PayBITS: 情報の価値をあなたはどう考えますか

文: Adam C. Engst <ace@tidbits.com>
訳: Mark Nagata <nagata@kurims.kyoto-u.ac.jp>

情報というものの価値をどうやって量るかについて、我々は皆、そろそろ考えるべき時に来ているのではないだろうか。今回私はその1つの方法を提案してみたい。.

情報は、時によっては非常に高い値段で人の手に渡る。例えば特定の犯罪の証拠となるような情報に高額の懸賞金がかかることもある。もっと身近な例を挙げれば、コンサルタントのような人たちは顧客に情報を伝える見返りとして1時間あたり $100 以上もの料金を取ることもあるだろう。また、高級なニュースレターの中には何百ドル、何千ドルもの年間購読料を取るようなものもある。けれども、そういうコンサルタントたちやブランド品のニュースレターなどから来る情報を内容的に見ると、果たしてそれは TidBITS とか、Macworld とか、あるいはさまざまのウェブサイトに載っている情報と比べて、それほど大幅な違いのあるものなのだろうか?

多くの場合、ほとんど違いがない、あってもごくわずか、というのが実情だろう。我々は、メッセージの価値をその伝達手段によって量ることに慣らされてしまっているのだ。ある意味では、コンサルタントに高額の時間給を払うのは彼らが情報をフィルター分けしてカスタマイズしたやり方で伝えてくれるからだ、とも言えるだろう。高級なニュースレターも同様なことを売り物にしている。大抵はそういうニュースレターはごく限られた特定の分野について一人の筆者の見方を提示しているものだ。本のペーパーバック版はハードカバー版よりも価格が安いが、内容は全く同一だ。我々が高いお金を出してハードカバー版を買うのは、いち早く本が読めるからだろう。(加えて、ハードカバーの方が少々コストの高い材質を使っているということもあるが。)我々は印刷された雑誌にお金を出して購読しているけれども、わざわざ本を買わなくても同じ内容がオンラインで無料で見つけられることもわかっている。我々は音楽 CD を買うけれども、数え切れないほどの人々がファイル共有サービスを使って無料で音楽をダウンロードしている。

さまざまに異なったビジネスモデルがあるという事実に私は何の異存も無いが、ここで一つだけ指摘しておきたいのは、これまでの伝統的なアプローチはどれも、読者が自分でコンテンツの価値を決められるような形のものではない、という事実だ。これらさまざまのアプローチのいずれも、情報それ自体とは全く別の、いろいろな属性に基づいて勝手に決められた値段が付いているのだ。よく言う諺とは裏腹に、我々は表紙を見て本の値打ちを判断してしまっている、ということだ。そろそろ我々は、見掛けに囚われることなく、中身の内容自体によって価値を量るやり方を模索しても良いのではないだろうか。

引き裂かれたビジネスモデル -- 過去数百年間にわたって、情報は何らかの形で一まとめにして配布されてきた。新聞、雑誌、レコードアルバム、ケーブルテレビのパッケージ、などのような形だ。その1つの理由は、配布に対して本来かかるコストのために、経済学上の必要性からたくさんのものを一まとめにしてきた、ということだろう。1つの記事だけを紙に印刷して配布するのと、たくさんの記事をまとめた新聞を配布するのとでは、かかる費用にそれほど大きな差がないからだ。さらに、大量消費市場のための大量生産という概念も絡んでくる。同じ製品を大量に作って多数の人々に販売せよ、という原理だ。こうして、情報に対する今やお馴染みのビジネスモデル、つまり1部いくらの販売方法、広告収入、定期購読、といった方法が自然に定着した、ということがおわかり頂けるだろう。発売部数が多ければ多いほど1冊の価格は低くすることができるので、ほんの数ドルで雑誌が買えたり、ごく安い年間購読料で定期購読できたりするわけだ。読者の数が非常に多くて読者層も目的に合ったものならば広告収入も十分大きいものとなり、無料でコンテンツを提供することも可能となってくる。

けれどもそういうビジネスモデルはいつも可能とは限らなかったし、現在でもまだ可能でない状況もある。ルネサンスの時代には芸術や音楽のほとんどがパトロンというシステムによって支えられていた。今日でも、アナリストレポートのようなものは何千ドルもすることがある。ルネサンス時代のパトロンも、今日高額なレポートを購入する人たちも、やっているのは同じことだ。つまり、コンテンツに高い価値を見出しているからこそ、彼らは高いお金を払っているわけだ。

こうした両極端を念頭に置いて、私はそれらの折衷案とも言うべきものが必要なのではないかと思う。情報の配布方法とか、伝達媒体の種類とかには無関係にコンテンツの価値自体を評価できる対価モデルであって、同時にコンテンツが自由に入手でき、かつ値段もごく安くできるようなもの、そういう新しいモデルが今こそ必要とされているのだと思う。音楽をダウンロードした時、そのミュージシャンに直接代価を支払うことができたらいいのに、という声はよく聞かれる。今回、まさにその方法を TidBITS の記事の著者について実現できるようにしてみたい。新たな世界へ足を踏み込むこの試みを、我々は“PayBITS”と名付けてみた。一言で言えば、これは読者が毎回 TidBITS の個々の記事を読むごとに、今読んだばかりのその記事の価値を読者自身が判断して、その対価を読者が直接著者に支払うことができるようにする、というシステムなのだ。

PayBITS 計画案 -- TidBITS は、読んで下さっているすべての人のために無料で提供されている。それを基にしながら、これまで我々はいくつかのビジネスモデルを試みてきた。1992 年に、TidBITS から何らかの形で収入を得なければ到底やっていけないことが明らかになった時、我々は法人スポンサープログラムを開始した。これは公共テレビ放送(「Masterpiece Theater はご覧の各社の提供でお送りします...」)のモデルに基づいていた。我々の知る限り、インターネット上の広告プログラムとしてはこれが最初のものだった。National Science Foundation の Acceptable Use Policies 基準がまだ有効であった時代にしては思いきった決断をしたものだった。その後、1999 年になって、忠実なるわが TidBITS Talk 読者たちの発案に基づいて、我々は新たに任意寄付プログラムも開始し、何と 850 人以上もの読者たちが TidBITS の財政的生き残りのために直接の個人寄付を寄せてくれた。そのうち 200 人以上の方々は継続的に寄付を寄せてくれるサポーターとなってくれた。

<http://db.tidbits.com/getbits.acgi?tbart=02995>
<http://db.tidbits.com/getbits.acgi?tbart=05565>
(日本語)<http://www.tidbits.com/tb-issues/lang/jp/TidBITS-jp-498.html#lnk2>
<http://www.tidbits.com/about/support/contributors.html>

このスポンサープログラムのおかげで、我々は財政的に続けてくることができた。ただ、そのために我々はかなりの時間を TidBITS のために費やしてこなければならなかった。他の仕事に同じだけの時間を費やしたならば我々は皆もっとずっとたくさんの収入を得られていただろうに。それから、個人寄付プログラムについては、スポンサープログラムを置き替えることができるほどの大きな金額ではないが、それでも非常にありがたい、確かな量の収入を与えてくれた。インターネット上の広告の全般的沈滞の影響を受けたことは否定し切れないが、それでも我々は何とか沈没せずに生き存えてきた。

ところで、我々がこれまで手を着けてこなかったことが1つある。それは、記事を書いてくれる著者に対して対価を支払う方法を見つけることができないか、ということだ。我々編集スタッフたちだけでもすでに標準の出版業界のスタッフよりはるかに少ない報酬に甘んじているので、そのままでは著者の人たちに回せるお金は到底残らない。ただ記事が発表されることで何らかの間接的恩恵が派生してくれれば、と願うのみである。何人かの著者たちは TidBITS に出した記事を他の雑誌の記事や、さらには本の出版プロジェクトに発展させてくれたこともある。時には我々がその仲介をしたこともあるが、もちろんそういうことはただの予期せぬボーナスと見るべきものだろう。

さて、これこそが PayBITS を導入したい理由なのだ。TidBITS の中の記事のうちふさわしいと思われるものそれぞれの末尾に、今後は数行のテキストを書き込んでインターネット上の送金サービスのリンクを付け、読者が直接にその記事の著者に対価を送金できるようにしよう、というのだ。今週号のこの記事を読まなかった読者のために PayBITS とは何かを明示する定型の1行を付ける以外は、そのテキストをどのようにするか、具体的な金額例を明示するかどうか、明示するならばその金額、どの送金サービス(PayPal や Kagi)を使うのか、などの具体的なことは著者の自由に任される。

<http://www.paypal.com/>
<http://www.kagi.com/>

もしもあなたがその記事を読んで値打ちがあると思ったり、特別におもしろいと思ったりした時、ことにその記事の内容のおかげで時間やお金の節約ができたような場合には、どうぞその著者の PayBITS リンクをクリックして著者に直接送金し、情報が現実の価値を持つものだというアイデアを具現化させるお手伝いをして頂きたい。その著者は金額の具体例を提示しているかもしれないしいないかもしれないが、いずれの場合にも送金する金額は完全にあなたの自由で、あなたがその情報にどれくらいの価値を認めたか、そのあなたの気持ちそのままの金額を、多くても少なくても構わないので、自由に選んで頂きたい。

もちろん、現実に著者にお金を送ろうという気持ちになる程その記事に価値やおもしろさを認めて下さる読者の数は、TidBITS の読者層全体から見ればごくわずかな比率になるのかも知れない。それはそれで構わないと思う。理論的には、総読者数がかなりの数にのぼるので、比率がごくわずかであってもかなりの人数が送金して下さると期待できるはずだ。言うまでもなく、現時点では著者たちは一銭ももらっていないのだから、どんな少額であっても著者たちには大歓迎のはずだ。それぞれの著者がどの程度の金額を受け取ったかについては後日著者たちに問い合わせて集計し、皆さんに報告したいと思う。その結果を見れば、どの著者の書いたどんな記事が最も有用でおもしろいと感じてもらえたのか、ということを判断する目安にもなるだろう。

問題点と困難点と -- 私はこのアイデアを数週前に TidBITS Talk に諮ってみたが、素晴しい反響をもらうことができた。(“PayBITS”という名前も TidBITS Talk 参加者の Maarten Festen が提唱してくれた。)たいていの人たちはこのアイデアに熱心に賛成してくれたが、幾人かの人たちは懸念を寄せてくれた。

<http://db.tidbits.com/getbits.acgi?tlkthrd=1696>

著者の人たちの幾人かは、自分は記事を書くことで収入を得る気は無いという意見だった。それはそれで構わない。我々は決して著者に PayBITS への参加を強制しようとは思わない。もちろん、著者が別のところへの送金に振り向けたいというのならば、それも歓迎したい。例えば、ハリウッドの圧力について書かれた先週号の Cory Doctorow の記事ならば、送金が Electronic Frontier Foundation に送られるようにする、というのも自然な考え方だろう。

<http://db.tidbits.com/getbits.acgi?tbart=06901>
(日本語)<http://www.tidbits.com/tb-issues/lang/jp/TidBITS-jp-642.html#lnk2>

何人かの人たちはこのアイデアにすっかり夢中になってしまい、一旦読者を PayBITS ページに導いてから、そのページ上での最後のクリックで適切な送金サービスに指示が送られる、というような複雑なシステムを提案してくれた。また、我々が一括して送金の流れを管理することでマイクロ送金にまつわるあらゆる問題点が解決できる、という意見を寄せてくれた人たちもいた。確かにそういったシステムを使えば便利だろうし、エレガントな解決法ではあるだろうが、私としては当面の段階では PayBITS をできるだけシンプルなものに止めておきたい。第一、我々は既に働き過ぎなのだ。インフラストラクチャを変更しようとすれば、当然それをデザインし、コードを書き、保守管理し、将来の新たなシステムとの整合性も考慮して行かねばならなくなる。今の時点では、それだけの労力は我々の手に負えない。ただ、将来の展望として考えに入れておきたいとは思っている。

PayBITS の登場によって編集方針が変わり、著者の選択が以前とは違ってくるのではないか、という懸念の声もあった。けれども私はそれほど心配することは無いと思う。我々はこれまでずっと、我々が重要と判断した記事を、選んで出版してきたからだ。仮に、PayBITS の登場の結果、人々が有用でおもしろいと思うような記事がより数多く出版されるようになったとして、それのどこに問題があるというのだろうか?

さらに別の意見としては、アイデアとしてはおもしろいのだけれども、既にある TidBITS の個人寄付プログラムへの寄付の量が相対的に減る結果になるだけではないか、という声もあった。これについても、私はそれほど心配することは無いと思う。なぜなら、寄付プログラム自体も PayBITS の下で動作し得るからだ。例えば、我々の TidBITS での活動について書いた記事(例えばこの記事自体)とか、複数の人の手で書かれた記事(例えば Macworld のスグレモノの記事など)については、PayBITS のリンクとして現存の寄付プログラムに向けたリンクを採用することにしたい。

これは非常に多かった意見だが、個々の記事についていちいち自分でその値段を考える気がしない、そんなことしたくもない、という感情を持つ人たちが一般的なようだった。いちいちそんなことをするくらいなら、TidBITS で年額いくらという風に徴収してそれを適宜著者たちに分配してもらえる方がいい、という意見だった。この意見に対しては、私は強く反論したい。読者の皆さんに情報の価値というものについて考えてもらいたい、というのがそもそもこの PayBITS という実験の根本の目的なのだ。1つの記事は、ある人にとってはまさにタイムリーでとてつもなく役に立つかも知れないし、他の人にとっては全く役に立たないかも知れない。もしも人々から我々にまとめてお金が送られてそれを我々が著者たちに分配するのだったら、従来のビジネスモデルと何ら変わらないことになってしまって、何も目新らしいことが無いではないか。第一、我々としても、余計な帳簿付けと会計処理の仕事を背負込む余裕は無いのだから。

このコンセプト自体が気に入らない、TidBITS 自体を有料購読モデルに移行させた方がましだ、あるいはこんなことを始めたら読者がどこか他所に移って行ってしまうだろう、という全般的な否定的意見もいくつかあった。有料購読モデルについては、さきほどと同じく従来のビジネスモデルの踏襲に過ぎない。それに、いくら有料購読モデルへの移行が最近のトレンドだとは言っても(このトレンドについて述べた New York Times の最近の記事もある)インターネット上では成功した例はあまり見られない。現時点では、私は TidBITS を有料購読モデルに移行させる考えは全く無い。現状を見渡せば、有料化の後で読者数を 10% 以上も繋ぎ止められたら幸運と見るべきだろう。そのようにして潜在的読者を TidBITS から引き離すようなことは、私の主義からして断じて受け入れられない。我々の目標は、昔も今も、TidBITS を可能な限りアクセスしやすいものにすることなのだ。読者が他所に移ってしまうという懸念に関しては、そもそも PayBITS の目的とは、読者が既に受け取った情報に対してその価値への対価を払うことのできる手段を提供しよう、というだけの意図のものであって、お金を払わない読者には情報を遮断しようなどというものでは決して無いのだ、とだけ言っておきたい。お金を払いたくない人には、我々は決して何も強制しようとはしていないのだ。

<http://www.nytimes.com/2002/08/01/technology/01ONLI.html>

とにかく実験を始めてみよう -- さて、コンテンツの価値の在り方についていくら机上の空論を続けても始まらない。まずは、PayBITS の実験をやってみるのが一番だろう。しばらく実験を続けてみてから、皆さんに結果を報告したいと思う。もちろん、意見や提案などがあれば、どうぞ遠慮無く TidBITS Talk に投稿して頂きたい。


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日本語版最終更新:2002年 12月 2日 月曜日, S. HOSOKAWA