようになったのもちょうどその頃だった。

当時は、一週間(あるいはさらにもっと)古くなったものでない Mac 関係のニュースが毎週手に入るというのはまだかなり珍しいことだった。ウェブが始まって Mac 情報の主要な出所になるのはまだまだ後の時代のことだ。そうした毎週の号を Easy View を使って読んでいたのが懐かしく思い出される。ある意味、Easy View と TidBITS は初期の RSS リーダーのようなものだった。ただ、フィードのアップデートが一週間に一回しかできなかっただけだ。

それから二十年近く経った今、TidBITS は今でも盛んに活動を続けている。TidBITS で最も驚くべきことの一つは、これほどに長い間 Adam と Tonya が絶え間なく出版を続けてきたという点だ。TidBITS ウェブサイトこそ、現在ある Mac 関係のニュースアーカイブの中で切れ目なく最も古くから続いているものだろう。

けれども、私としてはこのアーカイブに個人的な思い入れもある。私は記事もいくつか TidBITS に書いてきたが、TidBITS ウェブサイトを検索してみると、読者 としての私の言葉を引用した個所がたくさん出て来た。それを眺めるだけで、私自身のテクノロジー的履歴を遡ることができる。例えば、私の名前の TidBITS への初登場は 1998 年 11 月に見つかった。(1998 年 11 月の記事“MP3 の話題”参照。)TidBITS スタッフが読者たちに MP3 オーディオに生まれかけていた新テクノロジーについていくつか質問をし、それに対する私の返答が記事に引用されていた。私は自分が 1998 年に MP3 ファイルを聴いていたとは知らなかったが、明らかに聴いていたようだ。しかも定期的に!

この話を持ち出したのは単に自分の 12 年前の言葉に興味を持ったからだけではない。それよりも、TidBITS の成功の大きな理由をこれが指し示しているからだ。Adam と Tonya は、常に TidBITS 読者たちを単なる受け身の消費者とは見ておらず、貢献者コミュニティーの一部分だと見なしているのだ。このコミュニティーが、今後さらに何年も続くことを願っている。

[Dan Frakes は Macworld の記事を書き、時々副業として Take Control の編集者や TidBITS の寄稿者となってくれている。]


Greg Friedman -- 1990 年の終わりごろ、私は Aladdin Systems の求人に応募した。この会社は、初めての商用版の StuffIt をデビューさせたばかりだった。当時、Aladdin では6人の従業員が、カリフォルニア州 Aptos にある一軒の家で会社を動かしていた。TidBITS は当時 HyperCard スタックとして発行されていた。(この HyperCard スタックは本当にクールで、私の記憶が正しければ過去の号もすべて一つのスタックに取り込んで集約していた。)多くの人たちと同様、私も自分のボーレート 2400 のモデムを使って毎週の号を Info-Mac Archives からダウンロードしていた。

ともあれ、StuffIt Deluxe 2.0 がもうすぐリリースされるという記事が TidBITS に載り、私は Aladdin で就職面接を受ける前にその記事を読んだ。私に面接をしたのは Dave Schargel、彼は Aladdin の社長であり、業界では有名な人物だった。Dave は私にどんな業界雑誌を読んでいるかと尋ねた。私は MacUser、Macworld、それに TidBITS を読んでいると答えた。実際、今度 StuffIt Deluxe 2.0 がリリースされるという TidBITS の記事を最近読んだと私は続けた。Dave は TidBITS というのはこれまで聞いたことがないと言っていたが、いずれにしても私が非常に最新情報に詳しいのでびっくりしたと彼は言い、メディアがデジタル空間へと進化して行くことを巡って私たちの話は弾み、この会話は今でも深く私の記憶に残っている。一言で言えば、私が業界で初めての職を得られたのは TidBITS のお陰なのだ。

二十年! ただただ信じられない。私たちみんな、それぞれがどんな二十年を過ごしてきたことか! TidBITS ファミリーの皆さんに、心からおめでとうと言いたい。

[Greg は現在、Microsoft の開発部マネージャーだ。彼の手掛けた製品はたくさんあるが、その中には Mac 用 Internet Explorer の最初の数個のリリースも含まれている。Microsoft の以前に彼は Aladdin Systems で働いたこともあるし、数年間 Apple で Developer Tools の開発をしていたこともある。]


Lea Galanter -- 私はヒューストンの Mac ユーザーグループのメンバーだったが、1990 年にシアトルに引っ越して、そこで Adam と Tonya にシアトルの dBug ミーティング会場で会った。Adam は私に初めて「ウェブというもの」を見せてくれた人物だった。彼は Mosaic とかいうものを使ってそれを見せてくれた。私は、心の底から感動した。細かいところまで記憶に残っている瞬間の一つだ。

私は TidBITS をその始まりからずっと読んできたと思う。今でも、定期的に TidBITS を読んでいる。私の生活の中にいくつもの Apple 製品が(ラップトップ機、iPhone、それからもうすぐ iPad)入り込んでいる現在、私にとっての TidBITS の重要性は増すばかりだ。Apple 製品について最新のニュースと大切な情報が全部一ヵ所で読めるのは、私には TidBITS 以外考えられない。

[Lea Galanter は Take Control 編集者だ。]


Jeff Ganyard -- 私が TidBITS に初めて出合った1992年に遡ろう。その頃は Apple Assistance Center を Austin, TX に立ち上げようとしている真っ最中で、これは「 System 7 アンサーライン」をその前身としていた。Apple はまだ不慣れではありましたがユーザーを直接サポートする道を切り開こうとしていた。この場所にいた同僚に、Cornell から Austin へ Apple で働くために移って来た女性がいて、彼女が私を TidBITS へ紹介してくれた。私たちは毎号を楽しみにしていた。Apple 社内では優れたトレーニングを受ける機会にも恵まれたが、TidBITS が与えてくれたものは Mac の世界で起こった事をより大きな視点で見ると言う事だった。

そうした私のキャリアの中で最初の頃に TidBITS から影響を受けたものは...

(日本語)ATypoKill Eudora ハック | MacHax Hack Contest 2001 | MacHack の 2003 年度ベスト・ハック・コンテスト | ADHOC 2004: 古いもの、新しいもの、成功の伝統は続く | さらば ADHOC よ

[ Jeff Ganyard は、最近 MacSpeech を手に入れた、Nuance Communications 社の Mac 製品開発マネージャーです。また、かつては Apple 社のインターネット・エヴァンジェリストでした。]


Jon Gotow -- TidBITS は Web ブラウザなるものが出来る前から読んでいる。- そう、とても古い。最初に TidBITS に出会ったのは Info-Mac Digest で、Adam が熱心に貢献していた。TidBITS は Mac の知識の入手元であった。TidBITS はいつも貴重な存在で、技術の詳細や背景を載せて理解を助けてくれる。Adam は技術を深く掘り下げていく度合いについて絶妙なバランスを取っている。加えて、彼は読者に対して常に率直である。- 実際私は彼に会う前でさえ、既に知人であるかのように感じていたし、彼の意見を信頼していた。

TidBITS を長い間読み続け、何回か Adam と電子メールのやり取りをした後、ある年、MacHack でついに顔を合わせた。そして、びっくりした事がある。この、忙しい、著名な Mac の専門家は座り込んで長らく私に話しかけ、Mac の世界で起こっている刺激的な出来事に関して語り、それを今はじめて発見したかのように興奮していた。とても何年もの間ずっとこうした事に従事してきたなどとと感じさせなかったのである。

数多い TidBITS の記事は何年もの間役立ってきた。思い起こせばウイルスの流行を追う記事もあったし、RAM Doubler のような賢いソフトウエアの動きを説明した貴重な記事もあった。このおかげで Mac の質問をしてくる人に対して自分を賢く見せることが出来た。最高だったのは、私を15分ばかり有名にした記事で、Adam が書いた。それは私と息子のベンが MacHack ハッキングコンテストで勝利した時の事だ。(2003年6月23日の「MacHack の 2003 年度ベスト・ハック・コンテスト」参照)。

現在でもなお、TidBiTS が違うところは、総合的な理解のしやすさである。iPad のようなものを例に取ると、この機械について調べる時に、あなたは Web サーフでいろんな場所を覗き込み、情報や意見を集める事が出来る。その一方で、TidBITS を読んで、しっかりとした、調査の行き届いた新しい情報を、信頼の置けるリンク情報と共に読む事も出来る。

[Jon Gotow は St. Clair Software の社長であり、Default Folder X と HistoryHound の開発者でもある]


John Gruber -- 私が TidBITS を読み始めたのは 1991 年で、大学での初年度だった。どのようにして始めたのか思い出せないが、Usenet グループ、comp.sys.mac.* のどれかだった事には賭けてもいい。

新人の物書きとして、Mac おたくとして、TidBITS にすぐにハマった。これは記事の対象物が理由であるというよりも、むしろ、記事自身、そして、それがどう届けられたかが理由だった。TidBITS は何年もの間、様々な形式で出版された。- ハイパーカード スタック、単純なテキストによる電子メール、Usenet のポスト、そして今は、もちろん、Web サイト。- ただ、、例外として印刷物は配布されなかった。さらに重要なのは、常に読者に対しては無償提供であった、と云う事だ。

電子的な配布が普通に行われ、たやすくコピーが入手できる現在ではあるが、TidBITS がデビューしたのは Web より前の時代である。これを考えて欲しい。さらに重要なのは、TidBITS の書き方、編集方法、洞察の水準が注意深く配慮されていて、その最初期から優れて一貫している事である。電子出版が出始めた時期には、たいてい、それに関わる人たちはデジタル コンテンツが印刷物よりも劣っていると見なしていた。TidBITS は違う。彼らの姿勢は「何かしら素晴らしいものを作ろう、それも自分たちだけで」だった。もし、TidBITS が何かしら印刷物より高品質なものを出版し、1990年初期の Mac 市場をカバーしていたら。そして、それにデジタル配信の速度が加われば、それはもっと時期を得た適切なものになっていただろう。短く云えば、TidBITS は単に「無料にしては良いもの」ではなく、「良いもの」マル、と云う存在だった。印刷物をまねようとはせず、デジタル配信でできる最良の物を伸ばそうとしてきた。

云うまでもないが、この事は私を非常に励ました。TidBITS は 後に続いた Mac 関連の出版を勇気づけ、この出版物には私の物も含まれる。その影響は現在でもすべてに渡っているし、1990年にもそうであった。(思い出してみると、あれはハイパーカードのスタックとして配布されたものだ)特定の形式にはこだわっていないが、書いている中身にはこだわっているものなのだ。

配布形式は移り変わるが、素晴らしい中身は永遠である。

[John Gruber は Daring Fireball を書いている]


Andy Ihnatko -- 誰もが聞かれれば TidBITS に出会った時の思い出があると思う。これは世代を計る試金石なのだ。そうでしょう?

このストーリーは、聞く価値がある。私は Zayre のデパートに母親とそれから、姉妹の何人かと一緒にいた。いつものように休日中の私はレコード店を回っていた。どうして、特に TidBITS を選んでハマってしまったのかは定かでない。しかし、それは色鮮やかな表紙だった。そして絵のパズルのようだった。。Mae West と W.C Fields にも気がついた。正直に云えば、表面のビニールにシールが張ってあって、中に切り絵があります、と表示されていたのだ。

誕生日を祝うためのお金でそれを買った。そして家に着くなり開けて、切り絵で遊んだ。それは TidBITS を実際に聞いた数日前の出来事だと思う。カセットプレーヤーが自分の部屋にあった。父親の仕事場からのお下がりで、靴箱のような形をしており、操作は手前にあるレバーで行う代物だった。私には階下にある家族用のステレオを触る事は許されていなかったのだ。

しかし、上の姉たちはレコードプレイヤーを持っていて、彼女たちがいない時には触る事が出来た。思い出すのはヘッドフォンをつけて床に座り、レコードプレイヤーの前で変てこな音楽を聞き入っていた事だ。この思い出は美しい。強く覚えているのは、物語のテープだったことだ。それぞれ始まりの部分があって、真ん中があって、最後がある。私は TidBITS の編集者が本当にその役を演じているのか、あるいは単に彼らが作った役柄について歌っているだけなのか迷った。

最後のトラックにはびっくりした。それは夢の形式で始まり、歩いてる場面からバスの中に乗る場面になった。公立学校に通う子供には馴染みのある光景だと思う。しかしそれは半分のところで切れ目があるように感じた。 頭では、この歌がどういうものかをわかっていたと思う。しかし、それは表面に見えるより他に何かあるように思えた。そして、後にこれを知った時に得意になった。つまり、Tonya と Adam が2つの別々の歌を作った。TidBITS を一緒に作ることになって、その歌を張り合わせて一つの物にできる事に気づいたのだ。しかし、どっちがどっちを書いたのかはいつも忘れてしまう。

なんにしろ、もしあなた方が過去にさかのぼって私に対して、Adam と Tonya を友人として数える日が来るよ、と伝えたにしても、さらに、TidBITS 記念号に祝辞を述べる事になるよ、と云ったとしても、あなたはおかしいよ、と答えるでしょう。この事は私がそのキャリアで出会った千に一つの奇跡なのです。おめでとう。お二人。

[Andy Ihnatko はシカゴの Sun-Times で技術に関して書いている。また、非常に広範な別の分野の事についても。そして、大昔から上から42番目に愛されている人として Macintosh 界に存在している]

Chuck Joiner -- TidBITS が20周年? そりゃそもそもありえるの?どんな分野で考えてみたって自分の人生では20周年なんてめったにない。たいていは、やっているうちに成長しすぎて興味を失うか、しぼんでしまうか、関係しなくなってしまうか、どこかへ行ってしまうかだ。TidBITS は特筆に値する例外だ。Adam, Tonya 、すべての関係者たちは適切さを保っているだけではなく、一貫した水準を維持しながら Apple 技術の成長、革新を記事にしている。これらの記事はユニークな形で提供されていて、技術レポート、洞察、個人的な経験を組み合わせた物になっている。そして、この事は TidBITS を早くから他と一線を画し、今に至っても、数少ない貴重な、必ず目を通すべき情報源として Apple 製品のユーザーから注目されているのである。ありがとう、すばらしい20周年へ - そして千以上の号を出して来た事へ - それらは有用で、興味深く、さらなる思考を喚起するものでした。

[Chuck Joiner は疲れを知らない指導者で MacNotables と MacVoices それから MacJury ポッドキャストに関係している]


Greg Joswiak -- ワォ、これはとてつもない事だ。TidBITS が20年になるなんて。1990年代の初め TidBITS に出会った事を、そしてそれが信じられない程タイムリーで、有益で、権威あり、しかもシャレた形の出版だと感じたことを思い出す。毎号が待ちきれず寝ないで待っていたし、愛すべき Mac コミュニティーに何が起きたのかを楽しみにしていた。気がつくと、Adam とそのチームは TidBITS の将来をとっくの昔に作り上げていて、それは「ブログ」と云う言葉をみんなが使うようになる遥か前であった。もっと大切な事は、彼らが私たちのコミュニティーを成す骨格の一部であり魂でもあった事だ。たくさんの影響をお互いに受けたし、良き友人のように良い時も悪い時も一緒に過ごした。TidBITS はいつも私たちのためにあった。捨て記事等一切なく、TidBITS の使命に忠実に最新のニュースと情報を提供し続けた。20年が過ぎてなお、TidBITS は初心を忘れる事なくタイムリーであり、有益であり、出典が確かな情報をシャレた形で出版し続けている。

おめでとう、と最初の20年に云いたい。それから、ありがとう、と TidBITS チームのすべての関係者に云いたい。

[Greg Joswiak は Apple の iPad と iPhone のプロダクトマーケティング部門の副社長である]


Paul Kafasis -- 例年 TidBITS を読んで来た。TidBITS は Mac に関する思想豊かで緻密な読み物を入手する手段である。

TidBITS で我々の製品が取り上げられる時には、誰かが時間を割いてくれて労力を使いその製品を理解しようとしてくれている。Web 上では文字通り数百のサイトがほんのちょっとのレビューを行っているが、前述のような努力はあまり見ない。TidBITS は取り上げたすべての物に対して緻密な視点を提供している。

[Paul Kafasis は Rogue Amoeba Software の CEO であり、従僕である]


Jonathan Kahn -- TidBITS に最初に出会ったのは Aladdin Systems にいた頃、1990年代の初めだった。Leonard Rosenthol が Macworld Expo で紹介してくれたのだった。さらに思い出すのは、TidBITS が我々について初めて取り上げてくれた時で、非常な光栄であったし、一体感も感じていた。TidBITS の記事で Chad Magendanz の ShrinkWrap の事を知り、このシェアウエアを買収したし、実際にこれを使って沢山のディスクイメージを作った。TidBITS がどれほど我々を助けてくれたかを思い出す。我々の製品に助言をくれたし、相談役のような立場でいてくれた。そして、Mac 業界の動向に洞察を与えてくれた。この事は StuffIt 5.0 の出荷の時には特別に役立ってくれ、彼らの助言によって .sit から .sitx 形式への転換を乗り越えたのだ。

[Jonathan Kahn は執行副社長として、あるいは Productivity & Graphics Group のゼネラルマネージャーとして Smith Micro 社にいる。その前には Aladdin Systems 社と Allume 社の社長であった]


Paul Kent -- 人々が自分達の好きな楽曲をその人生のサウンドトラックとして捉えているのと同じように、TidBITS もまた、一貫して信頼できる年代史を Apple 技術に関して紡ぎ上げて来た。Adam が初めて私の依頼で講演をしたのは Mactivity '93 の時で、"Internet Starter Kit for Macintosh" を彼が書いたすぐ後だった。後の時代に繋がるこの仕事は彼の最初の頃の印象を伝え、それはまた TidBITS とも鏡映しになっている。- いつも明快で簡潔、共感的でいて、しかし、偉ぶらない。それは家族的なコミュニティーの中で内輪の感情を生み出し、みんなが一緒になって技術の世界を探検しているような気にさせられた。18年ともう少し後、TidBITS はそのリーダシップを発揮し続け、その特異な Mac コミュニティーの精神を維持し、我々の世界を活気づけた。2048号まで突き進もう!

[Paul Kent は Mactivity カンファレンスの創始者。そして、IDG World Expo が主催する Macworld Expo のゼネラルマネージャーである。]


Shawn King -- TidBITS でこうだった, TidBITS でああだった... ぶつぶつぶつぶつ....

私の過去17年間すべては Adam Engst のおかげでこんな風に費やされた。

私は腹ぺこの貧乏大学生で、この当時の(今でもそうだが)貧弱な能力を使ってくれる仕事を探していた。しかし、私は非常に弁が立つし、説明はうまいし、コンピュータートレーナーになるべきだと誰かが云ってくれた。

「インターネットみたいなものが巨大な存在になる。そっちへ行くべきだ」

うちの地元の本屋には Adam の "Internet Starter Kit for Macintosh" が置いてあって、50カナダドルだった。ゲット。ちょっと悲しかったが、ビールを買うためのお金をはたいてそれを家に持ち帰った。週末を通してこれをむさぼり読んだ。ソフトをインストールしてみた。ブン!全く新しい世界が目の前に広がった。

この本と TidBITS に感謝したい。このおかげで私は賢く見えたし、それがどんなに難しい事だったかは私を知る人ならみんなうなづく事だろう。インターネット上で簡単に Mac ユーザーを探し、問題を解決してあげて、すばらしいソフトウエアやハードウエア、使い方や情報を教えてあげる。- すべては TidBITS から学んだ事だ。さらに良い事は、これでお金が手に入った事だ。

何年かが過ぎて、今は小さなインターネットラジオショーを始めようとしている。小銭をかき集めて Macworld Expo に行き、Adam と Tonya にも会った。我々カナダ人は普通は控えめの無口な人々として通っていて、社交的な人たちと云う文脈で語られる事がないが、Adam に対してはどのくらい自分が感謝しているか、どのくらい自分のキャリアに(彼が意識していないにしろ、知らないにしろ)役立って来たかを伝えておきたかったのだ。

Adam からは空気のように無視されると思っていたのだが、彼は10分も立ち止まって一緒に Mac の事について語った。彼は私に Tonya を紹介した。(今も私は彼女に秘かなときめきを感じている。)それから、私の新しいショーがうまく行くように、と云ってくれた。

これにはこれ以上ないくらい感激した。- 常に TidBITS のスタイルと品質には感激している。- しかし、その時にはその理由まで思い当たったのだ。つまり、Adam と Tonya 自身が感動的なのだ。彼らはすべてに情熱を吹き込み、知性を注ぎ込み、尊重をし、いまだに自分達の人生を楽しみ、活気あるものにしている。プロフェッショナルとしての立場と一個人としての立場の両方でこれを行っているのだ。

私は自分の経験や知識に誇りを持っているし、ライブ放送の最中 Adam に悪態をついた唯一の人間として誇りを持っている。そしてさらに誇りに思う事は彼らを友人と呼べる事だ。

もう20年、そのままでいてください。Adam と Tonya !

[Shawn King は Mac に関するインタネット放送である Your Mac Life のホストです。]


Ted Landau -- 私が初めて TidBITS を見つけたのがいつかは覚えていないが、間違いなくそれはずっと前のことだった。

もっとはっきり思い出せるのは、私が初めて Adam の本 "Internet Starter Kit for Macintosh" を見つけた時のことだ。私はインターネットへのメインのゲートウェイとして AOL か CompuServe を使っていた。こういうサービスを使っていた方が、この Internet Starter Kit 本に説明してあるようなごたごたと面倒な方法に従うよりもずっと 良いと私は思った。私は、Adam が何にそれほど興奮しているのか、あるいは何がこの本をそんなに人気あるものにしているのか、理解できていなかったのだ。当時の私なら、AOL とかそういったものが将来も上昇気流に乗り続け、Adam が勧めているような類いのものはじきに忘れ去られるという方に賭けたに違いない。

私の賭けを受け付ける人が誰もいなかったのは幸運だった。そうでなければ私は大金を失っていたことだろう。明らかに、Adam と Tonya の指は、ものごとが将来向かうであろう脈動を、しっかりと押さえていた。二人は今もそうしている。行く道を指し示し続けてくれた 20 年間に、おめでとう!

[Ted Landau は Macintosh トラブルシューティングの王様だ。MacFixIt を創設し、この話題で数限りない本や記事を書いてきた。彼が最も最近に書いた Take Control タイトルは "Take Control of iPhone OS 3" だ。]


Pat Lee -- 私が TidBITS を読み始めたのは 1992 年だった。私はちょうど Dantz Development に入社したところだった。ここは DiskFit Pro とバックアップソフトウェア Retrospect のメーカーで、当時は他の小規模な会社と同様、たった一つの「インターネットにアクセス可能な」電子メールアドレスのみで外の世界と繋がっていた。私たち技術サポートチームで当時一緒に働いていた Chris Holmes が、会社の中で TidBITS を全員に配布する役割を担っていた。

Retrospect や,その他ユーザーから見えない動作をする圧縮ソフトウェアについて書いた当時の TidBITS 記事(1992 年 5 月 25 日の“Retrospect and Compression Software”)を今読み返してみると、ちょっと愉快な気持ちになる。Salient の AutoDoubler とか、Alysis の More Disk Space とかいったものを使って 40 MB の (そう、MB であって GB ではない!) ハードディスクを最大限有効に使おうとしていた時代を思い出せる人は他にいるだろうか? 今は、2 TB のハードディスクがたった $150 ほどで手に入る時代なのだが。

私が最初に Tonya と Adam に会ったのは Macworld Expo で、たしか 1990 年代中ごろのことだった。それ以来、毎年 Thirsty Bear で開かれる Dantz の Macworld パーティーで二人と会うのを私は楽しみにしていて、電子メールでも連絡を取り合った。

VMware に移ってからは、2冊の "Take Control of VMware Fusion" 電子ブックで Adam、Tonya、それに Joe Kissell と共同作業ができてとても楽しかった。彼らは Mac ユーザーたちが何を求めているかを本当の意味で理解しており、私は彼らとともに VMware Fusion 顧客の皆さんたちがもっと楽になれるようお手伝いできて嬉しかった。

これからもずっと TidBITS や、Take Control 電子ブックを、それからまた Adam と Tonya が Mac ユーザーたちの暮らしをもっと良いものにするために思い付くであろう新しいアイデアを、読み続けて行けるのを楽しみにしている。

[Pat Lee は VMware 社で個人用デスクトップ製品担当重役をしている。]


Peter N Lewis -- 私が見つけた最初の Adam からの電子メールは 1993 年 8 月のものだった。彼は私と John Norstad と Steve Dorner にあてて、彼の本 "Internet Starter Kit for Macintosh" の MacTCP の章を技術的観点から編集して欲しいと頼んでいた。けれども、私が TidBITS について知ったのは 1991 年 11 月にまで遡る。それは、ある TidBITS 読者が私にあてて、私の DeHQX 2.0 が TidBITS の #95 号をデコードしようとしてエラーを出した、という報告を送ってきたからだった。[当時、TidBITS の号はまず StuffIt 圧縮され、続いて binhex 変換された HyperCard スタックだった。-Adam]

私はいつも、TidBITS に私の作品の名前が出たりレビューされたりすると幸せな気持ちになる。なぜなら、TidBITS はいつも非常な洞察力に溢れているからだ。プレスリリースを再出版するサイトはさまざまにあって、誰もがいろいろなところに名前を出してもらえるが、TidBITS には TidBITS の人たちが実際に関心を持っているプログラムしか登場しない。そこにこそ大きな価値があるのだと私は思う。私の知る限り、私が初めてレビューされたのは "Anarchie Rules" (1994 年 1 月 31 日) だった。記事の中で、Adam は URL の価値について熱弁をふるった。当時、URL はまだ新しいアイデアに過ぎなかったのだ!

その記事の中にはこんな文章もある。「いつの日か、TidBITS の中で URL を選んで、ホットキーを押すか、メニューから項目を選ぶかすれば、その瞬間にたちまち Anarchie がそのファイルを取って来てくれるようになるのを楽しみにしている。」1994 年の後半になって、Quinn と私は Adam の望みに対する答として Internet Config ユーティリティを作ったが、のちにそれは Apple によって Mac OS の内蔵機能として取り込まれた。(1994 年 12 月 5 日の記事“Internet Config Ships”参照。)

奇跡の 20 年間おめでとう! TidBITS が今も元気に活躍し続けていることは素晴らしい。悪戦苦闘している出版会社があまりにも多い時代だというのに。それこそが、質の高いジャーナリズムと不屈の精神との真の意味での証しではないか。お見事!

[Peter N Lewis は Stairways Software の創立者で、Macintosh のインターネット世界では Anarchie (その後 Interarchy となり Nolobe に買収された) や Internet Config、FTPd などのプログラムでよく知られた人物だ。彼はまた Kagi の創立の際にも中軸的な役割を果たしたし、現在はマクロユーティリティの Keyboard Maestro を出している。]

[Peter は私と初めて会ったのがいつか思い出せないと言っていたが、これは私にとって最も大切な思い出の一つなので、ぜひここに書かせてもらいたい。1994 年 6 月に、Peter は私に電子メールで、今年は Mactivity に参加するかい、行くのなら向こうで会おうじゃないかと言ってきた。私はたまたま都合が悪かったけれど、それまでに私たちはオンラインでかなりやり取りしてきていたので、まあ形だけでも礼儀を失しないようにという程度の気持ちで、もしもシアトルによることができたら(Mactivity はカリフォルニアで開かれた)どうぞ家にお立ち寄り下さいと書き送った。私は、この若いオーストラリア人が世界に名だたる屈強の旅人だということを知らなかったのだ。だから、Peter から 7 月の 12 日から 17 日の間はどうかという返事が届いて私はちょっと驚いた。誘ったのは私だったので断わることはできず、成り行きで招いてしまったけれど一度も会ったことのない人を五日間家に泊めることになったと Tonya に言ったのを今でもよく覚えている。とても実際的な彼女はその人はどのくらいの年齢でどんなものを食べるのと聞いた。(私たちと同じくらいの年で何でも食べるよと私は答えた。)その訪問は素晴らしい大成功だった。それからの年月、Peter の Mac 関係の友人たちが何人もオーストラリアからわが家を訪れて、私たちは今でもその人たちみんなと友だちだ。その縁もあって、私たち二人は 1998 年に Perth で開かれた Peter の 30 歳の誕生日パーティーにも参加したくらいだ。-Adam]


Jean MacDonald -- TidBITS のことを考える度に、去年出た二つの記事が私の念頭に浮かぶ。一つは Matt Neuburg の書いた“ClickToFlash は Safari 体験をすっきりとスマートにする”(2009 年 5 月 28 日) で、これは私のコンピュータライフを根底から変えてくれた! もはや私は ClickToFlash をインストールしてないブラウザなんか使えない。私が訪れていたいろいろのウェブページにどれほどたくさん Flash が埋め込まれていたか、私は全然知らなかった。Matt の記事は、ClickToFlash がどのように働くか、インストールはどうするかを見事に説明してくれたので、私は知っている人すべてに記事のリンクを送った。そして、本当に大勢の人たちから感謝の言葉をもらった。

もう一つはもっと気軽な話題で、Jeff Carlson と Glenn Fleishman がエイプリルフールの日の記事で私たちの会社を取り上げてみたいと申し出てくれたのがとても愉快だった。彼らの案は、SmileOnMyMac 社の創設者二人が仲違いして、分裂の結果 FrownOnMyMac という会社が生まれたというものだった。もちろん私たちは一度もそんなことをしたことはない。私はその提案を Philip と Greg に伝えるのがちょっと不安だった。私たちは、会社の評判を傷付けるようなことは絶対にしないよう気を配ってきたからだ。でも、Jeff と Glenn ならうまくやってくれるだろうと信頼することにした。その結果生まれた記事、2009 年 4 月 1 日の“FrownOnMyMac が新しい Mac のニッチを満たす”は、とても面白く、それに触発されて私はその偽の会社のための偽のウェブページを作ったくらいだ。その年の Macworld で、たった一人だったが、私のところに来て Greg が会社を去ったと聞いたのだがと言った人がいた...

[Jean MacDonald は Mac ユーティリティ開発会社 SmileOnMyMac のパートナーの一人で、エイプリルフールの冗談にかけてはさっぱりと潔い人だ。]


Jim Matthews -- 私は HyperCard スタックだった頃から TidBITS を読んでいる。初めて知ったのは Info-Mac メーリングリストでだったと思う。TidBITS は Cornell から、Info-Mac は Stanford から、Eudora は Illinois 大学から、そして私は Dartmouth 大学で Fetch を開発していた。当時 Mac のインターネットコミュニティーはまだ主として大学に足場を置いての現象という段階で、やっと広い世界に足を踏み出そうとしていたところだった。

その急拡張を可能にした大きな要素の一つが、Adam の著書 "Internet Starter Kit for Macintosh" だった。それ以前にもインターネット本は他に二冊ほどあったが、ネットに乗り込むために必要なものすべてを与えてくれたのは Adam の本が最初だった。必要な知識と、導いてくれる手助け、そしてソフトウェア、あの見つけにくかった Apple の MacTCP ソフトウェアまで付いていた! Borders 書店の棚に "Internet Starter Kit for Macintosh" を見つけたのは私にとって天のお告げに等しかった。それは、世界が変わろうとしていることの、疑う余地のない兆しだった。

ずっと変わっていないことの一つは TidBITS のジャーナリズムに対する姿勢だ。驚くほどに入念で、忍耐強く、わかりにくい支離滅裂な世界を明快に説明しようという意思に貫かれている。TidBITS は、インターネットの宝物だ。

[Jim Matthews が生み出したのは Fetch、これは Mac 用のものとしては最初のファイル転送プログラムの一つだ。彼は 1989 年に Dartmouth College で働きながらこれを作った。2000 年に "Who Wants to Be a Millionaire" (クイズ$ミリオネア) に出場して賞金を得た Jim は、賞金の一部で Fetch のソースコードを Dartmouth から買い取り、Fetch Softworks 社を設立した。]


Kirk McElhearn -- 私は 1991 年に初めて Mac を買った。PowerBook 100 だ。その後間もなく、フランス語の Mac 雑誌を買い始めた。(私はフランスに住んでいる。)その雑誌には、フリーウェアやシェアウェアの入ったフロッピーディスクが付属していた。毎号、その中に TidBITS が含まれていた。この TidBITS を読みたいというのを一つの動機として、私は何年もこの雑誌を買い続けた。その雑誌自体の中では報道されていない最新の情報を、TidBITS がいつも伝え続けてくれた。

それから何年かして、私は TidBITS に記事を寄稿し始めた。その記事の一つをきっかけとして Macworld 編集者が私に連絡してきて、私が TidBITS でレビューしたプログラムについて Macworld に記事を書いてくれないかと頼まれた。それ以来、私は Macworld の上級寄稿者となった。だから、TidBITS こそが、そして Adam が個人的にこの Macworld との繋がりを作る助けをしてくれたことこそが、私のライターとしてのキャリアの道を開いてくれたのだと思う。

私は以前ほど頻繁に TidBITS に寄稿しなくなってしまったが、読むことは必ず毎週している。そして、TidBITS が Mac ユーザーにとって必読の読み物であるという実感をいつも新たにしている。

Adam と Tonya、20 周年おめでとう!

[Kirk McElhearn は何冊かの Take Control タイトルと、数え切れない Macworld 記事、さまざまの印刷書籍を執筆している。]


Don Mayer -- 私は TidBITS をその 20 年間ほとんどすべてにわたって読んできた。その信じられないほど有益なヒント、分析やレビューの記事に加えて、TidBITS は私自身の電子ニュースレター Kibbles & Bytes を発刊する際に直接の役割を果たしてくれた。ご存じの通り、Adam は Tonya はそのしばらく前に DealBITS を続けていて、スポンサーの一員としてわが社も何度か TidBITS 読者のための提供をしたことがあった。彼らが当時の形態での DealBITS を一次休止にすると決めたとき、私は自分で週刊のニュースレターを始めることにした。その後は自然の成り行きで、Small Dog Electronics がそのニュースレターを Kibbles & Bytes と名付け、これが 25,000 人の購読者を持つに至り、12 年後の今ではわが社のビジネスの重要な部分を占めるようになっている。

ハッピーバースデー、TidBITS、君は最高だ!

[Don Mayer は Small Dog Electronics の CEO だが、この文章を彼は香港に旅行中自分の iPad から投稿してくれた。]


Kee Nethery -- Hayes 製のボーレート 2400 モデムを使っていたその昔、私が初めて TidBITS と出会ったのは BMUG (Berkeley Macintosh Users Group) でもらったフロッピーディスクからだった。当時、ビット情報のメディアを配布する主要な手段はフロッピーディスクだったのだ。私の身を守ってくれた最初の TidBITS 記事が何だったかを特定するのは難しいことだ。今日、このオンライン検索の時代においても、吟味の行き届いた Macintosh 情報の源として TidBITS がそこにいてくれることの価値は何物にも代え難い。私にとって TidBITS は基本的に初めての Macintosh ブログであり、ブログという言葉すら発明されていなかった前から、所詮人間たる私たちの前にインターネットが登場するよりも前からそこにいてくれた。

初期の時代、TidBITS は Mac 関係の新しいことについて詳細を知るためには一番の、最高の情報源だった。Twitter やその他の現代的発展に伴って今では TidBITS が第一のニュース源ということはなくなったかもしれないが、有益な情報の最高の組み合わせであることは今も変わらない。TidBITS は、状況がこれまではどうだったか、現在はどうか、それがテクノロジーに与えるインパクトは何か、テクノロジーがユーザーに与えるインパクトは、そしてその状況に対処するために開発者が何を試みているか、そういったことを説明してくれる。Sound Bite News、言葉の抜粋を繋げただけのニュースが溢れるこの世界の中で、TidBITS 記事は実際に効果的に使うことのできる情報を届けてくれるのだ。

[Kee Nethery は Kagi の CEO だ。彼は Apple を退社したのち 1994 年にこの eコマース会社を創設した。Apple 在籍中、彼はウェブのための Internet Server Solution を策定し遂行した。]


Alan Oppenheimer -- 昔のことを思い出すのはなかなか難しいが、たしか私が TidBITS のことを初めて知ったのは Adam に会った時だった。あとから考えると当時の私は Apple 社の中で何となく孤立していて、一般の Mac コミュニティーに出て行くこともあまりなかった。もちろん、例えば IETF でワーキンググループを運営したり WWDC で講演したりということはあったのだが。だから、私が現実世界の視点を得ることができたのは Apple 社を去って Open Door を創設した時以後だった。1995 年 1 月の初めに、Macworld Expo で私は Adam と TidBITS に会った。ちょうどそれは、私が ARA ベースのダイヤルアップインターネットアクセスをするために Open Door を始めたところだった。ショウの会場にいた誰かが、たぶん Apple での同僚だった Kee Nethery だったのではないかと思うが、TidBITS と、Adam、それに Netter's Dinner のことを教えてくれた。驚かないで欲しい。それは私が初めて Eudora のことを聞き知った時でもあったと思う! Apple 社の外に出ることによって、私には文字通り全く新しい世界が開けたのだ。

わが社の製品も何度か TidBITS にレビューされ、それは確かに助けとなった。ただ単に製品について多くの人々に知ってもらえるからのみならず、TidBITS に、そしてその読者たちに、認めてもらえるというのは嬉しいことだから。

TidBITS には、今後も Apple とともに進化して行ってもらいたい。これまで通り、iPhone や iPad ももっと扱うようにして欲しい。スタッフ全員に iPad を提供するスポンサーとなった読者がいたが、あれは本当に素晴らしいことだ。きっと最高の気分だったに違いない。

[Alan Oppenheimer は Open Door Networks の社長であり創設者だ。彼は AppleTalk を生み出したチームの一員でもある。]


Naomi Pearce -- インターネットがまだ「ウェブ」ではなく基本的にテキストのみだった時代、テキストファイル、電子メール、そういったものだけの時代を覚えておられるだろうか? TidBITS は興味深いテキストの塊として発足し、それは私にとっていわばバイブルとなった。何度も何度も使い続けられる検索可能な情報源となり、信頼できるものとなった。裏方としてライターたちとともに働くのは簡単な仕事ではない。TidBITS のライターたちは難問を投げかけてくる。でも、それこそが正しいアプローチに他ならないのだ。

Take Control も、やはりとても有益だった。今でも私は Intel の従業員番号 #4 (Les Vadasz) がなぜ私のメールボックスに Mac への乗り換えについての質問を届けて来たのか理解できないでいるが、自分の知っていることが底をついて私が壁にぶち当たった時、助けとなってくれたのが Take Control 電子ブックだった。それに、価格もちょうど手頃なギフトにぴったりだから。

もうずっと昔、私に白髪が一本もなく、子供たちもなく、GeekCruise より前、ずうっと昔の Jerry Garcia がまだ生きていた頃に、Adam と Tonya に会ったのを覚えている。そうね、あれはまだ Bill Graham も生きていた時代だから、そんなに昔のことは覚えちゃいないわね。その当時のインターネットはテキストの塊を高速で届けてくれるもので、ウェブとかビデオとかの需要にはまだ関係していない時代だった。そういうテキストの塊は、それぞれにちょっとした情報の断片だった。当時は、それを短いものに限りなさいとか、「短い」とは 140 文字以内のことだよとか、誰も命令する必要がなかった。でも今は、時代を経て TidBITS には有益な情報断片 (tidbits) が何億万と集まり、それは毎週アップデートされると 同時に 緊急に検索したい時には何万という個別の記事にわたって調べられる保管庫ともなっている。振り返って回想してみれば、それで初めて長い時間が経ったような感覚が湧き出してくる。そして突然、あの Steve Martin の名言「こういう家のいくつかは二十歳を過ぎてるんだぞ」が、面白くもあり、面白くもなく、思えてくるのだ。

[Naomi Pearce は Pearce Communications のオーナーだ。この会社は Macintosh 業界の中で最も尊敬されるPR会社の一つだ。]


Chris Pepper -- 私の感覚の中では、TidBITS は Usenet、Info-Mac、それから Eudora と表裏一体の存在だ。この四つのうち、少なくとも一つが現在まで生き残り繁栄を続けてきたのは嬉しいことだ。初めて TidBITS に出会った時のことは覚えていないが、1992 年から 1995 年までの期間 Rockefeller 大学で高速ドットマトリクス・ラインプリンタ(あの幅広く緑と白の縞の用紙だ)を使って TidBITS や Info-Mac Digest を印刷していたのは覚えている。私の最初の職業、Mac サポートの仕事上、それは欠くことのできないことだった。

一番思い出に残っている TidBITS の記憶は、Adam が私に求人情報を TidBITS Talk に載せさせてくれた時のことで、私はその求人枠を埋めることができただけでなく、その過程で素晴らしい友人を二人も得ることができた。私の名前が記事に登場するのを見るのもとても嬉しいことだった。 TidBITS に記事を書く,よりも、(まれなことだが)自分のことが記事に載る方がワクワクして快い驚きに満ちている。もちろん記事を書く方が重大事だが、ずっとたくさんの作業を必要とする! 一番ヒヤヒヤしたのは、家族に対する技術サポートの記事で親戚たちのことを注意深く、けれども正直に、書きつづった時のことだった。(2007 年 4 月 23 日の記事“InterviewBITS: 家族的技術サポート”参照。)

TidBITS は今も私の知る限り Mac 関係の最高の情報源で、それは長年の輝かしい歴史に裏打ちされている。読者の多くはどれほど並外れたものであるかに気付いていないけれど、TidBITS は出版の世界に新しい分野を切り開いたのだ。

[Chris Pepper はニューヨーク市在住のシステム管理者で、長年にわたり数多くの記事を TidBITS に寄稿するとともに、彼の鋭い目は多くの TidBITS 記事でタイプミスやその他の誤りを大幅に減らす役に立ってくれている。彼はまた数多くの Take Control 電子ブックに対してフィードバックを寄せてくれた。]


David Pogue -- TidBITS #1024 おめでとう! 私はいつも、TidBITS の深い洞察、技術的正確さ、慎重に考え抜かれた見解を、高く評価してきた。たった一つ私が評価したくないことがある。それは、この記念日のお陰で、突然自分がどんなに年を取ったか思い知らされたことだ。 :-)

たとえそうだとしても、私は次の 1,024 号を楽しみにしている!

[David Pogue は The New York Times のテクノロジー担当コラムニストだ。]


Jeff Porten -- 私が TidBITS に気付いたのは 1990 年の末か 1991 年の初めごろ、大学院のコンピュータ・ラボでだった。初期の時代だったのでまだ HyperCard のフォーマットで、「さあ、ちょっと腰を落ち着けて前の号もすべて読もう」という気分にはなかなかなれなかった。TidBITS のフォーマットが setext に切り替わったのがいつだったか、はっきりとは思い出せないが、そうそう、私は Easy View を使ってすべてを美しいフォーマットで表示させていたのを覚えている。それに、ラボの VT100 端末の上で pine を使っても読めるというのが気に入った。なぜかは知らないが、あの手の端末は HyperCard スタックをうまく扱えないようだった。

私が初めて Adam と Tonya に会ったのは初めて Macworld Expo に行った時のことで、それはボストンで開かれた最後の Macworld Expo だった。みんなはお祭りみたいな気分で参加していたようだったが、私はいろいろな人たちに会うのがすごく楽しみだった。昼食で、私は二人の隣に座った。私の第一印象はこうだった: Tonya は背が低い、Adam は完全に狂ってる。(彼は何だか知らないがダブル距離のマラソンに出るためにトレーニングを続けていて、Ithaca にあるすべての丘を走破したが、それがスノーシューズを履いて真っ暗闇を後ろ向きに走るというやり方なのだという。少なくとも、その日私の記憶に残ったのはそんな印象だった。)

もう少し真面目に話をすると、私のもう一つの 第一印象は、私が彼らに会えて嬉しいのと同じくらい彼らが私に会って嬉しく思っているという感じで、たちまち私は初めての HyperCard スタックをダウンロードした頃からずっと彼らの友人だったような気持ちになった。

私は 1993 年に Mac とインターネットを専門とするコンサルタントの仕事を始めた。オンラインと言えば AOL か MacPPP のどちらかを意味していた、初期のクライアント増加の波に乗ったわけだ。たぶん私は 1,000 人くらいの人たちに TidBITS を購読するよう強く勧めたと思うし、その人たちの大多数に Adam の "Internet Starter Kit for Macintosh" さえあれば PowerBook を窓の外に放り投げなくて済むと勧めたものだ。私から見て TidBITS を読んだり 記事を書いたりすることの価値は昔からずっと変わらない: ここは、賢くて愉快な連中が大勢集まったクラブだからだ。

また #2,048 号でみんなに会えるのを楽しみにしている。その記念号は、ぜひ HyperCard フォーマットでリリースすべきだ。できれば、HyperCard 自体も付けた方が良い。

[Jeff Porten は数々のトレードショウで TidBITS のために移動特派員として働いてくれ、MacUser のためにブログを書いている。いつの日かきっと Take Control 本も完成させてくれるかもしれない。]


Quinn -- 私の記憶は、技術的なこと以外に関しては、いつも通り大変ぼんやりしている。けれども、古い電子メールアーカイブを掘り起こして、初めて君たちとやり取りしたのがいつだったか探してみたところ、私が TidBITS 編集者にあてて 1992 年に書いたこんな便りが見つかった。iPad のリリースで、歴史がどれほど厳密に繰り返されることになったかと、驚くべきではないか。

それは、Adam が記事 "Apple Newtons II" (1992 年 6 月 15 日) の中で書いた「数字から離れたことは確かだが、それでも Mac はコンピュータであって、誰もそうでないふりをすることはできない」という文章に対する私のコメントだった:

「それは現在は 正しいかもしれないが、1984 年の時点で Apple が意図したものは違っていたと思う。あの歴史的な広告を思い出してみるといい。そこで中心となったメッセージはこうだった:

1 月 24 日に、Apple Computer 社は Macintosh を発表します。その時、あなたには 1984 年が "1984" と違う理由が見えるでしょう。

そこには、Macintosh がコンピュータだとは書いてない。これ以外にも、Mac を本当のコンピュータにしようという意図がなかったことを示す証拠はたくさんある。起動の度に出る 'Welcome to Macintosh' というメッセージも、やはりそのことを宣言している。Macintosh は単なるハードウェアでもソフトウェアでもない。これはシステム全体 が Macintosh なのだ。これこそが Jobs のビジョン、「精神にとっての自転車」としての Macintosh だ。もちろん、ビジョンと幻覚とは紙一重なのだが。 :-)

今回デビューした Newton で、Sculley は Jobs が 1984 年にしようとしたことをそのまま 1992 年に再現しようとしている。ただ一つの問題は、はたして Sculley が Jobs よりうまくやってのけられるかどうかだ。」


Drummond Reed -- その昔の 1993 年、純粋なインターネットソフトウェア製品としては世界初のものの一つを打ち上げる全体的な戦術そのものとなってくれたこと、これも TidBITS の功績の一つだ。The Internet Adapter (TIA) は、テキスト専用の SLIP 接続しか持たないユーザーが最新式のグラフィカルな Mosaic ウェブブラウザを使えるようにしたいという問題を解決したソフトウェアだったが、これはオンラインのみで販売されていた。(製品のロックを外すためのデジタル鍵が電子メールで配送された。)

そこで、Adam が TidBITS にそのレビュー記事を書いてくれて、そこから口伝えで評判が広がれば、というのは理想的な打ち上げ戦術に思えた。そして実際、それは大成功を収めた。最初の 12 時間以内に Adam の記事は二十以上のメーリングリストにクロスポストされ、それから 6 ヵ月のうちに TIA の売上げは百万ドルを超えた。もしも Adam と Tonya と TidBITS がいなければ、今の私はインターネットのビジネスをしていられなかっただろう。

[Drummond Reed は Information Card Foundation と Open Identity Exchange の常務取締役だ。彼は、オンラインの人物特定に主眼を置いたデジタル宛名処理とリンクのテクノロジーの開拓者だ。]


Michael T. Rose -- 1990 年に、まだ経験の浅い見習いだった私は、Time Inc. の製造・流通部門に少数いたちょっと神経質な Mac 頭脳たちの一人だった。私のボスだった今は亡き Dennis A. Chesnel は、雑誌業界にもプロフェッショナル級の品質のデスクトップ出版という素晴らしき新世界を持ち込めるかどうか試してみるよう私たちをせき立てた。そして、私は Mac IIfx と NeXT Cube の両方をデスクの上に並べて押し合いへし合いさせる幸運に恵まれた。

TidBITS の号を初めて私に転送してくれたのが Dennis だったかどうかはっきり覚えていないが、ひょっとしたらそれは Fortune Magazine のデータベース主任 Chris Green だったかもしれない... とにかく、私は "setext" とは何か、苦労して調べて回ったのを覚えている。相当時間がかかった。まだ Google のない頃、それは Gopher と WAIS の時代で、ボーレート 2400 のモデムが国中をローミングしていた。PostScript のヘッダについて、RAM Doubler について、32-bit 互換性について、私は TidBITS で学んだ。SCSI のターミネーションと ADB について、プリンタ用フォントについて、INIT についても記事を読んだ。あれは役に立った。

長年の間に私の読書量は増えたり減ったりしたが、TidBITS が受信箱に届くのはいつでも心地良い瞬間だった。それを転送したり印刷したり、購読したりしたのは、知識あふれるヒントや確固たる情報がそこにあったからだ。20 年も経ったなんて、とても信じられない。

おめでとう、Tonya と Adam。おめでとう、大きく広がった TidBITS の家族たち。そして、おめでとう、忠実な読者たち。これからの二十年間に乾杯!

[Michael T. Rose は The Unofficial Apple Weblog (TUAW) の編集者だ。]


Leonard Rosenthol -- 本当にもう 20 年も経ったのかい? どうりで年を取った気がするわけだ。最初にどうやって TidBITS に遭遇したのかはっきりとは覚えていないが、どうやら私は 1990 年 7 月に Adam にあててスクリーンセーバについて書き送ったらしい。(1990 年 7 月 30 日の記事“Save Our Screens”参照。)また、記事“Macworld Impressions”(1990 年 8 月 13 日) には私たちが初めて会った時のことが記してある。それはあの熱気あふれる Macworld Boston の会場で、私は MicroPhone II のソフトウェアデモとして CompuServe 相手にしゃべっていた! あれは間違いなく私が Macworld Expo を何度も(何度も!)訪れたうち最初のものだった。その年月を通じて私たちはあちこちに出かけた。MacHack で毎日毎日眠らずに過ごした(それともあれは毎夜毎夜だったか?)のも言うまでもない。Adam と Tonya は、長年の間に私が関わったさまざまのソフトウェア製品、MicroPhone、StuffIt、CyberFinder、SITcomm、PDF Enhancer、その他もっともっとたくさんのものの、素晴らしい後ろ楯となってくれた。それらすべてに偏らない、公正なレビューを書いてくれた(私がどんなに袖の下を握らせようとしても彼らの公正さは変わらなかった!)し、そのお陰で次のバージョンではより良いソフトウェアを作ることができた。でも、言うまでもないことだが、私の一番のお気に入り記事は常に変わらず“SEx and the Single Archive”(1994 年 7 月 18 日) だ。

君たちと共に Mac 業界の成長を眺めることができたのは素晴らしいことだった。最近 10 年間私がこの業界から離れていて一番寂しく思うのはその点だ。君たちがこれからあと 20 年間続ける気が本当にあるのかどうか知らないが、君たちの人生にこれから何が起ころうとそれは素晴らしいことに違いない!

[Leonard Rosenthol は TidBITS が生まれるよりも前から Macintosh ソフトウェアの開発をしてきた。現在彼は Adobe Systems で PDF 規格の設計立案を担当している。]


Steve Sande -- 私が初めて持った Mac は 512K 機種で、それを買ったのは 1984 年の後半だった。その後 1986 年までに、私はここ Denver 地域の MAGIC と呼ばれる電子掲示版システムのシスオペをしていた。1994 年になって、WWDC で Mosaic のデモを見て、私はどうしてもこのインターネットというやつを使いたいと心に決めた。そこで早速近所の書店に足を伸ばすと、Adam Engst とかいう名前の人の書いた本が目に留まった。その本は "Internet Starter Kit for Macintosh" という名前で、それがこの奇妙なちょっとしたサイバー世界に旅する私を手引きしてくれた。そう、今は私たち皆が住んでいるこの世界に。

私が初めて訪れたウェブサイトの一つが TidBITS だった。それから今に至るまで、私はこのサイトを定期的に訪れて、ぎっしり詰まった情報と、素晴らしい文章の出所として楽しんでいる。今から五年ほど前、私は Adam と Tonya が電子ブックの出版を始めようとしていることに気付いた。そこで私は自費出版していた本を彼らに送ってみたところ、驚いたことに彼らはそれを Take Control シリーズの一冊として出版したいのだという。それから Tonya が忍耐強く私の書いたものを編集してくれて、それを通じて私はものを書くことについて今までどこでも知ることのできなかった事柄をたくさん学んだ。

TidBITS スタッフ全員の皆さん、2 の 10 乗号、おめでとう!

[Steve Sande は Take Control 著者であり、The Unofficial Apple Weblog (TUAW) のブロガーでもある。]


Greg Scown -- TidBITS 関係の出来事で私が一番嬉しかったのは、Macworld 2009 のショウのフロア、SmileOnMyMac のブースで Adam、Tonya、それに Tristan と会い、Tristan の 10 歳の誕生日をお祝いした時のことだ。長年の TidBITS 読者なので、私は Tristan について書かれたものをいろいろ読んでいた。だから彼と彼の両親が一緒にいるところに出会えて、それも Macworld のショウフロアという興味深い環境だからこそなおさら、本当に楽しいひと時だった。Tristan が、私たちのハッピーバースデーのお祝いを楽しんでくれたなら嬉しい。

[Greg Scown は Mac ユーティリティ開発会社 SmileOnMyMac の共同創立者でありパートナーだ。]


Sanford Selznick -- 私が最初に TidBITS に遭遇したのは 1875 年だった。私はミズーリの田舎で電信係として働いていた。私の記憶が正しければ、Adam が新しく発明したロールペーパーに印刷する出版システムがうまく行かなくて彼は癇癪を起こしていた。けれども当時写真について説明した TidBITS 記事が信じられないほど教育的だということで注目を集めた。忘れられない光景がある。ある日、Eadweard Muybridge その人が電報を送るために私のオフィスにやって来た。電文を書いている最中、彼はカウンターの上に置いてあった TidBITS 記事に気付いた。Muybridge が世界に向けて大発見を発表したのは、それから間もなくのことだった。馬がギャロップで走るとき、4本全ての脚が地面から離れる瞬間があるということを実証したのだ。

[訳者注: Eadweard Muybridge は、高速度撮影の技術を開発することによって 1877 年に世界初の証拠写真を撮影することに成功し、馬の走り方に関する論争に決着をつけた人物です。]

TidBITS は、電信線上にあるテクノロジー系のニュースソースとして、読者たちの信頼と、信じられないほどよく研究された内容の記事に、出典までもきちんと完備した、数少ないもののうちの一つだ。過去に TidBITS が世の中に与えてきたインパクトの大きさは誰の目にも明らかだろう。TidBITS がなければ、電報だってこの世に生まれなかったんじゃないか? でも、未来はどうなるんだろうかと思う。これから他にどんなテクノロジーが生まれてくるだろうか?

ありがとう、TidBITS!

[Sanford Selznick は、PasswordWallet シリーズのプログラムで知られる Selznick Scientific Software の創設者だ。彼はとても冗談が好きで、一度など MacHack で Adam の講演 "Hacking the Press" を聞いた後に、私たちのところへ驚くようなコーシャー・ディル・ピクルスの特大瓶を送りつけてきたことがある。]


David Shayer -- 私は、伝書鳩で送られていたころから TidBITS を読んでいた。その当時、TidBITS は毎週一回、さまざまの最新の Mac ニュースを届けてくれた。月刊の Macworld や MacUser のような雑誌ではタイムラグが大きくて、TidBITS のニュースの方がずっとタイムリーだった。

私にも、ようやく初めての TidBITS 記事を書くことができた(2003 年 11 月 24 日の記事“ディスク修復牧場の決闘”)が、あれは素晴らしかった! たちまち私は名声と一財産を築き、人々は町中で私を止めてはサインをねだるのだった。けれども Adam は私を騙していた。彼は、記事を書くなんて大して手間はかからないと言っていた。でもやってみると、記事を書くためにはたくさんの調査研究と事実確認が必要なことがわかった。[それは事実だけれど、お陰であの記事は最高に素晴らしい記事となり、膨大な数の肯定的な反応が殺到したのだから。-Adam]

私は TidBITS のニュースやレビュー記事を高く評価している。なぜなら、彼らが正直な人たちで、偏見を持っていないことを知っているからだ。おそらく、私が TidBITS で読んだ中で最も有益だった記事は、Joe Kissell が Apple の Mail プログラムを Gmail と IMAP でうまく使いこなす方法を解説してくれた記事だ。(2009 年 5 月 2 日の記事“IMAP、Gmail、Apple Mail で至福の電子メール環境を”参照。)あの記事のお陰で、たくさんの時間が節約できた。

[David "君が白いイヤーバッドを使ってるなら、君は僕のコードを走らせてる" Shayer は長年の Mac 開発者で、ファイルシステムへの深い知識で知られている。彼の代表作はローレベルディスクエディタの Sedit、ディスク修復プログラムの Public Utilities、それに Norton Utilities for Macintosh の3つのバージョンも彼が作った。]


Peter Sichel -- 私が最初に TidBITS のことを知ったのは、1993 年ごろ Digital Equipment Corporation の同僚に教えてもらった時だった。私は Digital 社で Mac を広範囲に使っていて、次第に PC に支配されつつあった会社の中で少人数の Mac ファンたちのグループの一員だった。ある日、仲間の Mac 使いたちと話していて、私たちは Mac 用のソフトウェア IP ルータがないことを嘆いていた。私たちは皆自宅に複数のマシンを持っていて、それらをインターネットに繋ぐ必要が増していた。Apple からの情報で全 Mac ユーザーの半数以上が複数台の Mac を持っていることを知っていたし、TidBITS が毎週 50,000 人以上の購読者に送られていることも知っていた。それだけの人数がきっとインターネットアクセスを持っているに違いない。ということは、ソフトウェア IP ルータに少なくとも数万件程度の需要はある、と私は結論付けた。こうして 1996 年に私は自分でそれを書き始めた。つまり、TidBITS の助けがあったからこそ、Sustainable Softworks と IPNetRouter がスタートできたのだった。

TidBITS はいつも、人々と情報を一つにすることによって Mac コミュニティーの力になってくれた。20 周年、おめでとう!

[Peter Sichel は Sustainable Softworks の創設者で、IPNetRouterX、IPNetMonitorX、IPNetTunerX、KeyClick や Phone Amego の作者だ。]


Rich Siegel -- TidBITS の電子メールニュースレターは、私がはっきりと思い出せるよりもずっと前の時代から私の持続的コンピューティング存在の重要な一部分だった。Adam によれば、私たちの初対面は「Macworld Boston のビリヤード部屋」でのパーティーだったという。ぼんやりした記憶を寄せ集めると、たぶんその会場は Jillian's で、年はおそらく 1988 年、パーティーは Symantec の主催による正式なものだったと思う。

それよりずっと強く記憶に残っているのは、Adam と Tonya が Ithaca から Boston までわざわざ何百マイルもドライブして、私たちが BBEdit の最初の商用リリースからの 10 周年を祝って開いた夕食会に出席してくれた時のことだ。あの時は楽しかったが、この二人の素晴らしい人たちがわざわざそのためだけに旅行して来てくれたことで、その楽しさがさらに増した。

その前も、その後も、その間も、私はいつも TidBITS が受信箱の中に定期的に届けてくれるニュースやレビューや分析の記事を、心楽しく読んできた。この素晴らしい二十年間に、Adam と Tonya と、すべての TidBITS スタッフと寄稿者へ、感謝とお祝いを捧げたい。また次の二十年間に乾杯!

[Rich Siegel は Bare Bones Software の創設者で、BBEdit の作者だ。]


Jason Snell -- 正直なところ、私が TidBITS のことを初めて聞いたのがいつだったかは思い出せない。大学のキャンパスの、ほぼぎっしりと人で埋まった、音の反響する大きな部屋、それがすなわちインターネットだった、あの奇妙な時代だ。たぶん私は Geoff Duncan から聞いたのだと思う。彼は Adam と Tonya の友人だった。(彼の最初の記事は、1994 年 7 月 11 日の“Life in the Fast Lane”だ。)その後彼自身が TidBITS 編集者となった。(1994 年 12 月 12 日の記事“New TidBITS Managing Editor”で発表されている。)彼はまた、私が 1991 年に始めていたインターネットベースの短編小説雑誌 InterText の共同編集者でもあった。

あの時代は、出版すべきウェブなど存在していなかった。そこで私たちは FTP、ニュースグループの記事、あるいは電子メールといった方法で InterText を配布した。そして間もなく、あの 90 年代初期に私たち以外にもう一つ、たった一つあるのが、Mac についてのニュースレターだったと知った。

それから数年後、私は MacUser の編集アシスタントをしていたが(Adam が私の名前を初めて出したのは 1994 年 6 月 20 日の記事“MacUser arrives on the Internet”だった)私はシアトル地域 Mac ユーザーグループのミーティングで同僚たち何人かと一緒に講演することを頼まれた。会社が航空運賃を負担してくれ、私たちを素敵なホテルに宿泊させてくれた。(ああ、あの時代は良かった!)それから、私は Geoff、Adam、そして Tonya と会うことができた。それこそが、美しい友情の始まりだった。その上、不思議なことにレンタカー会社が私に Miata [訳者注: マツダの2人乗りオープンカー、日本での名はユーノス・ロードスター]を割り当ててくれたので、このクレイジーな小型車で大シアトル市街を疾走しながら Tonya が夢中になって喜んでいたことを思い出す。

今の時代、私はテクノロジー全般(特に Apple)を扱うライターになって生計を立てたいという人たちからの手紙を頻繁に受け取る。彼らは、どうすればその道が開けるかと私に助言を求めてくるのだ。私が一番普通に書く答は、まずは TidBITS に入り込んでみなさい、というものだ。私が MacUser で仕事を始めた当時、私たちには文章を発表すべき場としてのウェブサイトというものはなかった。ただ、非常に限られた数の印刷されたページがあっただけだった。だから、私は自分の興味ある話題について TidBITS 記事を2つ書いた。(ありがたいことに、TidBITS の編集者たちもその話題に興味を持ってくれた。)どうやら、1995 年に私の興味を惹いたのは Macintosh 用のメーリングリストプログラム(1995 年 7 月 24 日の記事“Listの作成:Mac用リストサーバー到着”)とクラシックなビデオゲームを Mac で走らせること(1995 年 12 月 18 日の記事“レトロ・ソフトウェア:古い物全てが再び新しい”)だったらしい。

今の時代、どんな TidBITS 読者でも、Macworld や Macworld.com のページを注意してめくれば、きっと馴染みの名前がたくさん見えることに気付くだろう。TidBITS は、高い素養を持つテクノロジーライターたちを引き付ける、磁石のようなものだ。そして、私たちは彼らが TidBITS に書く素晴らしい記事を通じて、Macworld において鍵となる寄稿者たちを数多く見つけ出してきたのだ。

インターネット上にほんの数えるほどしかない出版物のうちの二つが TidBITS と InterText だった時代からだいぶ世の中が変わったというのはものすごく控えめ過ぎる表現だが、TidBITS はそうした世界の変化にきちんと適応してきた。今日では、正直に言ってしまえば、私自身は毎週の TidBITS の号をあまり読んでいない。なぜなら、そこにある記事のほとんどは既に tidbits.com で読んだからだ! でも、それは決して悪いことじゃない。定期的に届くもので情報を得たいという人もいれば、情報はウェブで出来る限り早く知りたい人もいる。私自身、月刊の印刷雑誌とウェブサイトの両方を編集している身なので、両方が兼ね備わっていることの重要性を十分理解しているつもりだ。

また次の何十年間かに幸あれ! あるいは数キロ番目の号や、何か全く新しいフォーマットが発明されるかもしれない。そのいずれにも、素晴らしい、バランスの取れた、分別ある、ごまかしのない、有益な TidBITS コンテンツが満ち満ちているだろう。

[Jason Snell は Macworld の副社長兼論説委員だ。]


Tom Standage -- 私は 1990 年代前半に Mac を使い始めた頃から TidBITS を読んできた。初めて私がインターネットにアクセスしたのは 1994 年だったはずだが、君たちはそれより前からCompuServe を使っていたんだよね? あれは、Quadra と MacWEEK の時代だった。何世紀も前さ。

私がフリーランスの報道ライターの仕事を始めた頃は、MacUser UK とか、そういったところに記事を書いていた。15 年前に、私は TidBITS にも軽量級のテキストエディタについて記事を書いたことがある。(1995 年 4 月 10 日の記事“Word 6.0 - NOT!”だ。)その後私は The Economist でメインストリームのテクノロジー系報道の仕事に移り、それからビジネス関係の報道全般へと移ったが、TidBITS は今も毎週火曜日の朝コーヒーを飲みながら読む習慣だ。年月を経た今も私はまだ Mac ユーザーで、Mac を使う家族や友人たちのための技術サポートは続けている。

おかしなことに、私は今も時々 The Economist に Apple に関する記事を書いている。一番最近では、この 1 月の iPad 特集号に記事 ("The Book of Jobs") を書いた。Glenn Fleishman も私たちの Technology Quarterly セクションに時々記事を書いている。TidBITS がもたらしてくれる Mac コミュニティーとの繋がりを、私はいつも楽しんでいる。この素晴らしい仕事を、これからも続けて欲しい! 先週号の iPad ヒントの記事はとても良かった。Mac だけでなく他の Apple 製品もカバーするように広げたやり方はとても巧みだったね。

[Tom Standage は The Economist 誌でビジネス問題エディターをしている。]


James Thomson -- 私が初めて TidBITS を知ったのは 1990 年代の初めごろ、comp.sys.mac.digest で Info-Mac Digest の投稿などと一緒に知った。若い読者たちのために説明しておくと、comp.sys.mac.digest は Usenet ニュースグループだ。君の持っている iPad で検索してみるといいよ。私は熱心な読者だった。なぜなら、オンラインの Mac 報道というものが当時ほとんどなかったからだ。

レビュー記事“Desktop Launchers, Part IV”(1995 年 5 月 22 日) の中で、Tonya は DragThing を「信頼できて、使いやすく、エレガントなアプリケーション」と評してくれた。この褒め言葉を私はとても気に入り、この言葉はそれから 15 年近く経った今でも私の DragThing ウェブサイトに残っている。今、15 年と言ったかな? そうか、どうりで自分が年を取ったという気がするわけだ... そう言えば、PCalc を最初にリリースしたのは 1991 年だったと思うが、つまり私は TidBITS にたった一年しか遅れていないということだ。

Solitaire Till Dawn で有名な Rick Holzgrafe が WWDC の後で主催したパーティーの席で、Adam と Tonya に会ったのを思い出す。まだとても小さかった Tristan が、まるでリンゴを木からちぎるように、木からレモンを取って食べていた。その横で我々はピッツァを食べながら Jason Snell、Peter Lewis、Quinn といった有名人たちと親交を温めていたものだ。あの Jason って奴、どうしてるかな?

20 周年おめでとう、そして、長年にわたる援助やサポートを、ありがとう!

[James Thomson はスコットランド在住の長年の Mac ソフトウェア開発者で、DragThing と PCalc を作っている TLA Systems 社の創設者だ。1990 年代の末ごろ、彼は Apple 社の Mac OS X Finder 開発チームにいて、Dock を最初に開発したエンジニアは彼だった。]


Neil Ticktin -- ワーォ、20 年か。TidBITS と、Adam と Tonya はあまりにも長い間風景の一部だったので、最初に会ったのがいつだったか、初めて私のレーダーが TidBITS を捉えたのがいつだったか、全然思い出せない。信じられないほどうまく書かれた文章とか、タイムリーで、信頼できて、高い品質で毎週 Apple コミュニティーの中を覗かせてくれるとか褒めることは容易い。でも、私にとって一番印象的なのは、Adam と Tonya が、そしてチームの他の面々が、人として傑出した人物であることだ。

彼らを人物として評しようとして私の頭にまず浮かぶのは、信頼できて、品格があり、正直だ、といった言葉だ。私たちがメディアで、とりわけ一般向けのメディアで、あまりにも多く見かけるのは、読者のためでなく、広告主の要求を満たすために歪曲されたコンテンツだ。そうした潮流に対して、TidBITS は断固として抵抗する。だから、私は毎号毎号に溢れる洞察を読むのを楽しみにしているのだ。

MacTech は Mac 市場で最も古い出版でありウェブサイトなのかもしれないが、TidBITS が独創的な長年来のインターネット出版の草分けであるのは明らかだ。

Adam、Tonya、そして TidBITS チームのすべての人々、おめでとう!

[Neil Ticktin は MacTech Magazine、MacTech.com、それに MacNews.com の出版者であり編集長だ。]


Elsa Travisano -- 私は TidBITS をどのくらい長い間読み続けてきただろう? 基本的に、いつまでもだ。本当に、もう二十年も経ったの?

Adam と Tonya は私の記憶する限りずっと昔から、Macintosh ユーザーコミュニティーの力強い支援者だった。私が数えられるよりもっと前の Macworld Expo からずっと、User Group University でも、Apple User Group Lounge でも、引っ張りだこの講演者だったし、いろいろなユーザーグループでニュースレターに TidBITS 記事を転載させてくれたし、気前良くて効率的な Take Control ユーザーグループプログラムのスポンサーとなって世界中のユーザーグループでレビュー用の本や抽選の賞品用の本を提供してくれた。私の運営するユーザーグループ MUG ONE から車でたった二時間のところに彼らが住んでいると知ってどんなに興奮したことか。才能きらめく Adam をニューヨーク州北部のこんな田舎に講演者として招くことができるのは千金の値打ちあることだと思うが、彼は毎年 MUG ONE で講演をしてくれるようになった。

私の思い出に残っていることはたくさんあるが、中でも気に入っているのは私が Take Control 電子ブックをレビューした中に書いた文章の一つが、今は Take Control ウェブサイトのトップページに宣伝用の引用抜粋の一つとして使われていることだ。

これからも素晴らしい TidBITS が何十年も続くことをお祈りします!

[Elsa Travisano は MUG ONE の会長であり、Apple User Group Advisory Board の議長でもある。]


Khoi Vinh -- こんなに長い年月が経ったと考えるとちょっと怖い気もするが、私はもう 16 年間も TidBITS を読んでいる。毎週電子メールで TidBITS が届くとものすごく安心した気持ちになれる。Macintosh が死の淵にあるように見えたあの暗黒の時代もあったからだ。TidBITS はその当時も素晴らしい友人としてそばにいてくれた。テクノロジーというものが優れたやり方でなされさえすればどんなことを実現できるかという私の熱情を、共有している人たちが世の中にはいるのだということを知らせて、私を元気づけてくれた。長年にわたり私はいつもいつも TidBITS に気持ちを向けるが、その度に TidBITS は何か新しいこと、何か思いがけないこと、そしていつでも、何か本当に素敵なことを、私に語りかけてくれるのだ。

おめでとう、Adam、またこの先の年月もよろしく!

[Khoi Vinh はグラフィックデザイナーであり、NYTimes.com の Design Director でもある。]


Sharon Zardetto -- あれは間違いなく Macworld Expo だったけれど、ボストンだったか、サンフランシスコだったか... あまりにも何度もあったので、みんな一緒くたになってしまう。たぶん私は "The Macintosh Bible" にサインを書いていたか、それとも MacUser ブースでぶらぶらしながらいろんな著者や編集者と雑談していたかだと思う。そこへ Adam と Tonya がやって来て、自己紹介をしてくれた。彼らはどう見てもティーンエイジャーに見えた。でも、ちゃんと数えてみると、彼らはもう少し年上だったに違いない。

私はちらっと嫉妬の感情がよぎったのを覚えている。(「うーん、もしも Mac が私の大学生時代に発明されていたとしたら、私はどんなことができていただろう!」)それから間もなく私は本屋で Adam の "Internet Starter Kit for Macintosh" を見かけて「ねえ、私はこの人と奥さんに会ったことがあるわ!」と思った。もちろん、その場で一冊買った。それほど規模の大きくない「プロの」Macintosh コミュニティーの中なのに、長年の間に物理的に面と向かって会える機会がめったにないのは驚くべきことだ。それと同じくらい驚くべきは、そしてありがたいのは、電子的にコミュニケーションができることと、そして、二人の人柄によって、Adam と Tonya がただの仕事仲間でなく、本当の友人だと感じられることだ。

初期の時代の TidBITS 出版については、プレインテキストの無料のニュースレターを、それも定期的に出すというのは、これはどんなに献身的な人の仕事だろうかと感じたことを覚えている。同時に、Mac 情報の大量のテキストを、印刷したものでなくスクリーン上で読めるのはとても奇妙な感じがした。少量のテキストならあったかって? もちろん。私は、CompuServe の Mac フォーラムのいくつかでシスオペ(システム運営担当者)をしていたから。でも、新聞記事に匹敵するくらいの分量のテキストって! そんなものは夢にも思ったことがなかった。TidBITS は私にとって、その概念を初めて見せてくれるものだった。

1,024 号って、あなたたち、ずっと前からそうなるように仕組んでたんでしょ?

[Sharon Zardetto は数版を重ねた "The Macintosh Bible" の著者として Macintosh の世界で有名だが、彼女は Take Control 電子ブックも多数書いているし、長年にわたり Mac 関係の雑誌記事を数え切れないほど書いてきた。その中にはいくつかの TidBITS 記事も含まれている。]

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TidBITS 監視リスト: 注目のアップデート、2010 年 4 月 19 日

  文: TidBITS Staff <[email protected]>
  訳: Mark Nagata <nagata@kurims.kyoto-u.ac.jp>

Mac OS X 10.6.3 Combo Update 1.1 -- Apple が Mac OS X 10.6.3 の総合アップデータ をバージョン 1.1 にアップデートした。(10.6.3 アップデートの詳細については 2010 年 3 月 29 日の記事“Mac OS X 10.6.3 アップデートが幅広い修正を実行”参照。)何が変わったのかについて Apple は一切発表していないが、これをインストールすることを考慮する必要のあるユーザーは Mac OS X 10.6.0 に対してバージョン 1.0 の Mac OS X 10.6.3 Update (ビルド 10D573) によるアップデートを施した人たちに限られる。(つまり、一から Snow Leopard を再インストールして、それから一挙に 10.6.3 へとアップデートした人だけだ。)Apple はまたごく小さな (635 KB) Mac OS X 10.6.3 Supplemental Update 1.0 も(ソフトウェア・アップデート経由のみで)その同じユーザーに向けてリリースした。この総合アップデータは Apple のサポートダウンロードページから入手可能で、Snow Leopard を一から再インストールした人にはソフトウェア・アップデートにも表示される。(無料、785.29 MB)

Mac OS X 10.6.3 Combo Update 1.1 へのコメントリンク:

Mac OS X Server 10.6.3 Combo Update 1.1 -- 上記の通り Mac OS X 10.6.3 Update の新バージョンをリリースしたのに加え、Apple は Mac OS X Server 10.6.3 用の総合アップデータも同様にアップデートした。(無料、897.32 MB)

Mac OS X Server 10.6.3 Combo Update 1.1 へのコメントリンク:

Security Update 2010-003 (Snow Leopard) -- Apple が Security Update 2010-003 (Snow Leopard)をリリースし、Mac OS X 10.6 Snow Leopard における Apple Type Services が埋め込みフォントを処理する方法に関する重大な脆弱性に対処した。悪意を持って作成されたフォントが埋め込まれている文書を表示またはダウンロードすると任意のコードが実行される可能性があった。このアップデートは、インデックスチェックを改良することでこの問題に対処している。この脆弱性を最初に実証したのは Charlie Miller で、20 日前の Pwn2Own カンファレンスにおいてであった。これは Apple としてはかなり素早い対応をしたと言えるだろう。このアップデートは Mac OS X 10.6.3 を必要とし、ソフトウェア・アップデートから、あるいは Apple サポートダウンロードページからも入手できる。(無料、6.5 MB)

Security Update 2010-003 (Snow Leopard) へのコメントリンク:

Security Update 2010-003 (Leopard) -- 上記と同じ脆弱性に対処するため、Apple は Security Update 2010-003 (Leopard-Client) もリリースした。Leopard Server 用にもほとんど同一のアップデート、Security Update 2010-003 (Leopard-Server) が出されている。このアップデートは Mac OS X 10.5.8 を必要とし、ソフトウェア・アップデートから、あるいは Apple サポートダウンロードページからも入手できる。(無料、218.6/379.5 MB)

Security Update 2010-003 (Leopard) へのコメントリンク:

Server Admin Tools 10.6.3 -- Apple は Mac OS X 10.6 Snow Leopard Server 用に最新の遠隔管理ツール、マニュアル、ユーティリティをまとめたサーバ管理ツール、Server Admin Tools 10.6.3 アップデートをリリースした。このアップデートには最新バージョンの iCal サーバユーティリティ、Podcast Composer、サーバ管理、サーバモニタ、サーバ環境設定、システムイメージユーティリティ、ワークグループマネージャ、それに Xgrid Admin が含まれている。主な変更点としては IPv6 上でのサーバ管理のパフォーマンス改善、iMac (27-インチ、late-2009) のサポート向上、ワークグループマネージャでメインのユーザ名が他のユーザ名を追加したり編集したりすると変更されてしまうという問題の修正などがある。フルのリリースノートは Apple のウェブサイトにある。(無料、236 MB)

Server Admin Tools 10.6.3 へのコメントリンク:

27-inch iMac EFI FW Update 1.0 -- Apple が 最近出した EFI ファームウェアアップデートは、クアッドコアの Intel Core i5 と Core i7 プロセッサを搭載した 27-インチ iMac を対象とし、二つのバグを修正してプロセッサ負荷の問題とディスプレイのバックライトの問題に対処する。一つ目の問題では、iMac のヘッドフォン出力用ミニジャックからオーディオ再生中にプロセッサの使用率が高くなることがあった。二つ目の問題では、電源を入れてもディスプレイのバックライトがオンにならないことがあった。このアップデートをインストールするには、インストーラが終了した後自動的に起動するアップデータアプリケーションの中の説明に従う。Intel ベースの Mac にファームウェアアップデートをインストールすることに関する詳しい情報が Apple のウェブサイトにある。このアップデートはソフトウェア・アップデートから、あるいは Apple サポートダウンロードページからも入手できる。(無料、2.1 MB)

Apple はまた 27-インチ iMac 用にマイナーな SMC ファームウェアアップデートもリリースした。詳細は発表されていないがターゲットディスプレイモードの互換性の問題に対処しているという。SMC ファームウェアアップデートを インストールすることに関する詳しい情報が Apple のウェブサイトにある。このアップデートはソフトウェア・アップデートから、あるいは Apple サポートダウンロードページからも入手できる。(無料、397 KB)

27-inch iMac EFI FW Update 1.0 へのコメントリンク:

MacBook Pro Software Update 1.3 -- 新しい MacBook Pro ラインアップを発表してからまだ数日しか経っていないが、Apple はこれらのラップトップ機のためのソフトウェアアップデートをリリースした。このアップデートはハイエンドのグラフィックスのパフォーマンスを改善し、特にリソース要求の高いビデオやゲームのアプリケーションでグラフィックスの安定性が改善される。また、詳細は発表されていないがいくつかのマイナーなバグも修正している。かなりサイズの大きなアップデートだが、15-インチおよび 17-インチのすべての mid-2010 MacBook Pro に推奨される。ソフトウェア・アップデートからも、Apple サポートダウンロードページからも入手できる。(無料、258.32 MB)

MacBook Pro Software Update 1.3 へのコメントリンク:

MobileMe Backup 3.2 -- Apple が MobileMe Backup のマイナーなアップデートをリリースし、バックアップからのリストアの信頼性を全体的に改善したという。ただし、リリースノートには具体的なことが何も記されていない。さらに、このプログラムがより効率的にディスク容量を利用できるための新機能が導入された。この機能は「リサイクル (再生利用)」と呼ばれ、要するに古いバックアップを消去してディスクスペースを回復させるものだ。ハードディスクまたは光学ディスクにバックアップする場合には簡単なスケジュールのオプションもあるが、iDisk にバックアップする場合にはバックアップのリサイクルをいつ実行するかを選ぶことができない。リサイクルをしないようユーザーが選ぶこともできる。リサイクルに関する詳しい情報が Apple のウェブサイトにある。このアップデートはソフトウェア・アップデートから、あるいは Apple サポートダウンロードページからも入手できる。(無料、6.73 MB)

MobileMe Backup 3.2 へのコメントリンク:


ExtraBITS、2010 年 4 月 19 日

  文: TidBITS Staff <[email protected]>
  訳: Mark Nagata <nagata@kurims.kyoto-u.ac.jp>

20 周年記念の記事をまとめるのに私たちは大忙しだったが、それでも少しの時間を見つけて Apple、Sprint、それにイスラエルから iPad に関係した最新ニュースをチェックすることができた。また、Tom Tomorrow の痛烈な漫画や、iPad から印刷する新しい方法の冗談提案などにクスリと笑ったり、おかしな名前の Doxie スキャナが出荷されたことに気付いたり、わがスタッフの Glenn Fleishman がオーストラリアの政界にデビューした(まあ、少なくとも引用を通じてだが)ことに声援を送ったりもした。

予想を上回る需要で iPad が不足、米国外での発売を延期 -- Apple が声明を発表し、米国において iPad に予想をはるかに超える需要が(最初の一週間だけで 500,000 台以上が販売された)あり、また iPad 3G にも数多くの予約があって、今後数週間にわたって供給が不足する事態になったと述べた。それに加えて、Apple は米国外での iPad の発売を一ヵ月延期し、5 月末とすることも発表した。予約注文の受付開始は 2010 年 5 月 10 日となる。これは良いニュースであり悪いニュースでもある。iPad がそれだけ猛烈な人気を得ているということだが、その分入手が短期的には困難になるということだ。

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Sprint、3G/4G 携帯ホットスポット用 iPad ケースを提供 -- Sprint が同社の 3G (EVDO) および 4G (WiMax) 双方対応の Overdrive 携帯ホットスポットの iPad ユーザー向けプロモーション販売を更新した。以前から 3G 対応版の iPad を買わずに済む選択肢として宣伝をしていたが、今回これに加えて iPad と Overdrive の両方を入れることのできる特製ケースの提供を始めた。このケースを入手するには、Sprint の Clearwire 部門が WiMax サービスを提供している州内にある Best Buy 店舗を訪れる必要がある。この Overdrive の本体価格は $100 で、無制限の WiMax と最大 5 GB まで(Sprint の 3G/4G カバー地域以外では 300 MB まで)の 3G サービスを月額 $50-$60 で 2 年契約しなければならない。

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Tom Tomorrow の漫画「もしも実生活がインターネットみたいなら」 -- Tom Tomorrow の連載漫画 "This Modern World" が、もしも実生活が今よりもっとインターネットに似たものになったらどうなるか、という疑問に注意を向ける。可笑しいけれど、恐ろしい!

コメントリンク: 11196

イスラエル、iPad の輸入を禁止 -- Apple の新製品 iPad が米国外であと数週間発売が延期されたなんて、このニュースに比べれば大したことじゃない。Associated Press の記事によれば、イスラエルはこの人気あるタブレット機器の輸入をすべて禁止し、さらには旅行者からも入国時に取り上げ、日毎計算で保管料金を取って差し押さえるのだという。出国の際に税関の係員が iPad を持ち主に返却する。同国の Communication Ministry によれば、iPad のワイヤレス周波数が同国の標準と非互換だという。iPad を持って身軽に旅行したいと思っているあなた、あなたが行くところすべてで iPad が歓迎されるかどうか確かめることをお忘れなく!

コメントリンク: 11194

iPad から印刷する方法 -- デザイングループ FORM の Steve Cencula に高得点を!「iPad から印刷できる最も高速で最も手軽な方法」を示した彼の冗談の写真は必見だ。

コメントリンク: 11192

クラウド指向のスキャナ Doxie が出荷開始 -- 日常生活や仕事場からできるだけ紙を減らそうと思いつつ、良いスキャナがなかなか見つからないと思っている人はいませんか? Apparent Corporation の USB 電源、携帯用書類スキャナの Doxie も一見の価値がある。私たちは今年の Macworld Expo の会場でこれのプレリリース版を初めて見た。$129 のこの機器は、出荷が開始されたばかりだが、最大 600 dpi で書類をスキャンし、その結果を Google Docs、Flickr、Evernote、Scribd、その他多くのウェブおよびローカルのアプリケーションに送ることができる。Doxie は現在米国、カナダ、E.U.、オーストラリア、日本で発売中で、Mac OS X 10.5 かそれ以降が必要だ。

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オーストラリアのブロードバンド大臣、演説で TidBITS スタッフを引用 -- わがスタッフの Glenn Fleishman の言葉が、オーストラリアの上院議員でもありブロードバンド、コミュニケーション、およびデジタル経済担当大臣の Stephen Conroy による最近の演説の中で引用された。Glenn が米国北西部のニュースサイト PubliCola に書いた記事の中で、 1900 年には電気こそが人気の焦点だったが、今日ではブロードバンドこそが人気の焦点だと形容した。オーストラリアは現在ファイバーとワイヤレスによる大胆な基盤構造を作り上げようという計画を持っており、ほとんどいたる所で高速アクセスが得られ、一般家庭の 90 パーセントがファイバー回線に繋がれる環境を実現することを目指している。

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Valid XHTML 1.0! , Let iCab smile , Another HTML-lint gateway 日本語版最終更新:2010年 4月 29日 木曜日, S. HOSOKAWA