TidBITS: Apple News for the Rest of Us  TidBITS#1034/05-Jul-2010

Apple が声明の中で「完全に間違っていた」という表現を使った理由をきちんと理解したい方のために、Glenn Fleishman が iPhone 4 の信号強度とアンテナをめぐる大騒動を分析する。Glenn はまた Hulu Plus を使って iOS でテレビ番組の購読をする方法を概観し、それから Adam とともにオンラインの世界で友人関係が何を意味するかを考察した記事を一つずつ寄稿する。Adam はさらに新型の Kindle DX のリリースを紹介するとともにそれが iPad とどう競合して行くかを考察し、iBookstore で購入した本を家族の間で共同利用する方法について深く検討する。それから Matt Neuburg が、iOS における高速アプリ切り替えがそもそもどのように動作するのか、そしてこれがマルチタスキングとの関係でどういう意味を持っているのかを解説する。今週注目すべきソフトウェアリリースは、HoudahSpot 3.0、Adobe Acrobat and Reader 9.3.3、WireTap Studio 1.1.1、HP/Epson Printer Drivers 2.4.1/2.4 for Mac OS X 10.6 だ。

記事:

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iPhone、信号強度バー設定が高すぎ

  文: Glenn Fleishman <[email protected]>
  訳: 亀岡孝仁<takkameoka@kif.biglobe.ne.jp>

Apple は iPhone 4 のセルラー音声とデータの受信問題の報告に耳を傾けてきたが、これらはどうもケースの平らな端の目に見えるアンテナ接続点と関係している様に見える。同社は声明をリリースし、一つから五つのバーで表示する信号強度を計算する手順が 2007 以来正しくなかったことを発見した (同社にとっても驚きだったが) と説明している。この声明には以下の素晴らしい引用も含まれている、"調査の結果、信号強度が幾つのバーに相当するのかを計算するのに我々が使っていた計算式が全く間違っていたことを発見して我々自身愕然としてしまった。"

iPhone 4 はリリースの瞬間から批判を受けてきた様に見えるが、その苦情は電話をある特定の持ち方をすると、信号強度バーが劇的に低下し、更に通話が落ちてしまう回数も増え、音声品質も低下、そしてデータのスループットも落ちると言うものであった。

この問題に関して一人の顧客に対する回答 の中で、Apple CEO の Steve Jobs は、"どうかそんな風に電話を持たないように" と言った。これはどう見たってぶっきらぼうで独りよがりの回答である様に見えるが、それ以来、他のメーカーもマニュアルや進言としてどの様に電話を持つべきかについてしばしば言及していることが持ち出されている。

念のため言っておくと、私は、他の多くの人と同様、この問題を再現できないでいるが、元々私は乾燥した手の持ち主でもある。湿気、皮膚の状態、手の大きさ、そして個々の電話のある特定の製造特性が組み合わさって信号強度の低下を招いているのではないかと言う推論も出されている。

AnandTech は、iPhone 4 のアンテナ性能を徹底調査する試みとして、ちょっとした牢破りハックを行い、画像上のバー表示に頼るのではなく試験者が信号測定に使われたデシベル値 (dBm) を見る事が出来るようにした。

批評家達は iPhone 4 のアンテナは低信号の状況下では iPhone 3GS よりもはるかに優れているが、その持ち方によっては減衰 - 障害物による信号強度の劣化に大きな違いが生じる可能性もある事を知った。

しかし筆者達はまた、彼ら自身の数字を使った測定値と iOS がバーで返してくる信号強度の間には大きな違いがある事も発見した。そしてこれが Apple がその珍しい声明の中で認めたことなのである。

Apple は、問題は最初の iPhone にまで遡る計算間違いであると言っている。信号強度のちょっとした変化で二つのバーが瞬時に消えてしまうこともあり得る。もしあなたが、通話が落ちてしまったとか、或いはネットワークのスループットが下がっているのが見えるとか言うことではなしに、表示されたものに頼っていたとすると、電話そのもの或いは AT&T のネットワークが悪いと思ってしまっていたであろう。Apple は、信号強度の表示に幾つのバーをあてがうかを計算するため AT&T によって最近進言された新しい計算式を採用する予定である。

新しい計算式により、五つではなく二つとか三つのバーという状況をより多く見ることになるであろう - これは私が、明らかに受信状態がそこそこなのに五つのバーが表示されるのは変だなと感じていたことでもある。Apple は最初の三つのバーの高さをちょっとだけ高くするとも言っている。

ちょっとひねくれた見方をすれば、私は次の様に言いたい - John Gruber が彼のちょっと NSFW (not safe for work [職場には適さない]) 翻訳 であの Apple のレターをマーケティングから英語に翻訳している様に - Apple は実際よりは優れた性能を誤って表示するアルゴリズムを好んだの明らかだと。また、数が減ってしまうバーの背を高くするのは受信状態が "より高く" 見える様にするであろう。しかしながら、しばしば二つから三つのバー分落ちてしまうことに嫌気をさす顧客のことを考えれば、このマーケティングの説明の肩を持つ気にはなかなかなれない。

来る数週間のうちに、最初の 2007 モデルを除いた全ての iPhone モデルに対してアップデートが予定されている。Apple が最初の iPhone や iPhone 3G で 3.1 のままでいるという選択をした人に対して 3.1 修正を出さないと言うのは、恥と言うものである。ひょっとすると、同社は将来もっと恥ずかしい思いをすればこの修正も出してくるのであろうか。

信号強度の表示を修正することが、"この様に持って下さい" 問題には対応しないのは、勿論である。AnandTech の批評家達は、他の人達も含めて、アンテナの上に非常に薄いコーティングを施すだけでこの問題を解決できる可能性が高いと言っている。彼らも他の人も、苦情のある人に対しては Apple はバンパーケースを無料で提供すべきだとの声を上げている。集団訴訟が既に起こされている。

Apple は言う、"iPhone 4 の無線性能は我々がこれまで出荷してきたものの中では一番である" と、そして私もそれを信じる。しかし、それは見かけだけの表現でもある。問題は、実験室の中或いは全体的に、iPhone 4 の無線性能は前のモデルよりもより良いかどうかなのではない;そうではなくて、iPhone 4 が様々な実世界の状況下でどの様に働くかなのである。

あまり受信状態の良くない状況下で、ケース無しで、ある特定の持ち方をすると明らかに性能が落ちると言う事は、技術的設計選択を多少違えて行う事はできなかったのであろうか。数層の薄い絶縁層とか或いはその他の簡単な解で、iPhone 4 は最悪の状況下でもより良く働けたのではなかろうか - それをどの様に持つかに関わりなく。

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Hulu Plus でテレビ番組購読を iOS にも

  文: Glenn Fleishman <[email protected]>
  訳: Mark Nagata <nagata@kurims.kyoto-u.ac.jp>

テレビ番組視聴の未来が、Hulu から iPhone、iPad、その他多数の機器に届けられた。Hulu Plus サービスとソフトウェアの組み合わせにより、ABC、NBC、Fox、その他の Hulu 番組が、モバイル機器や、インターネット接続されたテレビや Blu-ray プレイヤーなどに、高精細度でもたらされることとなった。もちろんただではない。月額 $9.99 だ。このサービスは現在、招待者のみのプレビュー期間となっている。

コンピュータを経由した Hulu は引き続き、そして今後も、無料であって広告により支えられる。もちろん、インターネット広告のみで通常のテレビ放送のコマーシャルに代われる収入を生み出すことはあり得ない。その違いは一対百くらいの桁かもしれない。報道によれば、有料購読版の Hulu にも広告が出るということだ。

この Hulu Plus と、従来の通常版の Hulu とで、視聴できる番組にどれだけ違いがあるかを私はまだきちんと比較して調べた訳ではないが、どうやら宣伝の目玉は Hulu Plus ならば番組のシーズン全体のエピソードすべてが観られるということらしい。現在 Hulu では現行のシーズンの各エピソードを数週間後に期限切れとしており、ずっと後になってから番組アーカイブに再掲載するようにしている。それから、地上波チャンネル以外の番組( Home や Garden Network などのいわゆる「ケーブルテレビ」)は、やはり視聴できない。これは、ケーブルテレビや衛星放送の高額な購読料金を浸食するのを避けるためだ。

月額 $9.99 という料金は、iTunes Store での購読料金を劇的に下回っている。例えば、NBC の 30 Rock を HD で観る iTunes のシーズンパスは $59.99 もする。もちろん、そちらを利用すれば番組のダウンロード版が入手でき、画質も高い上に、いつでもオフラインでアクセスできるという利点がある。デジタル強迫症に取り憑かれた人や、いつも長時間飛行機で旅行する人たちは、ファイルを手にできる方を好むだろう。けれども、とにかく番組が観られれば満足だという人で、しかも既存の Hulu サービスの特徴ともなっている抜粋やら断片やらがそこいらじゅうに散らばった地雷原をつま先立ち歩きして歩くのが嫌なら、このストリーミングサービスの価格がずっと魅力的に感じられるだろう。

有料購読サービスは、高額なケーブルテレビを止めてモバイル機器にリビングルームでの視聴を組み合わせたものへと移行したいと考えている消費者たちにも魅力あるものとなる。HD 解像度の画質がもたらされるということは、モバイル機器で観る人たちと固定機器で観る人たちの双方の気を引くことができるだろう。下りのバンド幅が少なくとも 480 Kbps あることが推奨されているが、やはり 1 Mbps かそれ以上ある方が望ましい。

Hulu Plus は、Netflix ストリーミングと組み合わせれば理想的だ。Netflix は映画の膨大な選択肢を提供しており、現行および過去のシーズンのテレビ番組も若干備えている。Netflix の料金は無制限のストリーミングができる最も安いプランで $8.99 だ。Netflix の iPad アプリは iPad のデビュー以来ずっと出ているし、iPhone アプリも近日登場予定だ。

Hulu Plus サービスは、現在のプレビュー期間で既に数多くの機器で動作すると宣伝している。特に、iOS 4 の走る iPhone 3GS と第三世代 iPod touch、iPhone 4、それに iPad で動作する。Hulu Plus はいくつかの機種の Samsung 製テレビや Blu-Ray プレイヤーとも互換だ。また、Sony および Vizio 製のテレビや Blu-Ray プレイヤー、Sony Playstation 3、Xbox 360 のサポートも将来追加される予定だ。

さらに、Hulu Plus は XP SP2 かそれ以降のすべての Windows システム、Mac OS X 10.4 かそれ以降、さまざまの種類の Linux でも使える。ただし、Flash 10.0 かそれ以降と、最近のバージョンのウェブブラウザが必要だ。

妻と私は、もう何ヵ月も前に衛星放送テレビの契約を解約して毎月 $70 ほど節約し、その代わりに Netflix、Hulu、iTunes、それからネットワーク局のサイトを使ってテレビ番組を観ている。月額 $9.99 ならば、Hulu Plus は私たちにも妥当な追加サービスに思える。ケーブルテレビや衛星放送の契約を再開するよりはずっと安く、財布に優しい値段だからだ。

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アマゾンがより安くなった Kindle DX をリリース

  文: Adam C. Engst <[email protected]>
  訳: 柳下 知昭 <tyagishi@gmail.com>

9.7-inch スクリーンの Kindle DX がリリースされてから 1 年、Amazon.com は、グラファイトカラーの筐体で、よりコントラストの高い E Ink スクリーンを搭載し、低価格となったモデルで置き換えた。

新しい Kindle DX の グラファイトケースはマイナーチェンジが施され、白いプラスチックだったケースがダークグレーに変更された。おそらく、この変更は指紋を目立たなくするだろうが、もしかすると初期モデルとの違いをつくるためのその場しのぎの変更かもしれない。より暗い色のフレームは、ハイコトラストスクリーン上のテキストとグラフィックをより目立たせるという意見もあった。

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そう言えば、アマゾンは、新しい E Ink スクリーンを、"テキストをよりくっきりと、画像をよりはっきりとなるようにコントラストを50%向上した"とさかんに宣伝している。カラースクリーンではないので、改善されたコントラストは、白黒のテキストとイメージをより読みやすくすることを手助けしてくれるだろう。人々が、Kindle DX とカラースクリーンを持つ iPad を比較し始めると、アマゾンとしては、この Kindle の E Ink ディスプレイにどんな些細な改良でも施したくなるだろう。

驚くことではないが、Amazon は、Kindle DX の価格を$489 から $379 に引き下げ、$499 の iPad と顕著な価格差をつけた。この動きは、Amazon の最近の価格改訂、 Kindle 2 の価格を $259 から$189 に引下げたことに続くものである。この動きは、Barnes & Noble が Nook ebook reader を、$259 から$199 に引き下げたものに触発された動きである。Kindle DX は、2010 年 7 月 7 日発送条件で予約受け付け中である。

しかし、Kindle DX の機能である Amazon Kindle Store からの本をダウンロードするための無料の 3G 接続、複数デバイスでライブラリやしおりを同期する Whispersync 、ワイヤレス通信使用時で 1 週間、ワイヤレス通信を使用しないときには 2 週間もつロングライフバッテリー、いまひとつな小さなキーボード、テキスト読み上げ機能、PDF 対応(リンクとブックマークはサポートされていない)、自動回転スクリーンというような機能は、変更されなかった。Amazon は、Kindle Store には、620,000 冊以上のタイトルと1923 年以前の著作権の切れた 180 万冊以上の書籍が収容されていると言っている。

すでにいる多数の Kindle オーナー達は、デバイスに満足しているが、2 つの Kindle と iPad を持っている者として言わせてもらうと、iPad が注目を集めている間は、Kindle DX は見向きもされなかった。Kindle の利点は、ロングライフバッテリーと、太陽光下での読み易さ、圧倒的な収容量の容量(現時点でおそらく 10 倍程度の開き)があること、そして、少し軽いことであるが、それだけでは、私たちにとって、iPad の多彩な機能とは、比較にならない。おそらく、Kindle の重量とバッテリー持続時間は、定期的に旅行する人や長時間の移動をする人にとっては、より重要になっていくであろう。

我々の好みは、多くの apps があり、フルブラウザをもち、テキストを入力しやすい、というような ebook を読むということを越えた非常に多様性のあるiPad に向いつつある。しかし、ebook の分野でも、ページをめくるときもイライラさせない iPad の非常に速いカラースクリーンは、我々の使い方により良い体験をもたらす。

売上は、我々の意見を支持しているように見える。Amazon が、2007 年の発売以来、3 百万台の Kindle を販売したのを見てきた。もちろん悪くない数字であるが、Apple が、iPad リリース後の最初の80 日で、3 百万台を売り上げたことと比較してしまうと、見劣りがしてしまう。

いまだ、iPad 、iPhone 、Android 、BlackBerry 、Mac 、Windows のそれぞれに無料の Kindle apps が提供されている。Amazon が ebook を読むデバイスと共に、ebooks のマーケットを作ろうとしていることによって、リスクを分散しようとしていることは、明らかであろう。

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iBooks で購入した本を共有する

  文: Adam C. Engst <[email protected]>
  訳: Mark Nagata <nagata@kurims.kyoto-u.ac.jp>

私の家族が普通でないのかもしれないが、私たちは同じような本を読みたがることが多い。Tonya と私は二人ともどんな本でも家に置いてあればいつも読んでいるタイプの人間だし、Tristan の方は私たちがSF小説を置いている本棚から本を引き抜いて持って行ったり、またプレゼントとして貰った本を私たちにも読んでみてと勧めてくれたりする。例えば Artemis Fowl や、 Ranger's Apprentice といったものだ。[訳者注: Artemis Fowl シリーズはイギリスの Eoin Colfer による児童文学小説、Ranger's Apprentice シリーズはオーストラリアの John Flanagan によるファンタジー小説です。]

そのことが原因となって、電子ブックを購入する際に私たちのさまざまの機器でそれが手軽に共有できないようになっていると、それは私たちにとって大きな問題となる。(公平を期して言えば、心から楽しめた本については物理的な本も持っていたい欲求を感じてしまうことや、半年に一回開かれる Tompkins County 図書館の Friends of the Library Book Sale で古本を大量に買えば非常に安く済むことなども、私たちにとって大きな問題だ。)

記事“iiBooks 1.1 が PDF サポートを追加、すべての iOS 機器で動作”(2010 年 6 月 23 日) に最近寄せられたあるコメントで、iBookstore から購入した本を家族の間で共有できる方法が全くないという苦情があった。Kindle ではできるのに、とそのコメントは書いていた。共有できないことはないはずだという気がしたので、私は調べてみた。その結果、実際共有できるということが分かった。iBookstore から入手した本を家族で共有するのは簡単で、家族の一人一人が別々の iTunes アカウントを持っていた場合にもできるし、手順も Kindle で同じ目的を達成するために使う手順と非常によく似ている。

Kindle では、あるいはどの Kindle アプリでも、特定の Amazon アカウントを登録するようになっていて、いったん登録が済めば、購入した本がすべて表示される。(それは Archived Items 表示に並ぶので、読むには Home 表示へと移動させなければならない。)あなたのアカウントの登録を取り消して、例えばあなたの配偶者のアカウントに登録し直すのも問題なくできる。そうすれば、あなたの配偶者の本が Archived Items 表示に登場するので、あなたにもそれが読める。

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一つだけちょっとした問題がある。その実行には、あなたの配偶者のパスワードを知っていなければならない。もしもあなたたち夫婦が、お互いが Amazon で何を買ったか覗かれたくなくてそれぞれパスワードを秘密にしておきたいと思うのなら、例えばあなたは相手に次のように頼むことができる。まず、パスワードを隠して登録してから、必要な本をダウンロードして、それから購入に使われたりしないようにすぐ登録を取り消して欲しい、と。(もう少し良い例を挙げるなら、子供と本の共有をすることを考えてみるとよい。あなたが持っている本を子供の Kindle 機器あるいはアプリに転送したいけれども、自分のパスワードを子供に教えたくないということはよくあるだろう。)

さて、iBookstore で購入した本を共有するにはどうすればよいのかと調べてみた結果、うまく使える方法がいくつかあることが分かった。

共有アカウント -- まず、あえて言っておくべきだと思うのは、さきほどの Kindle と全く同じことだが、一つのアカウントを共有すれば混乱は一切なくなる。5台かそれ以下のコンピュータならば、同じ iTunes アカウントにアクセスして、購入済みの同じ音楽、映画、アプリ、そして本を、共有することができる。

けれどもこのようなアカウント共有はあまり良い方法ではないかもしれない。Kindle は Amazon アカウントを使うので、買っておいた誕生日のプレゼントを秘密にしておきたい場合は配偶者とアカウントを同じにしたくないだろうし、あなたの許しなく大量の注文をするかもしれない子供に自由にアカウントを使わせるのは賢明でないかもしれないからだ。iTunes の場合、購入するのはメディアやアプリだけなのでマイナスの要素は少ないだろうが、それでもやはり正しくないことだという気がする。

思うに、これは一人一人がそれぞれ自分の図書館カードを持っているのと同じことだからそういう気がするのではないだろうか。別に "The Anarchist's Cookbook" を借り出したいからそう言うのではない(Amazon のページで著者の注記をぜひ読んで頂きたい)が、仮にそう思ったとしてもそれはあくまでもあなた個人の問題なのだから。

サインアウト/サインイン -- 普通の人でも使えるように、Apple は iBooks と iBookstore に Amazon のやり方とほとんど同じシステムを実装してくれた。iBooks アプリのメインの Library 表示の中で、Store ボタンをタップし、それからツールバーで Purchases をタップする。Account ボタンに、現在サインイン中の iTunes アカウントの名前が表示されている。それをタップすれば、ダイアログが現われてそのアカウントを表示し、またサインアウトもできる。そこで Sign Out をタップして、次に現われるダイアログの中で Sign In をタップし、続いて Use Existing Account をタップする。それからもう一つのアカウントのユーザ名とパスワードを入れれば、そこにサインインできる。

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いったん第二のアカウントにサインインすれば、そのアカウントで持っているどの本でも横にある Redownload ボタンをタップすることができる。すると、あなたの機器にその本がダウンロードされ、何の制限もなく読めるようになる。ダウンロードするものをどの本でも好きなように選んで指定できるのは素敵な機能だ。つまり、あなたの配偶者が iBookstore で購入した本をすべてあなたの機器に保存しておくよう強制されることはない。その上、夫婦二人とも、相手のコンピュータで何かをする必要は一切ない。もしもそんなことになれば、単に自分の iOS 機器に相手のユーザ名とパスワードをタップするだけに比べて、はるかに大きなトラブルが待ち構えているかもしれないではないか。

ただし、一つだけ注意すべきことがある。その次にあなたの機器を iTunes に同期させる際、iTunes はあなたの配偶者のパスワードを求めてくるだろう。なぜなら、あなたのマシンの iTunes はそのアカウントから購入するための認証を受けていないからだ。それに対して、あなたは Authorize をクリックしてパスワードを入力し、その本を iTunes に同期させることもできるし、また、もしも本当に気にならないのであれば、Do Not Ask Me Again チェックボックスをチェックした上で Cancel をクリックし、将来の同期の際に二度と同じ警告が出ないようにすることもできる。けれども認証と言っても一度だけすれば済むことなので、おそらく認証しておく価値はあるだろう。

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また、この方法が iBookstore から購入した本のみにしか適用されないことも注意しておくべきだろう。あなたがどこか他のところからダウンロードした EPUB や PDF ベースの電子ブック、例えば Take Control サイトから入手したものや、あるいは手動で iTunes に持ち込んだものなどは、やはり手動で個々の機器に持ち込まなければならない。(手順の基本についてはすぐ次のところで説明する。)その種の本には同期機能が使えない。

購入済みの本をサインインと再ダウンロードによって持ち込める機器の台数に制限があるのかどうか、私は知らない。たぶん制限はないのではないかという気はするが、広く共有しようとすると iTunes アカウントにリンクできるのはコンピュータ5台までという制限に引っ掛かるのかもしれないという気もする。現実的に言って、あなたの iTunes アカウントにはおそらくクレジットカードが登録されているはずなので、その種の認証情報を近親者以外の人たちと共有したいと思うことはあまりないのではないかと思う。

EPUB ファイルを移す -- この記事の最初のバージョンに対してわが同僚の Michael Cohen と Jeff Carlson がコメントで指摘してくれたことだが、使える方法がもう一つある。それは、購入した本の EPUB ファイルをコンピュータからコンピュータへと移して、それから同期するというものだ。

音楽ファイルでこれをするには三つの方法があるが、本についてうまく行くのはそのうち二つのみだ。いずれの方法も、やはりあなたが配偶者のパスワードを知っている必要はあるはずだ。

家族とは共有するものだから -- どの方法を使うにしても、iBookstore で購入した本が家族の間でちゃんと共有できるというのは嬉しいことだ。私個人としては、サインアウト/サインインの方法を使いたいと思う。その方法ならば、Tonya の Mac に一切触らずにできるからだ。

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高速アプリ切り替えとは何か?

  文: Matt Neuburg <[email protected]>
  訳: Mark Nagata <nagata@kurims.kyoto-u.ac.jp>

つい最近 iTunes を使ってピカピカの新しい iOS 4 をインストールした人たちや、ピカピカの新しい iPhone 4 がもうすぐ手に入るという人たちは、この新システムで大きく宣伝されている機能の一つ、高速アプリ切り替えというのがいったいどういうものなのかと思案しておられるのではないだろうか。高速アプリ切り替えって何をするのか? これは、マルチタスキングとどう関係しているのか? これを使うには Home ボタンの二度押しという新しい動作を使う以外に方法がないのか? それから、ほとんどのアプリで別に特別なことも、新しいことも起こっていないように見えるのはなぜか?

ここで、あのスリルに満ちた過ぎし日に立ち返ろう。(あれは、本当にたった四ヵ月前だったのだろうか?)それは、Adam がかの刺激的な記事“iPhone OS はマルチタスクを必要とするか?”(2010 年 2 月 8 日) をしたためた時だ。その記事の中で Adam が彼一流の未来を見通す鋭い分析を通じて指摘した通り、マルチタスキングという言葉が何を意味するかは、人によって内容が異なっている。それは (1) Mac OS X でのように、複数のアプリケーションが真の意味で同時に走り、アプリケーション A にいる状態からアプリケーション B のあるウィンドウに戻ってもその前にそこを離れた時の状態がそのまま残っている、という意味かもしれないし、あるいは (2) 単に最近使ったアプリケーションいくつかの間で素早く切り替えられるというだけの意味であって、アプリケーションが終了時にその状態を保存するのでそこに戻った時にはあたかもそのまま残っていたかのように 挙動する というものかもしれない。今回 Apple が実際に実装したマルチタスキングはこの (2) よりは少々野心的だが、それでも (1) のものよりはるかにリソース要求度が低くて済む(従って危険性も低い)結果となっている。

まずは要点だけまとめておこう。あなたが iOS 4 で何かアプリを走らせていたとして、あなたが Home ボタンを一回押してそこから離れても、そのアプリは 終了しない。その代わりに、そのアプリは「仮死状態」になる。例えて言えば、映画 "2001: A Space Odyssey" (2001年宇宙の旅) の中で科学者たちが低温冬眠に入ったようなものだ。そのアプリは、システムからイベントを受け取るのを止める。動作ループはもはやループしなくなる。そのアプリはバックグラウンドに入ったと同時に活動しなくなるわけだ。けれども、「動作」は続けている。つまり、そのアプリのリソースやインターフェイスは依然として存在していて、活動を再開するために一から起動し直す必要はない。こうして、あなたがそのアプリに戻る際には、それが どのような方法で 戻るにしても、そのアプリはそのまま、瞬時に、あなたが前にそこを離れた時のままの状態に戻れる。

この挙動が高速アプリ切り替え (fast app switching) であって、iOS 4 において Apple がマルチタスキングと呼んでいるものの大部分を構成するものとなっている。(iOS 4 のマルチタスキングのすべてがこれだというわけではない。特別の機能を持つ一部のアプリは、システムに登録することにより、仮死状態になっても一個のスレッドだけは活動を続けることが許される。この種の機能はオーディオの再生や位置情報の探知、VoIP 通話などに厳しく制限されている。この記事ではこれら特殊なものには触れないでおきたい。)

だから、あなたが Home ボタンを二度押し(このジェスチャーも Adam の記事で正しく予言されている)すれば出てくるこの高速アプリ切り替えのインターフェイスがどのようなものかは、問題の本質には関係がない。実際、iOS 4.0 を真っ先に手に入れた人たちは、この高速アプリ切り替えのインターフェイスが 動作中の アプリをリストしているわけでは ない ということに気付かされて驚いたのだった。そこには、最近使った アプリがリストされているのだ。一つのアプリをそのままにしておいて、別の、最近使ったアプリを起動(あるいは再開)するためにはとても便利だが、これなら iPhone OS の一番初めのバージョンから存在していてもよかったのではなかろうか。これはただのインターフェイスであって、iPhone の上で Mac の Command-Tab 切り替えに相当するものとも言える。ともあれこれはとても素晴らしい、非常に歓迎すべきインターフェイスだし、私は iPhone がそもそもの初めからこんな風になっていたらと思わざるを得ない。なぜなら、アプリの間での切り替え、ことに特定の二つのアプリの間で行き来して切り替えることは、私自身しょっちゅうしていることだからだ。けれどもそのことは、高速アプリ切り替えの基盤であるマルチタスキングのテクノロジーとは何の関係もない。

実際、どのアプリが現在走っている(あるいは一時停止中である)のかを手軽に知る方法はない。アプリを起動あるいは再開してみれば、そのアプリがそれまで一時停止の状態であったのか、それとも完全に終了していたのか、たいてい見分けられる。なぜなら、終了状態であったアプリは起動手続きを経なければならない(その際スプラッシュ画面など、見て明らかな手掛かりがあるかもしれない)が、一時停止状態のアプリはあなたが前にいた時のままの状態で、即座に出てくるからだ。また、アプリを真の意味で止める(終了させる)手軽な方法もない。一つのアプリを離れれば、それをどのような方法でしたとしても(高速アプリ切り替えインターフェイスを使ったにせよ、単に Home ボタンを一回押しただけにせよ)システムがシステムのすべきことをするのみであって、あなたが何かを決めることはできない。

そういうわけで、ここに至ってあなたは、アプリが本当に終了することなんてあるのだろうかと思い始めているに違いない。まさか、この iPhone の中で、機器自体を再起動するまでの間,次々と何十もの仮死状態のアプリが転がって満ち満ちて行くなんてことはないだろう? いや、アプリが本当の意味で終了させられる方法が、実は三つある:

この最後の点が、最重要のポイントだ。とりわけ、この事実は私がこの記事でマルチタスキングについてここまで述べてきたことのすべてと相反している。結局のところ、マルチタスキングに参加できて自身を一時停止状態に持ち込めるためには、すべてのアプリが iOS 4 用に再コンパイルされなければならない。あるアプリを iOS 4 上で再開させてみて、その際の挙動が以前のバージョンのシステムでの挙動とどこも変わっていないように見えたならば、それはつまり、単純にそのアプリがまだ適切に再コンパイルされていないということだ。ちょっと考えてみればわかることだが、圧倒的大多数のアプリがそれに該当するのだ!

明らかに、開発者たちが iOS 4 用の再コンパイルを済ませて、それからそのアップデートが Apple の App Store の門番の守りを通過し、その後あなたの機器までたどり着くことができるまでには、相当の時間が必要だろう。それが実現するまでの間は、あなたが iOS 4 のマルチタスキングの恩恵を受けられる程度はごく限られている。新しいやり方で動いてくれるのは、Apple 自身のアプリと、既にアップデートを済ませたほんの少数のアプリだけだ。

その上、iOS 4 用に再コンパイルするというのは簡単にできることではない。(これは私自身、TidBITS News アプリを再コンパイルしようとして実感させられたばかりのことだ。2010 年 1 月 4 日の記事“無料の TidBITS News iPhone アプリ”参照。)なぜなら、それをするためにある程度コードの書き直しが必要だからだ。ただ単に新しい iOS 4.0 フレームワークにリンクし直すだけでコードの変更なしに即座にマルチタスキングに参加させることも可能だが、それでは善きマルチタスキング市民となることができない。

最も大きな問題点の一つは、iOS 4 ネイティブなアプリならば一時停止に入る際に通知を受けることができるのに、終了に入る際にはそれが受けられ ない ということだ。そのため、終了の際に従来してきたのと同じように、状況保存の作業をすべて一時停止の際にもしなければならない。一時停止となった後で終了させられるかもしれないからだ。もう一つの問題点は、アプリが一時停止となる際に、後にトラブルを起こす可能性のあることがらの実行を停止しておかなければならないことだ。また、後にバックグラウンドのままシステムに終了させられる候補者となりたくなければ、メモリ使用量をはっきりと減らしておかなければならない。ネットワーク活動はすべて中止しなければならない。例えば警告メッセージなどのモーダル状態はキャンセルしておかなければならない。後でユーザーが再開させた時点では(それは何日も経った後かもしれない)もはやその警告は無意味となっているかもしれないからだ。

TidBITS News アプリを iOS 4.0 用にアップデートしようとして、私はそういったことすべてに気を配らなければならなかった。基本的に、ユーザーがその気になってアプリを一時停止にしたその瞬間に、そのアプリにとって可能性のある状況すべてを考慮しなければならなかった。実際、それは非常に難しい作業であることがわかった。この TidBITS News アプリは、非常にシンプルで小さなものに過ぎないというのに! ならば、あなたのお気に入りのサードパーティアプリがアップデートされるまでにどれくらいの時間が必要か、想像してみて頂きたい。

けれども、いったんそれらのアップデートが済めば、あなたは電光石火のスピードでアプリからアプリへと切り替えることができるようになる。その時になって初めて、あなたは本当の意味で高速アプリ切り替えを体験でき、アプリを離れて、また後で戻ってきても、前のままの状態に即座に戻れるだろう。そしてそれこそが、iOS 4 版のマルチタスキングというものなのだ。

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オンラインの友人関係を考察: 親密さとは何か

  文: Glenn Fleishman <[email protected]>
  訳: Mark Nagata <nagata@kurims.kyoto-u.ac.jp>

友人とは何か? 私には、単純だが現代的な定義がある。友人とは、社交的な理由でその人の家を訪れたことのある人、あるいはもし招かれれば招待を受けたいと思うだろう人だ。また、友人とは私の家に招きたいと思うような人だ。友人とは特に用事がなくても電話をかけたり電子メールを送ったりする相手だ。

私は長年の間に、友人や知人、同僚たちをすべて一括りに "friend" と呼ぶ方が簡単だと思えるようになってきた。私が社交的な人間だというのもその一つの理由だろう。(ただし、社交的であることは必ずしも必要条件ではないようだ。私の友人であり同僚でもある Joe Kissell は、自らを内気者だと認めているにもかかわらず、この記事に私が書いたことのほとんどすべてに同感だと言ってくれた。それが何を意味するかについて彼の観点からの説明が 2008 年 4 月 4 日の記事“内気者にとってのインスタントメッセージング”にある。)

例えば、われらが TidBITS と Take Control の「班長」たち[訳者注: アメリカ人は日常的に "honcho" という日本語からの外来語を使います]Adam と Tonya Engst は、二人とも近しい同僚であり親しい友人でもある。以前彼らが近所に住んでいた頃はお互いよく会っていた。もっともシアトル市内のひどい交通渋滞のせいで思ったほど頻繁にではなかったが。今では私たちは大陸の東西の端に分かれてしまったけれど、以前にもまして定期的に話をするようになった。たいていは仕事の話だが、個人的な話題もいろいろとそこに紛れ込んでいる。おわかりの通り、私は二人が大好きだ。

その一方で、長年一緒に働いて同僚とは呼べるけれども、友人と呼ぶにはちょっと抵抗がある人たちも何人かはいる。面と向かってよそよそしい言葉をかけたこともないし、緊張した関係になったこともまずないけれど、ただ、うまが合うという感覚がない。気楽にコミュニケーションできるための、親密さのフィーリングが欠けているのだ。

私が何らかのソーシャルネットワークで誰かと "friend" や "buddy" などのような形で何らかのパートナー関係を結ぶ際、私の頭の中には友人関係についてのこうした思索がいつも浮かんでくる。ソーシャルネットワークで根本的な問題と言えるのは、親密さがあまりにも強制され過ぎるか、それとも本物の友情を拒否せざるを得ない立場に置かれてしまうか、どちらかだということだ。

私はこれまでほんの 42 年という短い期間しか地球上に生きてきていないが、友情というものの捉え方が人それぞれに違っていることには気付いている。私がほとんど知らない人でも私を友人と見なしてくれることがあって、多くの場合それは(誤解に基づくものかもしれないが)素敵なことと思える。その一方、長年の知り合いで何百回と会ったことがあっても、いまだに他人行儀な態度で私に接する人たちもいる。

概して私は会う人の大多数が好きだし、誰に会ってもたいてい会話を始めることができる。でも、だからと言って必ずしもその人が私の友人になる訳ではない。(もちろんその人が私を友人と見てくれることはあるけれども。)そういったことすべての結果として、友人となるためにはソーシャルな暗黙の合図だけでは不十分で、明示的に選択を示すことが必要になる。それは、むしろフラストレーションやストレスの伴うことだ。

インターネット文化や情報についての興味深い本をいくつも書いている David Weinberger (彼の最新刊は "Everything Is Miscellaneous" だ) は、この問題について 2003 年の O'Reilly Emerging Technology Conference でなかなか良い講演をした。(彼の講演はウェブページで読むことができる。)

Weinberger は時代を先取りしていることが多いし、この講演で彼はやがて津波のごとくやって来るソーシャルネットワーキングについて話をした。この話を私が聞いたのは 7 年前のことだが、その当時にしてこれは問題を的確に捉えたものという感じが私にはした。彼は、2003 年当時有力だったソーシャルネットワーク Friendster を取り上げて、Halley という人が彼に友人になって欲しいと言ってきた時のことを次のように物語った:

「私は別に抵抗なくそれを受け入れた。イエス、私は Halley の友人だ。でも、彼よりずっとあいまいな状況の下で友人になって欲しいと言ってくる人たちも、とてもとても多くいる。単なる知り合いも、親戚も、それから私が何年もの間連絡を取らないようにと努めてきた学生時代の同居人たちも、といった具合だ。そういう人たちのために私が Accept ボタンを押すのは、必ずしも私が彼らを友人だと思うからではなくて、拒否したいと思うほどの非友人だと思わないから、あるいはちょっと好感を持ってもらいたいから、あるいは公共の場でおべんちゃらを言っておこうと思ったから、といった理由だ。この世で最も双方向性のない関係について、Friendster は双方向性を私に求めてくるのだ。」

双方向性の問題とは何かというと、誰かがあなたに友人かそうでないかと尋ねて来た場合、それがその人とあなたの間の関係のすべてを決定してしまうという点だ。もしもあなたがノーと答えれば、あなたは親切な申し出を拒否したことになる。もしもあなたが本当はノーと答えたいのを我慢してイエスと答えれば、あなたは何か有害なことを引き起こす可能性を秘めた新しい関係を築いたことになる。もしもあなたがそのリクエストを完全に無視すれば、相手の人は反応がないのに気付いて気を悪くするかもしれない。

ソーシャルネットワーキングサービスでは、親密さのさまざまの段階を設定することが、そもそもできない。LinkedIn の場合、それを補うためにあなたがどのようにしてその人を知ったか(一緒に働いていたか、同じ学校に行っていたか、その他)を尋ねることによって関係性の源を特定する。LinkedIn は、ビジネス向けのネットワーキングサイトだからだ。

けれども、Facebook があなたにそういうことを尋ねることが可能だろうか? その人があなたの知り合いか、友人の友人か、一度だけデートしたことのある相手か、それとも敵か、友人か、永遠の心の友か、離れ離れになった人か、また一緒になりたいなあと思っている人か、何やらかんやら、そんなものの中から、あなたが一つを選ぶようにできるものだろうか? もしも間違った選択をしてしまったら、その友だち(あるいは愛人、同僚、厄介者など)は、永遠にあなたを見限ってしまうかもしれないし、あなたの望まなかった最高の友人が新たにできてしまうかもしれない。

現在あるすべてのソーシャルネットワーキングサービスの中で、私が一番気に入っているのは Flickr と Twitter のやり方だ。Flickr では、コンタクト相手がいて、それぞれのコンタクト相手を友人か、または家族の一員と設定することができる。(私には家族同然と思っている友人たちがいて、彼らについても家族としてマークしてある。)けれども、Flickr があなたに質問をしたり答えたりを強制することはない。

Twitter の「フォローしている・フォローされている」というモデルは、両者の関係についてあまり直接の意味は持たない。ただし、人気ある人物が自分はほんの少人数しかフォローしていないのに膨大な数の人々にフォローされているという非対称性こそが名声という点での階層を生み出しているという議論は確かに成り立つだろう。でも、少なくとも私は Ashton Kucher の友人だと言うつもりはないし、彼にもその気はないだろう。[訳者注: Ashton Kucher はアメリカの俳優で、Twitter で史上初めて 100 万フォロワーを超えたことで有名。](Twitter はその初期には "friends" という概念も備えていたが、混乱を招くだけという理由で取り止めている 。)Adam Engst も、友人関係を過度に増やさないという理由で、Twitter を気に入っている。今号に一緒に載った彼の記事“オンラインの友人関係を考察: 非対称的に広がろう”(2010 年 5 月 28 日) も参照。)

実際問題として、私は何人かの本当の友人を Twitter を通して作ったし、既存の知り合いとの友情が Twitter を通じて強まったこともある。20 年以上にわたってインターネットを使ってきた私の歴史の中で、これは珍しいことだ。

数ヵ月前、私は自分の Facebook アカウントを消去したが、そこには数百人の友人たちがいた。アカウントを消去した理由は Facebook がプライバシーを扱うやり方に我慢ならなくなったからだったが、そう言えば Google Buzz での大問題にも同じ嫌悪を感じたものだ。(2010 年 2 月 14 日の記事“Google Buzz って何? いったいどうなってるの?”参照。)

けれども、私が Facebook のアカウントを消去したのにはもう一つ理由があった。それは、私が実際に親密で私的なことも分け合えると思える範囲の人たちのグループの外にまでも私的な生活の細々した詳細情報が必要以上に表示されてしまうということに対して、不快感が抑えられなくなってきたからだった。私には、これが次第に The Sims みたいに見えてきた。Facebook は友人の友人についての情報を何から何まで表示し、さらには私があまりよく知らない人を、とどのつまりは全然知らない人まで、私のネットワークに加えるようにとひっきりなしに言ってくるのだった。

私は冗談で、Facebook は現実生活に対する Second Life みたいなものだ、とずっと前からよく言っていた。でも、私にとっては現実の生活だけで既に十分時間を取られていたのだから。

Facebook やその他のサービスでは、この問題を避けるために個々のユーザーがそれぞれに社交サークルを設定して、オプションでそこへの接続はできるけれども、それはその内輪のユーザーのみに知らされ、すべての友人たちには知らされない、という風な方策を採ることも可能だろう。友人たちの詳細情報をあなただけのプライベートなものとし、他の人たちには間接的なものとすることによって、社交範囲をある程度コンパクトなものに保つこともできるだろう。(Facebook には Lists という機能があってこのことをかなり不細工なやり方で実現しようとはしているが、今も Facebook を使っている私の友人たちの大多数は Lists 機能に気付いていない。)

けれども、ソーシャルネットワークというものが成長し続けるためには、確固とした接続が膨大な数で活動し続けることが要求される。Facebook にしてみれば、誰もが何百人もの友人を持つことが望みであって、さあもっと何百人もの友人を増やしましょう、と呼びかけたい動機があるのだ。

ところが、私の生活においては、上質さと親密さよりも物量と拡張が好まれるということなど考えられない。私たちが子供のころ、誰か他の子供が「僕の友だちになってくれる?」と言ってくれば、その答は必ずしもいつもイエスだとは限らなかったものの、たぶんそうあるべきだったろう。けれども 40 代となった今、そして今日のインターネットにおいては、残念ながらその答はこうなのだ:「いや、それは質問の仕方が間違っていると思いますよ。」

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オンラインの友人関係を考察: 非対称的に広がろう

  文: Adam C. Engst <[email protected]>
  訳: Mark Nagata <nagata@kurims.kyoto-u.ac.jp>

私の実世界の友人であり同僚でもある Glenn Fleishman が、インターネットにおいて「友人」が実際には何を意味するかというテーマで示唆に富んだ記事を書いてくれた。そして、いくつものソーシャルネットワーキングサービスでこの友人関係という概念が歪められ、さらには矮小化されてしまうことさえある、とも論じてくれた。(2010 年 5 月 28 日の記事“オンラインの友人関係を考察: 親密さとは何か”参照。)そのこともあって、結局 Glenn は自分の Facebook アカウントを完全に削除してしまった。

私自身はまだ Facebook に残っているけれど、彼の気持ちは理解できる。でも、私の場合は彼とはちょっと違った立場にいる。膨大な数の人たちが、TidBITS や Take Control に結び付けて、また私が長年書いてきたいろいろな本に結び付けて、私を知っているからだ。ただ一つの問題は、それらの人たちは私のことを結構よく知っているにもかかわらず、その逆はめったに成立しないことだ。

電子メールならば、あるいは直接会って話をする場合は、私を知っている人のことを私が知らなくても全然問題にならない。Macworld Expo の会場でおしゃべりをしたり嬉しい言葉の並んだ電子メールメッセージに返事をしたりするのは私にとって喜びだから。けれどもその種の交流では、互いの紹介程度以上のことは伝わらないし、お互いにどの程度のことを相手に明かすかはそれぞれが自分で選ぶものだ。

ところが、ソーシャルネットワーキングサービスではここに大きな問題が起こる。そこでは、Twitter の場合を除いて、お互いの関係がすべて双方向、お互いに同程度の親密さを持つものとして扱われる。けれどもそれは、友人関係を過度に増やしたものと言わざるを得ない。俳優の Stephen Fry がある話題について語ったことを私が楽しく読んだからといって、彼が私のことをちょっとでも知っていると期待する理由は何もない。彼が私に会いたいと思っているかさえ知る由もない。

同じように、多くの人たちが私の書いた記事を読んで下さるのを私は大歓迎する(その主な理由は私が自分のオンラインでの発言を公共のスピーチだと見なしているからだ)し、自分の書いたものに対するコメントに喜んで返事したいと私は思うのだが、私の自由になる時間は限られていて、私の頭脳のバンド幅にも限界があるので、よく知らない人たちの生活に何が起こっているかにまで踏み込む余裕はない。第一、私は自分の親戚たちの近況にさえ、思うように気を配ることもできていないのだ。

おそらく私の場合は普通とは違う状況なのかもしれない。つまり、膨大な数の人たちが私を知っていて私に連絡したいと思っている一方、私はせいぜいそのうちのごく一部の人たちしか知らないだろうから。けれども、そのような状況は決して特殊なものではないのではないかと私は思う。現に、私と Facebook 上で友人になった人たちの多くが、100 人から 2,000 人程度の友人を持っていたのだから。

それだけの人数の人たちの名前を見知っているというだけならば普通のことかもしれないが、本当の友人を 2,000 人も持っている人など、ほとんどいないだろう。あるパネル討論で高校生たちが話すのを聞いたところによれば、彼らは皆 Facebook の友人を数百人ずつ持っていて、それは学校での緊密な人間関係の輪によるものであり、その中では誰と誰の関係もほんの 1 度か 2 度程度の差しかないのだという。理由はどうあれ、友人が 2,000 人というのは現実離れしている。ある研究によれば、人が社会的な人間関係を継続できる相手は最大で 150 人から 300 人程度までだ(Dunbar 数を選ぶか Bernard-Killworth 数を選ぶかによって評価が変わる)という。

そこで登場する天才的アイデアが、Twitter のやり方だ。人々が私をフォローする際に私がその人もフォローすることを強制されることもなく、その関係を承認するように私に求めてくることさえしない唯一のソーシャルネットワーキングサービスが、Twitter だ。(FriendFeed も非対称的なフォローの仕方を提供しているが、ここは単に複数のソーシャルネットワーキングサイトからのフィードを集約しているに過ぎない。)Twitter では新しいフォロワーの通知が電子メールで届くので、必要ならばそれをチェックすることは可能だが、私がその必要を感じることはほとんどない。もちろん、Twitter で多数のボットやスパマーが私をフォローしているに違いないと思うが、そういうものがどこかで私の名前を出さない限り、私は別に気にしない。その点は、私が TidBITS サイトに書くことを誰が読んでも大歓迎なのと同じことだ。

それと対照的に、他のサービスにおける双方向性は、手間をかけることが必要となるだけでなく、ストレスを生むことにもなる。私が Facebook、LinkedIn、Plaxo、Orkut などで過ごす時間の大半は友人関係のリクエストを承認するための作業に費やされている。(オーケー、Orkut で私が誰かを承認したことは一度もない。このサービスのユーザーは主にブラジル人であって、私が知っているブラジル人はほんの数えるほどしかいないから。)

最初のうちは、私も個々のリクエストを個別に調べて、ふさわしいと思える人だけを承認するようにしていた。つまり、友人とは何かと Glenn が考えたのと同じ線で考えるようにしていたのだ。けれども、関係性が双方向のものだったので、自分がよそよそしく見えるのには気が引けた。一月に一回程度以上頻繁に届くことはめったにないものだけれども、今はほとんどのリクエストを私は承認するようになった。単なる友人の友人であって、過去 20 年間のうちにたった一回電子メールを交わしただけの人からのリクエストを拒否するよりも、単純に承認しておいた方が社交的に楽だという気になってきたからだ。

このやり方で不都合なところは、ほとんど知らない人たちからのたくさんの最新情報がどっと押し寄せることだ。それに対処するため、Facebook で私は人々のリストを作っておき、何らかの意味でその人の生活が私の生活と本当に関わっている非常に少人数の人たちから届いた情報のみを読むようにした。(それに正直言って、それさえも私はごくたまにしかしない。一日の時間は限られているからだ。)また、私が Facebook に直接何かを投稿することもめったにない。その代わり、SupaSync と呼ばれる Twitter から Facebook へのゲートウェイに私はすっかり依存している。ただし、Facebook でのコメントにはたいてい応えるようにしている。これは電子メール通知があるおかげだ。

LinkedIn においては、私は仕事上の交流のある人たちのプロフィールが変更されたという電子メール通知に時々目を通す。これは主に、誰かが転職したことを知るためだ。LinkedIn はビジネス向けのネットワーキングなので、私は関係の承認を求めるリクエストを何も考えずにすべて承認している。なぜなら、仕事上の関係を持ちたいと思うためにその相手のことをあらかじめ知っておく必要はないからだ。

それから Plaxo においては、Plaxo コンタクト情報を Address Book と同期するための Mac OS X 用 Plaxo ソフトウェアがいつの日か使い道ができることを期待する以外、私はここで何もしていない。私の知る限り、私の Plaxo コンタクト相手でコンタクト情報を変更した人はまだ一人もいない。それから他の残りのソーシャルネットワーキングサービスについては、単なる時間つぶしとしか思えないので私は完全に無視している。(Naymz、君のことを言ってるんだよ。)

だから、もしもあなたが私をフォローしたいと思われるなら、 Twitter (現在 4,300 人以上の人たちが私をフォローしている) か、FriendFeed (600 人以上の購読者) のどちらかを使うことをお勧めする。理由は単純で、これら二つは私にとって最も使いやすく、Twitter 上でならば私の書くものすべてがあなたの目に触れるからだ。あなたが Facebook か LinkedIn か Plaxo で友人関係を求めてくれば、私としてはあなたを承認する手間をかけねばならなくなるし、あなたの側でも私の Twitter フィードが読めるだけだからだ。

私は自分をフレンドリーな人間だと思っているし、新しくいろいろな人たちと会うのが大好きだ。既に私について何らかのことを知っている人ならばなおさらだ。でも、ソーシャルネットワークについては、現実世界での付き合いにできるだけマッチした方法で友人関係を結ばせてくれるところの方が望ましいと思う。たとえそれが、私たちはまだあまり互いのことをよく知らないということを意味するのだとしても。今のところ、私にとって、その答は Twitter だ。

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TidBITS 監視リスト: 注目のアップデート、2010 年 7 月 5 日

  文: TidBITS Staff <[email protected]>
  訳: Mark Nagata <nagata@kurims.kyoto-u.ac.jp>

HoudahSpot 3.0 -- Houdah Software が HoudahSpot へのメジャーなアップデートをリリースした。Mac OS X の Spotlight へのインターフェイスの代替手段を提供するファイル検索ツールだ。HoudahSpot 3.0 ではいくつか新機能が追加されたが、その主なものとしてはファイルのタグ付け機能、このタグ付け機能やテンプレートなどに手軽にアクセスできるインターフェイス要素、タグベースの検索などがある。HoudahSpot のメニューバー項目も改善され、これを普通にクリックすれば Blitzsearch ウィンドウが開かれ、右クリックすればこのプログラムのテンプレートをリストしたメニューが開くようになった。(新規購入 $30、アップグレード $5、2010 年に購入した場合は無料アップグレード、2.5 MB)

HoudahSpot 3.0 へのコメントリンク:

Adobe Acrobat と Reader 9.3.3 -- Acrobat 9.3.3Reader 9.3.3 are security updates to the longstanding PDF creation and viewing applications. The updates addre は長年来の PDF 制作・表示アプリケーションへのセキュリティアップデートだ。これらのアップデートはそれぞれいくつかの重要な脆弱性に対処しており、Flash 10.0.45.2 における脆弱性によりアタッカーがプログラムをクラッシュさせた後にユーザーのシステムを支配することのできることのあった問題への修正もこれに含まれる。この脆弱性に対する攻撃が実際に広まっているという報告もあるので、今すぐアップデートすることをお勧めしたい。(無料アップデート、86.62/8.03 MB)

Adobe Acrobat と Reader 9.3.3 へのコメントリンク:

WireTap Studio 1.1.1 -- Ambrosia Software が、オーディオ録音・編集ツールのWireTap Studio にマイナーなアップデートをリリースした。バージョン 1.1.1 では iTunes 9.2 で作業をした際に iPhone の着信音に関係して起こったという問題が修正され、Silence Removal 機能を拡張し、MP3 可変ビットレートエンコーディングの速度を向上させ、波形をロードしながらファイルを編集した際にクラッシュを起こすことのあったバグを修正している。(新規購入 $69、アップデート無料、23.7 MB)

WireTap Studio 1.1.1 へのコメントリンク:

HP/Epson Printer Drivers 2.4.1/2.4 for Mac OS X 10.6 -- Apple が、Mac OS X 10.6 Snow Leopard 用プリンタドライバに対するいくつかのアップデートをリリースした。今回のアップデートには HP プリンタ用 (バージョン 2.4.1) と Epson プリンタ用 (バージョン 2.4) に最新のドライバが含まれている。プリンタソフトウェアアップデートのインストール方法の説明や、サポート対象のプリンタのリストなどは、Apple のウェブサイトで読める。(無料、387.47/737.48 MB)

HP/Epson Printer Drivers 2.4.1/2.4 for Mac OS X 10.6 へのコメントリンク:


ExtraBITS、2010 年 7 月 5 日

  文: TidBITS Staff <[email protected]>
  訳: Mark Nagata <nagata@kurims.kyoto-u.ac.jp>

今週はちょっとしたニュースが三つある。Glenn が TechFlash ポッドキャストに出演し、ものごとが「物としての実在」から離れて行くことを扱った示唆に富む記事があり、iPad や Kindle のような機器を使って読書する方が速いのか遅いのかを具体的に調べた調査結果が出た。

Glenn Fleishman が TechFlash で iPhone と Kindle を語る -- Glenn Fleishman が今週の TechFlash ポッドキャストに出演する。Glenn はアンテナ問題に関して Apple の発表した奇妙なオープンレターについて、iPhone が Verizon Wireless のネットワークで動く可能性について、それからタブレット機の未来に Kindle が占める位置についても語る。TechFlash はシアトルにあるテクノロジー系のニュースサイトで、オリジナルな報道に重きを置いているところだ。

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これはインターネットなんだよ、わかったか! -- ブログ筆者の Mike Cane が、物理的なものかそれとも電子的なものか、我々が「物としての実在」から離れて行きつつあることを巡って示唆に富む記事を書いた。物であることの重要性が薄れるにつれて、オンラインアクセスの重要性がますます増しつつあると彼は論じる。つまるところ、Netflix 購読をしている人たちは、今さらたくさんの DVD を買うだろうか? とにかく私たちはもう買わない。たとえそれがあなたに当てはまらなくとも、現在の世界がその方向に動きつつあるという点には私たちも同感だ。一読の価値ある記事だ。

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Jakob Nielsen が iPad と Kindle での読書速度をテスト -- あなたの場合、物理的な本を読むのに比べて、iPad や Kindle のような機器で読書すると速度は速くなるだろうか、それとも遅くなるだろうか? 使い勝手の専門家 Jakob Nielsen によれば、総合的な答は(読んだ内容を同程度に理解するためには)機器を使った読書の方が 5 から 10 パーセント遅いという結果だった。統計的にこれは重大な違いだが、それほど大幅に遅いという訳でもない。(私たちの臆測だが、これは本のフォームファクターに慣れているかどうかの違いによるのではないかと思う。)もっと興味深い数字もある。1 から 7 までの段階による採点で、ユーザーの満足度の平均は iPad が 5.8、Kindle が 5.7、物理的な本が 5.6 となり、旧来型の PC はたった 3.6 と後れを取った。

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