TidBITS: Apple News for the Rest of Us  TidBITS-J#320/25-Mar-96

あなたは Macintosh がどのように生まれたのか知っているだろうか?  Mac 開発の父、Bruce Horn 氏は初期の Mac 開発に光をあてている。続い ては、PageMill と SiteMill のアップデートに関する最新ニュース、APS PowerTools についての詳細、そして先週迷子になってしまった Newton のことを掲載した。最後は、第 2 号となる InterviewBITS の前半をお届 けする。今回は、Inline Software や Cyberian Outpost の創始者である Darryl Peck 氏だ。

今回のTidBITSのスポンサーは:

Copyright 1990-1995 Adam & Tonya Engst. 詳細は末尾を参照してください。
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Kaz Yoshikawa <kaz@fact.com>
尾高 修一  <odaka@iprolink.ch>
小山 純一  <vb4j-oym@asahi-net.or.jp>
加藤 たけあき<oiso@wolfenet.com>
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齊藤 聡   <akkun@ca2.so-net.or.jp>
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山浦 礼子  <raeko@aol.com>

目次:


MailBITS/25-Mar-96

(翻訳::山浦 礼子 <raeko@aol.com>)
(  :齊藤 聡  <akkun@ca2.so-net.or.jp>)

もしも私が最近行なったショート・インタビューやコンピュータ業界誌に ついて興味があれば、チェックしよう。[ACE]

<http://www.studiob.com/cafe.html>

EarthLink Network が TidBITS のスポンサーに -- アメリカ国内 Internet プロバイダーの EarthLink Network が新たにスポンサーとなっ たことを歓迎したい。EarthLink は、Los Angels 地域のプロバイダーから 国内 210 都市で均一料金でのダイアルアップサービスを提供するまでに発 展し、また安価な(本当にその通りの)800番台のダイアルアップ接続も実 施していることで知られている。EarthLink は本当の意味での Internet 接続を実現しており、自動的にサインアップを完了できるように設定した MacPPP のほか、Netscape や Eudora Light を収録した TotalAccess パッ クを提供している。

私は EarthLink Network を創業当時から見守ってきた、というのも彼らの 存在にはほんの少しだが責任があるからだ。1993 年の暮れ、あるいは1994 年のことだ、EarthLink の創始者である Sky Dayton は私の本を購入した。 『Internet Starter Kit for Macintosh』である。それから - これを読み 終えたあと - 彼が統合化された Internet のプログラムを作ろうと思って いる、といった主旨のメールを私に送ってきた。彼はすでに融資先を見つ け、そしてプログラマーを雇う用意がある、ということが何通かのメール でわかったのだがそれきりになっていた。それが1994 年 6 月、また Sky からメールが届いた。それには彼が 統合化された Internet プログラムの プロジェクトを後回しにし、LA で Internet サービスプロバイダーを始め たとあった。その当時、LAにはプロバイダーが存在しておらず、また私の 記憶が正しければ、Mac や PPP 接続などに関して知っている者など存在し なかったのだ。

私はそれから考えた。今もそうだが、私は Internet サービスプロバイダー などになりたいと思ったことなどない、しかし、Sky や彼がEarthLink で 仕事のために雇った仲間達は会社をうまく盛り上げて信じられない業績を あげた。その成長の速さのために、社員教育が追いつかなかったほどだ。 私は、今回の Macworld SF の EarthLink ブースに立ち寄って Sky はどこ か尋ねた。するとその女性は、まだ勤めて数日しか経っておらず、Sky が 誰かさえ知らないというのだ。成長したために起こった問題だが、この先 さらに全国的な展開が進めばよりこういった状況は起こりえる。順調な発 展を遂げているといっても、最善を尽くすことは忘れてはならない。今後 も事業がうまくいくことを祈ろう。 [ACE]

秘密の Newton -- Apple は最近 Newton MessagePad 130 を発表した。 これは MessagePad 120 と同じプロセッサを使っているが、いくつかのキー となる機能を付加し、ユーザーがコントロールできるバックライト画面、 より耐久性があり映りこみを抑えた新しいディスプレイ表面と512Kの拡張 システムメモリを盛り込んだ。130 は 8 MB の ROM と 2.5 MB の RAM を 内蔵し、ユーザーは 1,361K の RAM を使用できる。Apple は 130 が 799 ドルで 4 月から入手可能になるとしている。Apple プロパガンダは以前の モデルからのどんなアップグレード計画にも言及していない。 [ACE]

Mill 回しアップグレードについて -- PageMill 1.0.1 の回収のあとす ぐに、Adobe は PageMill 1.0.2 をリリースした。PageMill の愛好者は、 Adobe が最近リリースした SiteMill 1.0 の PageMill の部分の完成度に PageMill 1.0 を引き上げたのが 1.0.1 であると思い出すだろう ( TidBITS-317 参照)。しかし、PageMill 1.0.1 と SiteMill 1.0 はと もに画像データを壊すという問題を抱えている。PageMill 1.0 から 1.0.2 および 1.0.1 から 1.0.2 へのアップデータで問題は修正されている。 SiteMill 1.0 から SiteMill 1.0.2 へのアップデータでも同様である。

PageMill 1.0、PageMill 1.0.1 および SiteMill のアップデータは Adobe の Web サイトからダウンロードできる。Adobe の FTP サイトは現在 PageMill 1.0 から 1.0.2 へのアップデータと SiteMill のアップデータ は提供しているが、PageMill 1.0.1 から 1.0.2 へのアップデータはない。 Adobe は Web および FTP サイトにアップデートされた PageMill のドキュ メントもポストしている。これにはインデックスが入っている。 [TJE]

<http://www.adobe.com/Software.html>
<ftp://ftp.adobe.com/pub/adobe/Applications/PageMill/>


APS PowerTools新バージョン

by Florin Neumann <florin@quartz.geology.utoronto.ca>
(翻訳:杉浦雄一郎 <ysugiura@direct.ca>)

Mac 用データ記憶デバイスの代表的ベンダーである APS Technologies 社 [TidBITSのスポンサーでもある-Adam] は先日 APS Power Tools 4.0 をリ リースした。このソフトウェアはディスク管理用のユーティリティで、同 社のドライブにバンドルされてくるものだ。

<http://www.apstech.com/>

APS PowerTools バージョン 3 は、APS のために ProSoft Engineering 社 によって書かれたものであるが、APS 社はバージョン 3.6 がリリースされ た後、同社との契約を打ち切り CharisMac Engineering 社と PowerTools 4.0.x のライセンス契約を結んだ。バージョン 3.6 にはいくつかのマイ ナーなバグがあるのだが、ProSoft 社は契約上はこれらについてのサポー トをする義務はない。しかしこれらのバグはバージョン 3.8 で修正されて おり、同社は PowerTools 3 のサポートはすでに行っていないにも関わら ず、バージョン 3.8 へのアップグレードを同社のFTPサイトに置いている。 これらの同社の判断は特筆するべきものであり、また賞賛されるべきもの であろう。

PowerTools 4 -- 4.0 へのバージョンアップにともない、PowerTools は 幅広い種類のディスクドライブをサポートするようになった。その中には IDE ドライブや、新型の低価格リムーバブル ZIP ドライブが含まれてい る。他の面では、インターフェイスは異なるもののバージョン 3 と同等の 機能を提供するに留まっている。個人的にはバージョン 4 のインターフェ イスは気にいらない。筆者の LC 475 および Power Mac 7100/80 上では バージョン 3.8 よりも操作感が鈍いし、ちょっとわかりにくい点がいくつ か見られる。例を挙げると、バージョン 4 では SCSI の ID 7 が “INITIATOR”としてしか表示されない。ちなみに ID 7 は常に Mac CPU に割り当てられるためバージョン 3.8 では表示されない。この “INITIATOR”という用語は SCSI に精通した人には良く知られているが、 SCSI 用語をあまり知らないユーザーには混乱を与えかねない(この用語は マニュアルの索引にも掲載されていない)。しかし、全コマンドの説明が 簡潔に書かれているヘルプメニューはバージョン 4.0 のいい点として挙げ たい。

バージョン 3 にあっ た Drives Controls コントロールパネルは APT Extension と APT Mounter のアプリケーションのコンビによって置き換え られている。APT Extension は起動時にデバイスドライバをロードし、 SCSI バスの状態表示ウィンドウを表示するもので、APT Mounter は APT Extension の設定と起動後のデバイスのマウントに使用するものだ。また オプションとして、PowerTools に性能強化ユーティリティである APS PowerControl を加えた APS PowerTools プロフェッショナルパッケージも 用意されており、このユーティリティを使用して内蔵ドライブの設定を変 更することができる。

APS PowerTools 3 および 4 は APS ドライブのみのサポートを想定されて おり、APS PowerTools 4 のユーザライセンスも APS ドライブの使用にの み与えられている。しかし、APS PowerTools 4 はバージョン 3 よりも幅 広い種類のドライブに対応しており、その中にはかつて APS により販売さ れたことのないものも数多く含まれている。

APS PowerTools 4 へのアップグレードは行うべきであろうか?もしバー ジョン 3 に満足しているようであったら、そのまま手持ちのバージョンを 使用するかバージョン 3.8 にアップグレードするのが一番簡単であろう。 しかし、ほかのメーカーのドライブを使用していて(特にZipドライブのよ うなもの)、バックアップ、再フォーマット、リストアといった作業をい とわないようだったら、アップグレードのコストは十分すぎるくらい見合 うだろう。

アップグレード -- PowerTools 4 をすでに入手の方は、このプログラム の最新バージョンが 4.0.4 であることに注意されたい。4.0.4 にはかなり の数のバグ修正が施され、また機能強化も行われている(変更内容の完全 なリストは APS FTP サイトの PowerTools Updates ディレクトリで入手可 能)。 PowerTools 3.x から 3.8 へのアップデートもここで入手できる。

<ftp://ftp.apstech.com/PowerTools_Updates/> (Anarchie または Fetch 使用の場合)
<ftp://ftp.apstech.com/Pub/PowerTools_Updates/> (Web ブラウザを使用の場合)

バージョン 4 にアップグレードを希望する PowerTools 3 のユーザーは、 APS Technologies Sales (800/233-7550 または <sales@apstech.com> ) に連絡のこと。アップデート費用は US$4.95 で、通常の郵便で発送される。 ただアップグレードを決心した方は、次のことに留意されたい。新しいド ライバをインストールするにはディスクを再初期化する必要があるため、 完全なバックアップおよびリストア作業が要求されるということだ。これ はパーティションマップが異なるためであり、ディスクフォーマットツー ルをほかのものに変えるときも同じことがいえる。

さらに APS では APS CD Autocache 1.1.2 という CD-ROM サポートパッ ケージを別に用意しており、これも APS PowerTools 3 のユーザーには安 価のアップデートとして供給している。また前バージョンからのアップデー トは次の URL で入手できる。

<ftp://ftp.apstech.com/APS_CD-Autocache/> (Anarchie または Fetch 使用の場合)
<ftp://ftp.apstech.com/Pub/APS_CD-Autocache/> (Web ブラウザを使用の場合)


Xerox、Apple そして発展と

by Bruce Horn <bruce.horn@alumni.cs.cmu.edu>
(翻訳:加藤たけあき <oiso@wolfenet.com>)
(  :Kaz Yoshikawa <kaz@fact.com>)

いろいろな人があなたに Macintosh の始まりについて話を聞かせようとす るだろうが、Bruce Horn 氏はそれを可能にした人物のうちの一人だ。 1973 年から 1981 年、Bruce は Xerox 社で Smalltalk (対話型の、オブジェ クト指向のプログラミング言語)を開発していたラーニング・リサーチ・ グループの学生だった。彼はそこに所属していた間に Notetaker (ポータ ブル Smalltalk マシン)を含む、さまざまなプロジェクトに参加して、初 期の Smalltalk-76 用の Dorado Smalltalk マイクロ・コードを書いた。 1980 年、ノルウェイのオスロにある産業研究のための中央研究所(Central Institute for Industrial Research)で Smalltalk-78 から8086 マシン への移行を手がけた。Mycron-2000 である。

1881 年から 1984 年は、Apple 社で、彼は Resource Manager、Dialog Manager、Finder の設計と実行( Steve Capps 氏の手を借りて)に貢献し た。彼はまた、書類、アプリケーション、クリップボードのデータなどの タイプフレームワーク、およびそのほかいろいろなシステムレベルのデザ インの決定も担当していた。それ以来、1980 年代の Apple 社でさまざま なプロジェクトの顧問を勤め、1993 年に Carnegie-Mellon University か らコンピュータ科学の博士号を授かった。彼は引き続き Apple 社やほかの 企業でコンピュータ科学の顧問を努めている。

すべての始まり -- もう10年以上前に私は、Macintosh のユーザーイン ターフェイスのアイデアがどこからきたのかという討論を聞いたことがあ る。ほとんどの人はそれが、 Steve Jobs 氏が Xerox 社の PARC(Palo Alto Research Center)を訪問したときに発案されたと考えている。この “事実”はよく知らない人(そして知っているべき人)の間で、繰り返し 話されてきた。残念ながら、これは間違っている。- Apple 社のインター フェイスと Xerox 社のシステムのさまざまなインターフェイスには若干の 類似性はあるが、かなりの違いがある。

Steve Jobs 氏は PARC を訪れたときに Smalltalk を観た。彼はマウスで テキストをセレクトしたり、ポップアップ・メニュー、ウィンドウやその ほかといった、Smalltalk にみられるプログラミング環境を観たのだ。 Apple 社の Lisa グループが、Smalltalk のデモから得たものを取り入れ て、彼らの独自のアイデアを基にしたシステムを創り、Mac グループは、 また別のシステムを創った。Mac と Smalltalk を使ってみると、両者には 明らかな差がある。

Smalltalk には Finder がないし、実際必要でない。ドラッグ ドロップ のファイル操作は Mac グループがほかの多くのユニークなコンセプトとと もに開発した。それは、コードから隔離されたレイアウトと国際的な情報 を保存しておくためのリソースとデュアル=フォーク・ファイル、定義手 順、ドラッグ ドロップのシステム拡張と構成、ファイルにタイプとクリ エータを持たせること、書類、ディスク、アプリケーションの名称を直接 編集できること、クリップボードで多くのタイプのデータを扱うこと、ファ イル・システムを自由に見ることができること、デスク・アクセサリ類や コントロール・パネル書類、もっとだ。Lisa グループはいくつかの根本的 なコンセプトも考案した。プルダウン・メニュー、QuickDraw に基づいた 表現とウィンドウを使ったモデル、クリップボード、そして容易に他言語 化できるソフトウェアだ。

Mac のメニュー・バーと一つボタン・マウスに対して、Smalltalk は 3 つ ボタン・マウスとポップアップ・メニューだった。Smalltalk は再描画が 可能なウィンドウさえもなく、 ウィンドウを再描画させるためには、もう 一度その部分をクリックしなければならなかったし、部分的に隠れてしまっ ているウインドウは再描画できなかった。Bill Atkinson 氏はこのことを 知らなかっので、彼は隠れたウィンドウや部分的に隠れている部分を素早 く手前に再描画できるように、リージョンという考え方を QuickDraw と ウィンドウ・マネージャの基礎として考案した。一つ Macintosh の機能で Smalltalk と似ているものは、Larry Tesler 氏によって、彼の Gypsy エ ディタのために PARC で創られた、カット ペーストで様式に捕われず、 セレクション指向でテキストを編集できる機能だ。

みなさんも、Xerox システムアーキテクチャと Macintosh アーキテクチャ に大きな差があるということがわかっていただけてきたと思う。Mac と Windows よりも遥かに大きい。それは驚くことではなく、Microsoft は 1981年から1984年の Mac 開発時に、多くの Macintosh のデザイン( API や、そのほかのコードのサンプルなど)を観ている。その意図は Mac のア プリケーションを書くという手助けであったが、彼らのシステムデザイナー に Windows を開発するべきひな型を与えてしまっていた。それとは対照 に、Mac と Lisa のデザイナーは独自のアーキテクチャを考案しなければ ならなかった。もちろん、Xerox からLisa と Mac のグループへ移ってき た人々もいたが、これらのマシン開発のためのポイントはまったく異なり、 ほかの人が考えているほど我々の Xerox システムの知識は影響していない。

そのハードウェアそのものは同様に脅威的な進歩であった。オールインワ ン設計、4 種類のサウンド、小さな匡体、時計、電動イジェクトフロッ ピー、シリアルポートなどなどを備えていたのだ。小さくてポータブルで 可愛い入れ物にはいったその子は、みにくい角張ったPCが顔をきかすPCの 世界から深刻な船出であった。Jerry Manock 氏とそのスタッフに敬意を表 したい。パッケージには溢れるばかりの創造性と情熱が表われていた。初 代 128K Mac を箱から取り出した瞬間を誰か覚えてはいないだろうか。Mac 本体、箱からの取り出し方法説明書、気くばりの行き届いた図説、美しく 書かれたマニュアル、そしてカセットテープとアニメーションによる練習 プログラム、味わい深いピカソばりの絵が側面に印刷された段ボール箱。

振り替えってみると -- 私の考えでは、Xerox で開発された Smalltalk や Xerox Star のために開発されたソフトウェアアーキテクチャは Mac や Window のどちらと比べても格段に進んでいたのだ。OpenDocが過去におけ る Xerox システムに比べて進んだ点ではあるのだが、それでもStar は現 状のシステムが今だにインプリメントさえ始められていない機能を備えて いる偉大なる完成された姿だった。私は、我々が現在あたりまえのように 使っている技術を革新の道から導いた Xerox PARC の偉大なるコンピュー タ技術者に、ソフトウェア設計において多くをここから学んだひとりとし て、敬意の念を表している。

Apple社はXeroxのアーキテクチャに対抗するさらに複雑で、精巧なシステ ムを開発できたはずだ。しかしMacは出荷されなければならない、そして比 較的に低価格でなくてはならなかった(我々は時間的な余裕も、また“考 えられる最高”の設計のものを買うだけの金銭的な余裕もなかったのだ)。 Lisaの小さな弟として、Macintosh はマルチタスクやメモリプロテクショ ン機能を持たなかった。とわ言え、我々はそれだけのコードを納める領域 も十分なスタックもどのみちなかったのだが。初代 Mac は極度に小さなメ モリとディスク容量しか持たなかった。たとえば、 Resource Manager は ROM のコードのなかで 3,000 バイトにも満たなかったし、 Finder にして も高々46Kディスクの容量を占めていたに過ぎなかった。我々は今思えば悔 いの残るちょっとした拡張を設計時に 多く 決定してしまったのだ(当 時においてもそうしなくてならなかったという妥協に我々の何人かは失望 したのであったが)。しかし、もし我々が別の方法で行ったとしていたら Macは出荷されていたであろうか。

過去と未来 -- いろいろな意味で、コンピュータの世界は 1976 年以来 驚くほど少しの発展しか遂げてきていないのである。そして我々は同じよ うなものを繰り返し作り直しては、それを発明だと言って喜んでいるのだ。 Smalltalk などは、素晴しいバイトコードで表現されたマルチプラットホー ムの仮想マシンであるが Java が登場する大昔に実現されていたのである。 現在ちまたでうわさのオブジェクト指向プログラミングなども、ざっと 30 年もの歴史があるのだ(言語 Simula-67 を参照されたし)。環境などには さらに進化がみられない。1970 年代後半の Smalltalk 環境などは私の今 までつかった経験のなかで、最も快適で最もクリーンで最も高速で最もス ムーズなプログラミング環境なのである。たとえ、CodeWarrior が C++ に よる開発においてそれ相応によくできた製品であったとしても、私がほと んど 20 年前に使っていた Smalltalk システムと、ひいき目に見ても比較 の対象にはならないのだ。もっとも現在の Smalltalk システムは初代のも のに比べて、クリーンとも使いやすいともよく設計されているともいえな い気がするのだが。

我々は、情報と通信の究極のコンピュータ環境には程遠いところに位置し ている。我々はシステムアーキテクチャとユーザーインターフェイスの改 善にもっと時間を費やさねばなるまい。特にユーザインターフェースの設 計には、見かけにとらわれた、あらてのグラフィカルなものではなく、構 造的な問題に深く切り込んだものでなくてはならない。インターフェイス とは構造であり見栄えではないのである。Copland にしろ Windows 95 (NT とて)にしろこれらのオペテーティングシステムはそういった意味で は該当しない。残念ながら、市場が求めるものが次なる進化へのゆっくり した開発を生んでしまうのである。それでも私は、Apple 社がこれらの改 善事項を次世代システムへ向け続ける会社として頼もしい存在であると思っ ている。

Apple 社に起源があると私が思っている技術のいくつかは、本当は他の会 社が独自に開発したものに違いない。ただ Mac を通じて世界に登場しただ けの事なのだ。

[当記事は、Guy Kawasaki 氏の Evangelist に寄稿されたものである。よ り詳細な情報は <evangelist@macway.com> まで電子メールされたし]


Darryl Peck インタビュー(第一部)

by Adam C. Engst <ace@tidbits.com>
(翻訳:尾高 修一 <odaka@iprolink.ch>)
(翻訳:村上 浩  <murasan@yk.rim.or.jp>)

InterviewBITS 第二弾へようこそ。今回は、前回の Peter N Lewis 氏ほど はなじみがないかもしれないが、 Darryl Peck 氏<dpeck@cybout.com> の インタビューをお届けしよう。それでも、Darryl は何年も前から Macintosh の世界の住人になっており、もっとも最近では Internet へと 地平を広げている。Darryl は New York Mac User's Group (NYMUG) の Sysop、そして会長を歴任している。次に Darryl は Inline Software と いう小さな Macintosh のソフトハウスを作った。Inline Software は、比 較的最近の PopupFolder や、Eddy Award にも輝いた 3 in Three など、 いくつかの革新的なユーティリティと 1 ダースほどのゲームで知られてい る。Inline Software を 6 年間経営した後、Darryl は同社を Focus Enhancements に売却したが、Focus は Inline の製品のためになることは あまりしてくれなかった。次に、1995 年の中頃、Darryl は Web 上でハー ドウェアとソフトウェアを販売する Cyberian Outpost を設立した。 Cyberian Outpost は、主として Mac 上で運営され、ほかのどの Internet ショップよりも Macintosh に力を入れているという点で特異な存在となっ ている。

[Darryl] おかしな話で、Inline は純粋に偶然始まったんです。昔からの 友人と一緒に、家具やヨットのデザインをするつもりで Inline Design と いう会社を作ったんです。なんとかその会社を軌道に載せようとしていた 時、私は数か月北カリフォルニアに主に自動車関連の雑誌の記事を書きに 行ったんです(そう、コンピュータの前に座っている時以外は、私はたい てい 3 歳の娘とレースを見ています)。それで原稿用紙に書く代りについ に Mac を買ったわけです。Mac Plus に 750 ドルの 20 MB ハードディス ク、Image Writer II、それに 1200 bps のモデムを買いました。

しかし、BBS や CompuServe の世界を発見すると同時に、私のライターと しての生産力は地に落ちてしまいました。Mac を買ってから最初の 6 週間 は平均 2 時間しか睡眠をとらず、いくつかの HyperCard スタックをフリー ウェアとして世の中に送り出しました。数週間の間に、多分私は北カリフォ ルニアにあるすべての BBS からすべてのファイルをダウンロードしたと思 います。完全に中毒になりましたね。あまりにも症状が深刻だったので、 Apple のそばにいるために Cupertino でテントを張って暮らそうかとさえ 思いましたよ。

とにかく、地元のニューヨークへ帰ってきてからは NYMUG に深く関るよう になり、一緒に Inline を始めた友人が、あろうことか Apple のデベロッ パーとして認められたことを知りました。彼はただ Mac II が半額で買え るからというだけの理由で登録を申請していたのですが、私にとっては情 報と Apple のロゴがついたたくさんのグッズの宝庫でした。最高でしたね ! ところが、ある日 Apple が電話をかけてきて、どんな製品を開発したか 聞いてきたのです。これがデベロッパ・プログラムの条件だったものです から。私の Apple グッズの供給が停止するということはあまりにも恐ろし いことだったので、私はデベロッパ・プログラムに残る方法を探すことに しました。

すると、友人にはゲームにのめり込んでいる友人がいることがわかり、し かも彼は Bomber という HyperCard ベースのゲームを作り終ったところ で、それをシェアウェアとしてリリースしようとしているところでした。 私は、5,000 部売ったら 100,000 ドルを支払うという条件で、私に販売を 任せてくれるように説得しました。彼は同意し、こうして私達はスタート を切ったわけです。新しい会社を始める代りに、私はすでに登記してあっ た Inline Design の名前を使うことにしました。私はデベロッパ・プログ ラムから外れないことだけを目的としていましたので、お金をかけるつも りはみじんもありませんでした。私は映画業界で“ガファー” (gaffer) として働いていましたので、休日と夜だけで Inline を経営しなければな りませんでした。

[Darryl] ガファーは映画やテレビの照明係のことです。私がしていたのは ほとんどテレビのコマーシャルの仕事でしたけど。デザインの会社を始め た頃、私はもう 10 年ほどガファーの仕事をしていました。でもデザイン の会社はうまくいかなかったので、Federal Express(笑わせてくれるタイ プのもの)や McDonalds、Nissan、Miller Lite などのコマーシャルの撮 影の照明をして食いつないでいました。

ちなみに、ガファーという名称は、かつての英国で毎日夕暮れ時にガス灯 をともして歩いた人に由来しています。ガス灯に点灯する時に使われてい た道具が gaffe と呼ばれていたのです。これで読者の皆さんも重大な企業 秘密を知ったことになりますね。

[Darryl] その頃、Inline Design は Bomber を短期間に10,000 部以上売 り上げたので、私は映画職人組合を脱退して Inline に集中することにし ました。私はニューヨークの Upper West Side にあるワンルームのアパー トで会社を経営していて、ベッドの上で製品を製造していたので、こうす るしかなかったのですが、毎晩朝の 4 時か 5 時まで箱詰め作業をしてい ましたよ。Bomber には無料でヘッドホンをおまけしていた関係で、大量の ヘッドホンを仕入れていましたから、段ボールが天井まで山積みになって いて、私の小さなアパートは立錐の余地もないぐらいでしたね。隣近所の 人たちは何か変なことが行われているとは思ったようですが、いつも警官 がピストルを持って強盗がいないか見回っていたような所なので、奇妙な 箱の山などは見過ごされていたのかも知れません。

ついには私は結婚してコネチカット州 Sharon の森に引っ越しました。妻 が空き部屋で会社の経営を手伝ってくれるようになり、製品を製造する会 社も見つけました。1990 年には Darwin's Dilemma、1991 年には Swamp Gas Visits the USA、3 in Three、それから Mutant Beachをリリースしま した。3 in Three はその年、ゲーム部門の Eddy Award を授賞しました。 Swamp Gas もノミネートされたのですが、惜しくも Kid Pix に敗れまし た。そうして、ついに最初の社員を雇ったわけです。

売上が拡大するにつれ、自宅から本当のオフィスへ会社を移すことにしま した。そこで、荷物をまとめてオフィスビルに改造された 7,700 平方 フィートの 150 年前のビクトリア調の邸宅へ引っ越しました。さらに社員 を増やし、かなりラインアップを充実させてくれた Microseeds シリーズ のユーティリティ群など、製品も多数リリースしました。この頃の製品に は Firefall Arcade、Swamp Gas Europe、INITPicker、Redux Deluxe、 HAM、Icon 7、PopupFolder などがあります。

[Darryl] ソフトウェア業界には急激な整理統合の動きがありました。私た ちの経営にもその影響がおよび始めたのは疑いもない事実です。年間 5,000 万ドルの損失を出してもやっていけるような会社(Spectrum Holobyte 社) と競い合うことなど困難でした。Microsoft 社も消費者市場へ参入してき て、その実現のために 500 人からなる小さな組織を雇ったのです。災いの 前兆でした。この業界から去るべき時が来たのです。

考えられる選択肢はたくさんありましたが、速く行動に移さなくてはとい うプレッシャーも感じていました。今から考えれば、あの選択は大きな過 ちだったと思います。周知の通り、Focus は Inline の製品に対しては何 もしなかったし、まったく努力をしなかったおかげで、タイトルのいくつ かは影も形もなくなってしまいました。この件についてもっとお話しした いところですが、契約上の制約のため真実を明かすことはできません。不 運なことに、その契約書がまたよくできているんです……

<http://www.cybout.com/>

[Darryl] 率直な話、仕事が必要だったんです。マサチューセッツ州の Woburn で、ソフトウェアのことは何も知らない会社のために Inline を運 営しようと試みましたが、その流浪の 7 ヶ月間から戻った時、私は 23年 間で初めて無職の身となったのです。その無職の間、何をしようか考えて いました。ソフトウェア会社の経営を任せたいとの申し入れが数件ありま したが、小さくて資金繰りもよくないソフトウェア会社の時代はもう終わっ たという感が非常に強かったのです。それで、San Francisco の Macworld Expo へ行き、コンサルタントの仕事をしたのです。MacWorld には 9 年間 欠かさず行っていました。ほかに Macworld でしたことといえば、あなた の本、Internet Starter Kit for Macintosh を買うことでした。

[Darryl] 初めて Mac を買った時からずっとオンライン中毒でしたが、 Internet を探検する機会は一度もありませんでした。CompuServe では何 千時間も過ごし、AOL(私は好きになれなかった)でも数時間を過ごし、 CONNECT(こんな情けないオンラインサービスがあったことを、どれだけの 人が憶えているでしょう?)も利用したし、Prodigy (約 10 分間)も試 してみたし、それから NYMUG の BBS 運営もしてきました。けれども、San Francisco から家に帰る飛行機内で Internet Starter Kit for Macintosh を全部読み通したとき、私は Internet 中毒者になろうと決意したのです。

家に着いたのは 午前 2 時頃でした。それから Internet Service Provider (ISP)のことを調べて、昼までには Internet サーフィンを楽しんでいま した。Connix(私が利用している ISP)の人間は、いまだに私のことを、 ちょっと気が変な奴だと思っています。今すぐにアカウントを取らないと いけないから、待つことなどできないと話したのです。基本的に、生きる か死ぬかという問題なのだと話したんです。ドラマティックでしょう?

そして MacWeb ブラウザ(本に付属のディスクに感謝!)を起動し、生ま れて初めて Web というものを見たのです。数分の内に、私の生きていくべ き場所を見つけたことに気づきました。Web がすべてを変えることになる だろうと直感しました。国境などなくなってしまう。コンピュータ・プラッ トホームの違いなど無意味になってしまう。販売形態もきっと今とは違う ものになるだろうと思ったのです。おそらく、これらの考えをまとめるた めには数週間はかかるところでしょう。ところがその間、私は日に 12 時 間から 16 時間も Web 上で過ごし、何千ものサイトを訪問していたのです。

やがて Web でコンピュータ販売業を経営するというアイディアが生まれて きました。紙ベースのカタログや小売店よりも、Web の方が莫大な利益を 生むだろうという気がしたのです。それに、技術を駆使した仮想店舗なら、 既存する同業者からマーケットシェアを奪うことができるだろうと思った のです。ビジネスプランとリサーチには何百時間も費やしました。リサー チのほとんどは Web 上で行ったので、その時間さえ本当に楽しいものでし た。

[Darryl] そうですね。おそらく、利益をあげている極めて少ない例の一つ だと思います。ほとんどすべての収益を再投資に使う方なので、それほど 儲かってはいません。ただ、きわめて順調に進んでいることは事実です。

[次週はインタビューのパート 2 をお送りする。Cyberian Outpost で経験 したことについて Darryl が話してくれる。 -Adam]

Reviews/25-Mar-96


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