Apple は主要な観客スポーツ以外の全てを無視していて、そこには陸上競技も含まれる。私は、来月の世界室内陸上競技選手権大会の実時間スコアを見たいと思う。おそらく Apple は、今年後半に開かれるあのちっぽけなスポーツイベント、2024 夏季オリンピック に間に合うように、他のスポーツが存在することを認めるのであろう。
考えてみれば、現実を再作成して処理できるようにすることこそがテクノロジーの最終目標だ。現実がデジタルならば、何でもできる。例えば Ready Player One のような仮想世界の中へ飛び込みたいと思うならば、それはSF小説だ。たとえハードウェアが現時点で揃っていたとしても、ソフトウェア (つまり仮想世界) は何十年も遅れている。現実は難しい。
Vision Pro は、その方向へ向けた大胆な一歩だ。今はとてつもない逆風に晒されている。まだ新しくて奇妙だ。機器は (Apple のデザイナーたちがいくら洗練を目指したとしても) 扱いにくい。ネイティブなソフトウェアはあまり多くないし、値段が法外に高過ぎる。
でも、あらゆるものはどこかでスタートを切らなければならない。
私が Vision Pro で最も強い印象を受けたのは、これが本物のコンピューティング・プラットフォームだという点だ。足を踏み入れれば、驚くほどの深さと思慮深さが見て取れる。これはユニークなインターフェイスを備えた、新しいパラダイムだ。ただ、Apple はそれを既知のテクノロジーの上に構築したので、初日の段階で私たちは既に 100 階にまで到達している。
Apple がこれを“空間コンピュータ”と呼んでいるのはとても好ましい。その理由はこれが何か特定の意味を持った用語だからというのではなくて、Apple がこの Vision Pro を新たなタイプのコンピュータとして定義しようとしているからだ。
確かに、そこには VR (仮想現実)、AR (拡張現実)、および MR (複合現実) という側面があるのだが、純粋にそのどれかである訳ではない。そうではなくて、それらのハイブリッドであり、市場が導くところならばどこへでも成長できる余地を持つ。Apple は実質的にいろいろな機能を壁に投げ付けて、どれが残るか試そうとしている。それは、Apple Watch でしたのと同様だ。VR の側面が人気を得るかもしれないし、ひょっとすると AR を使うアプリが最も便利に使えるかもしれない。どうなるかは誰にも分からない。これはあまりにも複雑で、刺激的なものなので、最も魅力的な方向を見定めるまで何年にもわたる開発が必要となるかもしれない。AR と VR の両方が重要となるかもしれないし、このプラットフォームが何か全く違うものに落ち着くかもしれない。あるいはその両方が同等に役立つのかもしれない。その答を Apple は知らないし、私も知らないし、他の誰も知らない。
Vision Pro が何の役に立つかを正確に知っている人が誰もいないので、大規模に採用されるまでには長い時間がかかるだろうし、携帯電話のように実用性が一目で分かる製品の場合に比べてずっと長くかかることだろう。それだからこそ、Apple は妥協に満ちた、価格の高過ぎるデバイスをこんなに早い段階でスタートさせようとしているのだ。Apple はハードウェアに改良が加わるまであと数年間待つこともできたはずだが、より良いテクノロジーは必ずしも自動的に私たちが必要とするソフトウェアを与えてくれる訳ではない。現時点でこのデバイスをリリースすることで創意と需要が刺激され、あと数年経ってヘッドセットがもっと小さく安価なものになれば、そのための環境とコンテンツが揃っているようになるだろう。もしそれが起これば、爆発的な活動が生まれると予想したい。今は、その未来に備えたスタートのタイミングなのだ。
去年の夏に Apple が Vision Pro を発表したと聞いたその瞬間に私がこのデバイスを欲しいと思ったことをあらかじめ告白しておこう。価格が高く、使い道がない可能性もあり、第1世代製品特有の欠陥もあるであろうことは十分に分かっていた。でも私は気にしなかった。私は機器大好き人間だ。Apple がテクノロジーに深く細かいところまで取り組むやり方を大いに気に入っている。そして、私は新しいインターフェイスやパラダイムを探求することそのものがとても楽しい。Vision Pro がこれまであったものとあまりにも違うと知っていたので、私は他の人たちの体験談を一切読む気にならなかった。自分で判断してみたかったからだ。
そういう訳で、マニアであるこの私が Apple Vision Pro の現実にどんな反応を示したかというと、それは決して「まあ、どうでもいい」というものではなかった。それはむしろ「うーむ」というものであった。
そういう状態なので、私は Vision Pro の Accessibility オプションをいろいろ試してみた。例えば視線の代わりに頭の動きを追跡するオプションや、音声を使ってインターフェイス要素を選択するオプションがあるが、いずれも結果はまちまちだった。Accessibility にはバグが多いようだ。時には、設定しておいたはずのオプションが勝手にオフになっていることもある。あるモードでは個々のインターフェイス要素に番号が表示される (例えば音声で "Tap 17" と命じればそのボタンがクリックされる) が、それらの番号ラベルのうちおよそ 50 個がウィンドウを閉じた後もそのまま残ってしまう! 番号を消すためには Vision Pro を再起動しなければならない。(これらの話題の詳細は zmknox の記事 "Vision Accessibility on Apple Vision Pro" をご覧頂きたい。)
現時点での私の解決策は Apple Magic Trackpad を使うことだ。Bluetooth 経由でこのトラックパッドを Vision Pro にペアリングすると、一貫性のある、快適な、全般的に信頼できる体験が得られる。ただしその“信頼できる”という言葉には注釈を付けるべきかもしれない。あるセッションの最中、トラックパッドのポインタがいきなり消えてしまい、それを取り戻すために Vision Pro を再起動しなければならなかった。これが単なる初期バージョン特有のバグであって将来は修正されると願いたい。
私はリクライニングチェアに座って Vision Pro を使っている。この椅子には幅の広い、上面が平らなアームレストが付いているので、その上にトラックパッドを置いて手が自然にその上に来るようにすることができ、快適に使えている。
トラックパッドを使っても視線追跡やハンドジェスチャーの機能はそのまま使えることにご注意頂きたい。そちらの機能も使いたければ使うことができ、便利に使えている。けれども、頭の動きを追跡するオプションをオンにした状態でトラックパッドを使うとコンフリクトが起こると気付いた。Vision Pro にはどちらの入力を優先すべきかの判断がつかないのだろう。トラックパッドを使っているつもりでも、無意識に頭が少し動けば、ポインタが思わぬ場所へジャンプしてしまうことがある。頭の動きの追跡をオフにして、トラックパッドを主に使い視線追跡を予備の機能として使うことで、状況はかなり良くなった。
トラックパッドを使うということは、余分のものを持ち歩かねばならないことを意味し、Vision Pro の携帯可能性を下げることになる。でもこれは視力に問題を持つ私特有の問題であって、たいていの人には起こらない問題であり、必要ならば私もトラックパッドなしで視線追跡だけを使って何とかやって行くことができている。私にとってトラックパッドは視線追跡がうまく行かない場合にストレスとフラストレーションを減らしてくれるものという意味合いが強い。使い勝手は Mac のラップトップ機で使うのと同じくらいスムーズで自然に感じられる。(また、iPhone 互換なゲームコントローラならどんなものでも (ただし VR コントローラは使えない) ペアリングして使うことができ、それを使ってインターフェイスをナビゲートできるけれども、トラックパッドに慣れているならその方が使いやすいだろう。)
Mac で仕事をしたり、iPhone を使ったり、テレビを観たりする際には、数分ごとに窓の外を見るようにしている。一時間に一回ずつ、立ち上がって窓の近くへ行き山の風景を眺めている。これが私の目には信じられないほどの効果がある。ずっとスクリーンを見つめたままでは目が疲れてしまうからだ。
Vision Pro を装着したままではそれができない。何マイルも遠くにあるかのように見える仮想の Mount Hood 環境を呼び出すことは可能だけれども、実際には私の目から 1 インチほどしか離れていないスクリーン上に風景を投影しているだけのことだ。これでは目を休ませることはできず、本物の遠くの風景を見つめた場合のように焦点を調整し直すことはできない。
今のところ、ヘッドセットを取り外すとかなり目が疲れたと感じることが多い。まるで、休まずに何時間も続けて Mac の画面を熱心に見つめた後のような感じだ。もちろん、Vision Pro はあまりにも新しい製品なので私が使い過ぎているのかもしれない (夜遅く、既に疲れた状態で使うこともあった) が、いずれにしてもスクリーンが近いところにあることと目の健康の問題とが考慮すべき要因であることは確かだ。今度診察を受けに行く時に、かかりつけの眼科医に相談してみようと思っている。
Vision Pro を使う
では、Vision Pro の使い勝手はどうだろうか? 明らかに、その答は主観的なものだ。ある人には楽しいものが、別の人には恐怖でしかないこともある。何時間も Vision Pro を装着したままにしていても平気な人もいれば、それができない人もいるだろう。だから、その人自身が試してみて判断する必要がある。
私は犬と一緒に一人で住んでいるので、Vision Pro の非社交的な側面は気にならない。(ただし Charlie は私がヘッドセットを装着すると怪訝な風に私を見る!) 実際、私から見れば Vision Pro は普段よりも社交的になって接続できる手段となる可能性を持つ。仮想的に、だが。FaceTime 通話のためには、私なら iPhone や Mac よりも Vision Pro を使いたいと思う。ハンズフリーで使えるという側面が自然さを増すからだ。Vision Pro を使ってお互いに相手の環境の中に登場すれば、自宅のソファに座ったままで遠くの友人を訪問したり仮想のカンファレンスに参加したりする様子を想像できる。
普段から会っているカップルや家族でも、Vision Pro の没入的機能がありがたい状況を想像できる。自宅で仕事をする人や、自宅のすぐ近くに仕事場がある人は、気を散らすものをブロックするために使えるかもしれない。ほんの数分間だけでも Vision Pro を使って生活のゴタゴタから逃れることができれば癒しとなるかもしれない。
けれども人によっては、体験を大切な人と共有できないことが決定的な問題となる。ヘッドセットの中にいる状態では、一緒に試合を観戦しようと誘っても何の意味もないだろう。だから、誰もが自分の状況を考慮する必要がある。カップルで同じ番組を観るのが好きでいつも一緒にテレビを観ている人たちもいれば、二人で同じ部屋や同じ家にいてもそれぞれ別々のことをしている人たちもいる。後者の場合、Vision Pro がその助けとなるかもしれない。
これまで Vision Pro を使ってきて、現時点で私が引き出せる結論が二つある。当初のうちは、私はヘッドセットを着けていても快適で、重さも気にならないしフィットに関する問題もないと思っていた。けれどもその後、ゆったり座ってテレビ番組を一時間も観ていると、自分の顔の上でヘッドセットの重さが気になり始めた。主に頬骨のあたりに違和感があった。その感覚は不快というほどではなかったが、私はそれを気にするようになった。長時間のセッションを続けた後には顔が少しヒリヒリする感じが残ることがあり、ヘッドバンドを緩めるやり方を学ばざるを得なくなった。ずり落ちないようにバンドをきつくする方が良いと本能的に思っていたが、少し緩めた方が具合が良いと分かった。
Vision Pro には2つのヘッドバンドが付属する。Solo Knit Band と Dual Loop Band だ。Dual Loop Band には頭の上方に来るストラップが付いていて、それがデバイスの重みをより多く支えるようになっている。Dual Loop Band の方が装着に手間がかかるけれども、レビュー筆者たちの多くは長時間 Vision Pro を使うセッションには Dual Loop Band の方が好ましいと述べている。けれども私は Dual Loop Band の方が着け心地が悪いと感じるので、Solo Knit Band の方がずっと好ましいと思う。
Vision Pro を使ってウィンドウをナビゲートしたり、アプリをコントロールしたり、Mac を使ったりしている最中には、すべてが驚くほど快適に感じられる。けれども集中すべき対象があまりなくなった途端、フィットが気になり始めて、ヘッドバンドの締まり具合を調整したりするようになる。それに、ゴーグルの下のちょっとした痒みとか汗とかも気になって、いったんそう気付けばもはやその気持ちを追い払うのは難しい。
これは、私が予期していたのとは逆の状況だった。私は、作業中には快適さの度合いが気になるだろうけれどもエンターテインメントを見始めればあまり気にならなくなるだろうと予想していた。実際にどうなのかはこれからの問題だ。Vision Pro の快適さと人間工学的要素について長期的判断を下せるのはまだ先のことだ。
でもこの Vision Pro は真の意味で没入的な体験を提供する。ヘッドセットを装着することで、まるで魔法の世界へ運び込まれるような感じがする。環境が変わる際には、微妙だがはっきりした断絶の感覚がある。ヘッドセットを装着すると、まるで自分が遠くの素晴らしい場所へ出発するロケットに乗り込むような気分になる。ヘッドセットを取り外すと、退屈な現実世界に引き戻されたようながっかり感を覚える。
Vision Pro はその感覚を私に引き起こさせる。どちらの世界が他より良いとか悪いとかいう話ではない。ただ単に違う世界だということだ。大幅に違うほどではないが、十分に違う。微妙な違いかもしれない。Vision Pro を周囲の環境が見えるパススルーモードでなくフルに没入的な環境で使った場合にその効果が最も強い。けれどもパススルーモードの中でさえ、私は違いを感じる。それはある意味安心感であると同時に、現実に戻ることへの遺憾の念でもある。
それはまるで魔法のようで、Vision Pro が持つパワーを示すものだ。これは、その各部品が持つパワーを足したものを超えている。インターフェイスのデザインとハードウェアの品質とが、人の脳を騙して自分がどこか別の場所にいるように思わせる。たとえ一人でリビングルームにいたとしても、空中に浮遊する 3D ウィンドウとアプリが、自分がもはやカンザス州にいるのではないという気にさせる。その世界から脱する時点で、脳が自らを調整し直すことになる。
このような精神的断絶が起こるのは、Vision Pro があまりにも新しいものだからかもしれないが、私としてはこれが単なる始まりに過ぎないのだと言いたい。より多くの仮想世界が利用できるようになるにつれて、私たちはますますそれらの世界の中で時間を過ごすようになり、その転位の効果はますます強くなるだろうと私は思う。
一つの例として、しばらく iPad を使った後で Mac に移った場合を考えてみよう。知らず知らずにスクリーンをタップしてウィンドウを閉じようとしてしまうかもしれない。それと同じように、いつの日か私たちは現実世界の中でそこに存在しない仮想のフローティングウィンドウに手を伸ばしてやり取りしようとし始めるかもしれない。言い換えれば、この新しいインターフェイスが頭の中に入り込み、現実に干渉するようになるのだ。
その結論を出すにはまだ早過ぎる。現時点ではまだこのデバイス上に十分なソフトウェアがなくて私のコンピューティングの必要をすべて満たすに至っていないので、近い将来に私が Vision Pro の中で生活するようにはならない。ただ、人によってはそうなるかもしれず、そのことは新たな問題となり得る。Apple はセットアップの手順の中でユーザーに向けて、気楽に構えること、直ちに Vision Pro で長い時間を過ごすのでなく、少しずつ使う時間を増やして行くことを勧めている。私たちの脳にとって、この新しい世界とそのさまざまな予期せぬ結果を処理するためにはある程度の時間が必要なのだろうと思う。
Vision Pro で気付いた興味深い点の一つとして、私は日常的な事柄をするためにわざわざ Vision Pro を使おうとはしない傾向にある。その理由はこれを装着するのがやはり少し面倒だからだ。保護用の前面カバーを外して、ヘッドセットを装着し、ヘッドバンドを調整してから、Vision Pro が目覚めるまで待ち、視線が認識されるのを確認してからログインする、といったことだ。それとは対照的に、iPhone を手に取って、銀行取引アプリを起動し、残高を確認して、iPhone を下に置くという作業はもはや完全に自然な手順になっている。Face ID のお陰で何の摩擦もなく、ほんの数秒ですべてが終わる。
それと同じ作業を Vision Pro でするところは想像できない。それはまるで、郵便箱まで走って行くためだけにわざわざ冬のコートとブーツと手袋を装着するようなものだ。このちょっとした摩擦があるので、おそらく私は大きなこと、例えば意図してゆったり座ってテレビ番組を観るとか、少なくとも 30 分間続けてプロジェクトの作業に取り組むとか、そういった目的にのみ Vision Pro を使うようになると思う。Mac 上では、私は毎日アプリからアプリへと飛び回っている。記事のためにメモを書き留めたり、どこかのウェブサイトをチェックしたり、文章を少し書いたり、何かのニュースを読んだり、新しいテキストメッセージや電子メールをチェックしたり、これらはそれぞれ数分間ずつしかかからない。もし私が既に Vision Pro を装着していたとすると、それらの作業のいくつかはその状態のままでも実行可能だろうが、やはり余分の労力がかかるとしか思えない。
私が思い付いた最良の比喩を言えば、iPhone や iPad や MacBook Pro は十分に軽くてどこへでも持って行けるので、どこででも使える。一方、Vision Pro を使うのは、例えて言えば特別の部屋へ行くようなものだ。仕事のためには仕事場へ行くし、ビデオを視聴するためにはホームシアターへ行く、といったことだ。いったんその場所に着けば素晴らしくうまく働くけれども、その場所に着くまでにちょっと手間がかかる。
私がもっともっとこのシステムに慣れて、Vision Pro 環境の中でしかできないことをいろいろ発見するにつれて、状況は変わってくるかもしれないが、現時点では上に書いたことが私の感覚だ。ヘッドセットを装着する手間がやはり相当の摩擦として存在するので、その分私が利用する可能性が減る。
時が経てばきっともっと使いやすくなるのだと思うし、現時点でも Vision Pro の起動はかなり速いといっておかなければならない。手順はたくさんだが、ヘッドセットに手を伸ばしてからフローティングウィンドウでの作業を開始するまで、実際にかかる時間はたった 15 秒ほどだ。Apple は賢明にもこのプロセスを十分高速にしてくれた。ただ言えるのは、iPhone や Mac に目をやることと比較すれば、やはり装着するのが余分の手間だということだ。だから、Vision Pro は日常的な目的で使うためには向いていない。
メディアの長所と短所
Vision Pro の中の没入体験のようなものは他にはない。正直な所、Vision Pro用の没入型 3D で撮影された Apple の Wildlife 番組の最初のエピソードを見た時、私はこれ以上壮観なものを見たことがなかったと言える。それは、我々が手に出来るものの中で Star Trek のホロデッキに最も近い。それは、遊園地にある360 度のパノラマルームに居るようなもので、すべての壁と天井にビデオが投影されているが、違いはこちらの方が遙かに良くそしてまさに自分の家の中でという点である。
私は実際に South Africa の原野にいて、等身大の人々とサイに囲まれているようにすら感じた。私は 180 度の視角で左右を見ることが出来た。音は、私が本当にその原野に居るかのように何処からも私の周りから聞こえてきた。風も匂いもなかったが、あたかもあるように感じた。私の脳はそれを納得していた。その 3Dはとても現実的で、解像度はとても高かったので、その体験は完全に現実だと感じた。
その体験は斬新だった。私は初めてビデオディスプレーを見た事を覚えていない -私はスクリーンで育った - しかし、これは人々が最初に動画を見た感覚に似ているのではと想像した。今日、それらのちらつく白黒画像は原始的に見え、今日のテレビも今から 10 年か 20 年後には同じように見えるのかも知れない。しかし、現時点では、Vision Pro の内部で見られるもののようなものは地球上には存在しない。
悲しいことに、これを二次元で伝えることは不可能である。スクリーンショットを撮ってみても、フラットデバイス上では普通に見えるであろう。この魔法はVision Pro の中でしか見ることが出来ない。(Apple はまた、著作権の制限のためにどんなメディアでも黒塗りにしてしまうので、スクリーンショットは空白またはビデオ画面が欠落して見える。)
もう一つ残念な点は、この没入効果は 180 度ビューの高価な 3D カメラで撮影されたビデオにのみ当てはまるということである。Apple は Apple TV+ に幾つかのサンプルを用意しているが、あまり多くはない。3D コンテンツに没入した後では、2D 番組は、まあ、平板に感じる。時間が経てば、より多くの 3D コンテンツが登場するであろうが、今はこれ以上見るものがないのは悲しいことである。
Vision Pro の内蔵カメラまたは iPhone を使って独自の 3D 映像を撮影出来るが、180 度レンズがないため、それほどの没入感は得られない。しかしながら、3D は未だ信じられないほどである。私に向かって歩いて来る我が家の犬の短い動画を撮影し、再生を一時停止した時、Charlie の完璧なホログラムが私の眼の前に浮かんでいて、本物の犬は床に私の足元に丸まっていた。 違いは分からなかった。 この仮想犬はとてもリアルに見えたので、私は彼を撫でようとした!
Apple TV+ やその他のストリーミングプラットフォームには 3D 映画がある。これらは没入型ではないが、あなたが今まで試したただ受けを狙った映画館 3D を吹き飛ばす。3D 効果は自然で、偽物には見えない。
勿論、通常の 2D ビデオでも Vision Pro では見栄えがする。しかし、それは平らで普通だ。鮮やかさと色は素晴らしい。誰かが Vision Pro はあなたの家で最高のテレビになると言うのを聞いたが、それは間違いなく本当である。しかし、それではただのテレビである。没入型環境を使い、劇場や屋外で巨大なスクリーンを見ているようにしてやると、驚くほどより良く見える。それはとても奇妙な効果である:私は目の前で小さなディスプレイを見ていることを認識しているが、それは IMAX スクリーンのように見え、私の心が幻想を完成させる。
そうは言っても、Vision Pro をテレビとして使用することには3つの問題がある。最初のものは私に特有のものかもしれない。私は未だ衛星テレビでコンテンツの殆どを取得し、DVR に録画する。Vision Pro でこのコンテンツを見る方法は全く無い。ストリーミングで入手出来るいくつか番組も幾つかあるが、全てではない。それに、ストリーミングの使い勝手と性能は DVR にはるかに劣っていると私には思える。
二番目の問題は、私がじっとして一つのことをしていられないことである。私はテレビを見ながらマルチタスクや他のことをする。iPad で Words With Friendsをプレーしたり、メールをチェックしたり、RSS フィードでニュースを読んだり、おすすめのウェブサイトにアクセスしたり、犬を撫でたり、その他 100 ものことをする。それ等の幾つかは Vision Pro でも出来る - 私はテレビの横に巨大なMessages アプリを置き、見ている間にテキストやチャットをすることも出来る。私ができないものもある - 例えば、私の RSS リーダーは Vision Pro と互換性がない。
本格的な映画では、Vision Pro を装着して、世界を遮断し、映画に集中することを想像することは出来る。では、私の全集中を要しない日常的なシットコムやアクション映画に対してはどうだろう? まず、あり得ない。多分、先に行けば、私はVision Pro の中でテレビを見て、余分なウィンドウで他のことをするのが好きになるかも知れないが、少なくとも今は私にとっては良い使用事例ではない。もしストリーミングに入れ込んでいて、お好みのサービスのアプリが Vision Proで利用できるのでれば、うまくいくかもしれない。小さなアパートに住んでいる場合や、これ迄は iPhone や iPad でしか見ていなかった場合も、理想的かもしれない。
三番目の問題は、非ネイティブビデオ、例えば iPad アプリを介してのみサポートされているストリーミングサービスを見るとすると、Vision Pro 用のメディアコントロールを取得できないことである。 これだと、映画の視聴方法が制限されてしまう。それを修正するために、より多くのネイティブ visionOS アプリが現れることを願うものである。
しかし、Amazon Prime ビデオは現在、Amazon の iPad アプリ経由でのみ利用可能だが、そのような機能を欠いている。私は通常のウィンドウでそれを見なければならない。そして、それをかなり大きいものにすることも出来るが、あなたが適切な照明と影を持った映画館にいるように見せることが出来るのと同じではない。
あるいは、ネイティブの Max アプリは、Game of Thrones 玉座の部屋に没入してショーを見させてくれる。それは驚くほどクールであった。それは巨大な映画スクリーンのある大きくて暗い空間で、城壁は石で、いくつかの揺らめく松明が雰囲気を増し、そしていくつかの高い窓から夜空に星を見ることが出来る。
Disney+ サービスには、いくつかの没入型ルームを備えたネイティブアプリも含まれているが、私は Disney が昨年価格を劇的に引き上げた時に購読を解約したため、まだテストしていない。しかし、Vision Pro のビデオ体験はとても良いので、再購読したところなので、間もなく Disney+ をテストする積もりである。Star Wars の映画は、Vision Pro でとりわけ印象的だろうと思っている。
理論的には、テレビとしての Vision Pro の最も優れた点の一つは、複数のウィンドウを表示する機能で、一度に幾つかのものを見ることができることである。一度に幾つかのサッカーの試合を見る、スタッツやゲームニュース等々を表示する余分なウィンドウを持つことが出来るのを想像した。それは同時に複数のことをする人間の夢のように聞こえた!
しかし、実際には、これはうまく行かない。これを徹底的にテストする機会はなかったが、同じソース(Apple TV+ の様な)のコンテンツは、一度に1つ以上のウィンドウを見させてくれない、そして1つのアクティブなビデオしか音声を持てないことが分かった。私はまた、2つの異なるストリーミングアプリを同時に走らせるのにも問題があった。また、Theater モードは一度に1つのものしか表示しない - Mac やその他の Vision Pro アプリも隠してしまう。我々のための仮想のビデオウォールはまだない。
Vision Pro が本当に輝く一つの使い方は、iPhone で撮影したパノラマ写真を見ることである。初めて、あなたの周り全部を等身大で見させてくれる。それは信じられない程である。
Vision Pro の中で Mac を使う
去年 Apple が Vision Pro をお披露目した際に、今すぐ注文しようと私に決断させたのは、Mac のディスプレイを巨大なスクリーンとして持ち込める機能だった。それはすごいことに聞こえた。つまり、Vision Pro が現実の仕事のためにも使えるということだ。Vision Pro を手にした今、それが本当に機能するのか、使うだけの価値があるのかを実際に使って試してみたい。
Vision Pro に関するあらゆる質問と同様に、その答は「おそらく」であった。まずがっかりしたのは、Vision Pro が Mac については 1 台のディスプレイにしか対応していないことだ。追加の仮想スクリーンを持ち込むことができない。なので、16 インチ MacBook Pro にいくつもの大きな仮想スクリーンを使わせたいという私の夢は壊れた。ひょっとするとそれは、M2 チップのビデオ能力における制約に関係するのかもしれない。M2 チップは、M2 Pro チップのように多くのディスプレイを駆動することができないからだ。将来のバージョンの visionOS または Vision Pro ハードウェアでは、Apple が複数個の仮想ディスプレイへの対応を追加できない理由はないように思える。
では、Vision Pro の中で Mac を使うのは実際にどんな感じだろうか? その答を簡単に言えば、素晴らしい。すべてが慣れ親しんだ通りに働き、画面共有を使うとうまく動作しない Spaces なども問題なく機能する。私は視力に問題があるので Mac のズーム機能を頻繁に使うけれども、Vision Pro 上でも完璧に働くのを見て嬉しく思った。visionOS もそれ独自のアクセシビリティ機能としてズーム機能を持つが、こちらは巨大な拡大鏡を表示してそれを動き回らせて使うもので、単純にトラックパッド上で二本指を使う方法、例えばファイルのアイコンを拡大・縮小して望みの写真のものか確かめる方法に比べて使い勝手が落ちる。
Mac を Vision Pro で共有するには macOS 14 Sonoma が必要で、私はまだメインの Mac を Sonoma にアップデートしていないので旅行用ラップトップ機である 13 インチ M1 MacBook Air を Vision Pro に持ち込むことにした。いずれにせよディスプレイが小さいこのマシンが仮想スクリーンの恩恵を最大限に受けると思われるので、私がこの機能のために使う Mac はこれだ。それに、このコンピュータを膝の上に置くのは簡単なので、内蔵キーボードとトラックパッドにフルにアクセスできる。
Vision Pro の中に表示されている間は Mac そのものの物理的スクリーンが真っ黒になることと、フル没入モードではキーボードが見えないことに注意したい。とても奇妙な感じだ。自分の手は見えるのに、その下にあるキーは全く見えない。ただ、透明モードに切り替えれば周囲の世界が見えるようになり、キーボードも問題なく見える。実際、キーボードを見ているとキーが光って見えるような気さえする! キーボードのバックライトが点灯しているのかとも思ったが、部屋はまだ暗くなかったのでバックライトが点灯するはずもなかった。どうやら、Vision Pro は私が自分の手を見ると手の周囲の領域を明るくするようだ。微妙だが、クールで役に立つ効果だ。
トラックパッドはとても素晴らしい。なぜなら、Mac をナビゲートするためと Vision Pro アプリをコントロールするための双方に使えるからだ。Mac のスクリーンの外へカーソルを動かせば、カーソルがその近くにある visionOS アプリへジャンプする。手を Mac のキーボード上に置いたままで、入力メソッドを切り替えることなく使い続けられるところが本当にありがたい。
私はデスクトップ Mac を持っていないが、デスクトップ Mac を Vision Pro で使うのはより複雑で、あまりうまく使えない可能性もあると思う。いくつもの装置を扱わなければならないからだ。薄い外付けキーボードは膝の上に置くとあまりうまく使えるとは思えないし、それとは別にトラックパッドを置く場所も確保しなければならない。もちろん、デスクトップ Mac が置いてあるいつものデスクの前に座って Vision Pro を使うことも可能だが、それではソファのようなリラックスできる場所で Vision Pro を使う際の利点のいくつかが失われる気がする。すべては、どこにいると快適なのかに依存する。
私の場合、毎日数時間使っている Mac は 16 インチ M1 Max MacBook Pro で、実際に使っている解像度は 1728 × 1117 だ。通常、私はこれをデスクに置かず膝の上で、内蔵のキーボードとトラックパッドで使っている。私の仕事はさまざまの異なるタイプの執筆やプログラミングのプロジェクトを含んでいるので、必要に応じて 5 つの Space の間で切り替えている。それぞれの Space は通常 1 個か 2 個の Safari ウィンドウを含んでいて、それぞれのウィンドウがそのタイプの仕事内容に関係する十数個のタブを開いている。
はるか昔、フルタイムでデスクトップ出版の仕事をしていた頃には一台のデスクトップ Mac で複数個の大きなスクリーンを使うのが大好きだったが、このやり方はその後もう十年以上使っていない。年月を経て、執筆仕事は増えたがグラフィックデザインの仕事は減るようになり、大スクリーンや複数スクリーンよりもラップトップの携帯可能性が私にとって重要になった。それでもなお、Vision Pro で大スクリーンを取り戻せるという考えには魅力を感じた。でも複数の Mac スクリーンを使えないのはがっかりだった。
Mac の仮想スクリーンを巨大なサイズに拡大するのは簡単に見えたが、結局あまり実用的でないと分かった。13 インチスクリーンに制約を感じているのでない限り、大サイズにしても必ずしも既存の Mac 画面より良いとは限らないし、仮想スクリーンを大きくし過ぎれば逆に不便になってしまう。巨大なスクリーンを遠くに置いても便利にならないし、近くに置き過ぎればウィンドウの中であちこち首を回して見なければならなくなる。ちょうど、映画館の最前列の席に座ってもあまり観やすくないようなものだ。
Vision Pro の中に表示される Mac のディスプレイの解像度を上げてより多くの面積 (Apple silicon 搭載の Mac ならば最大 2560 × 1440) を占めさせることもできるが、Mac のスクリーンが特に小さい場合以外はあまり意味がない。私の 13 インチ M1 MacBook Air で試してみたが、確かに動作はするけれども、使っていて苛立たしい。例えば、私の BBEdit ファイルはラップトップ画面で読みやすいフォントサイズに設定してあるが、Vision Pro の中で高解像度にすると文字が小さ過ぎて読めなくなる。もちろん BBEdit のテキストサイズを変えることも可能だが、その後で MacBook Air のみを使う状態に戻ると文字が巨大になってしまう。公平に言って、これは解像度が劇的に異なる複数のディスプレイを切り替えて使う人たち全員に影響する問題だ。
同じことが、ディスプレイ内に表示されるすべてのものに当てはまる。私が MacBook Air で作業をする際には、テキストファイルが全画面を占めるようにズームしてから、別の Space の中で Safari ウィンドウを開いて執筆内容に関係するタブをいくつか開かせる。こうすれば Control-左/右矢印を使って Space を素早く切り替えることができるので、双方を同時に見ることはできないものの、使い勝手はとても良い。理論的には、Vision Pro 上のより大きなディスプレイでテキストウィンドウと Safari ウィンドウを同時に開けるように調整することは可能だが、その後で小さなスクリーンのラップトップのみの作業に戻れば、どのウィンドウもおかしなサイズになって使い物にならなくなる。Vision Pro スクリーンの高い解像度が特に気に入っているのでない限り、ディスプレイは MacBook Air の内蔵スクリーンのデフォルト解像度のままにしておきたいと私は思う。そうすることで双方の環境を使いこなすのが簡単になるけれども、Vision Pro 内で大スクリーンを使う利点のいくつかが損なわれることになる。
Vision Pro 版の Safari を開いてそれを Mac の仮想スクリーンの隣に並べて置くこともできる。そうすることで両方を同時に見る (Safari で調べ物をしつつ Mac で文章を書く) ことはできる。けれども Vision Pro には Spaces という概念がないので、別々のプロジェクトをコンパートメント化して分ける方法がない。だから、私のさまざまの作業プロジェクトが同じ Safari ウィンドウの中で互いに入り混じることになる。そうなれば、仕事内容よりもウィンドウの管理により多くの時間を割く羽目になってしまう。
重要なのはこの状況が変わるかもしれないと知っているべきことで、変わることを願いたい。Apple はウィンドウ管理を拡張するはずだし、サードパーティからはネイティブなアプリがもっと出るだろう。でも現時点での状況を言えば、Vision Pro の中で Mac を使うのは Mac を単独で使うのに比べて本質的に良くなったとは言えない。
すこぶる有益に使える使用事例として私が聞いたことがあるものが一つだけあって、これは Marques Brownlee が触れた実例で、飛行機の中で作業をする場合だ。Mac のスクリーンは真っ黒になっているので、プライベートに作業を続けることができる。彼は飛行機の旅の最中にビデオの編集をするのが好きで、その種の作業のためには Vision Pro の大きなスクリーンが役に立つし、隣の人に見られることなく作業ができる。部外秘の資料で作業をするビジネスユーザーも、このプライバシーの側面があるだけで Vision Pro の価格に見合うと思うかもしれない。また、作業用個室やワークシェアオフィスなど半公共の環境で仕事をする人たちにとってもありがたいと思えるかもしれない。
もう一つの懸念は、Vision Pro が フォービエイテッド表示 を使うという事実だ。これは、画像の中心、つまり視線の先のところだけを高解像度でレンダリングすることで処理パワーを節約するもので、画像の周囲の部分はぼやけて表示される。さきほどのスクリーンショットでもこのことが見て取れた。
視野の周囲の部分にあるものがぼやけても、たいていは問題にならない。見ている部分が鮮明に見えれば十分だからだ。けれども大きなサイズの仮想 Mac スクリーン上で片方の端から反対の端へ (15-20 フィートつまり 4-6 メートルも) 素早く視線を動かせば、移った先にあるコンテンツに焦点が当たるまでの少しの間、ギザギザが残るのが見て取れるだろう。私にはあまり気にならなかったが、見ていてそれと分かったし、多くの人は私よりも周辺視野がよく見えるかもしれない。ネイティブな Vision Pro アプリで私はこの効果に気付けず、ミラーされた Mac のディスプレイのみで気付いた。Mac のスクリーン上のテキストは小さいので、ほんの少しのぼやけがはっきり見えるということもあるのかもしれない。
他の人たちからは Mac と visionOS アプリの間のコピーとペーストがうまく行ったという話が聞こえているけれども、私がやってみると首尾一貫して動作させることができなかった。visionOS の Photos で写真をコピーしても、それを Mac 上の電子メールにペーストできなかった。けれども、もともと Universal Clipboard は私のところでは予期不能な挙動をしていて、Mac と iPhone の間でさえまともに動作していなかった。Bluetooth をオフにしてからオンにし直すと一時的に信頼性が上がることもあった。このデュアル環境でうまく動作するかについてはこれまで Universal Clipboard がうまく使えていたか否かがもう一つの障壁となるのかもしれない。
他にも気になる問題点はいろいろある。例えば、Mac のトラックパッドを使って visionOS アプリをコントロールすることはできるけれども、Mac の“移動”バーとクロースボタン (ウィンドウの下に表示される) を Mac のトラックパッドでコントロールすることはできなかった。それらのコントロールにアクセスしたくても、Mac の矢印カーソルが退いてくれないからだ。なのでやむなく視線を使うしかなかったが、私には視線追跡機能による操作が難しいので、Mac のディスプレイのサイズを変えたり位置取りしたりするのがなかなか困難だった。独立のトラックパッドの方も、やはり Mac のウィンドウのコンテンツをコントロールしようとしウィンドウ自体をコントロールしてくれないので同じ問題に陥っていた。
Mac のキーボードを使って visionOS アプリにタイプするのは機能はしたが、それが機能するためには仮想のフローティングキーボードを表示させておくことが必要だった。奇妙だと思う。画面上のキーボードを閉じると、タイプしても全く反応しなくなった。でも画面上にキーボードを開いたままでは、タイプしようとしているウィンドウの一部が隠れてしまう。だからタイプすることは可能だけれども、タイプしたものが見えない。テキストメッセージをタイプしようとしてこの問題にあまりにもイライラさせられたので、結局 visionOS の Messages を使うことを諦めて Mac 上の Messages を使うようになった。
最後にもう一つ。時々 Vision Pro が Mac を認識しなくなり、双方のデバイスで Wi-Fi と Bluetooth のオフ/オン切り替えをして初めて接続が復活したことが何度かあった。
全体的に見て、Vision Pro の中で Mac を使う体験は意外にも良かった。とりわけバージョン 1.0 にしてはなかなか良いと思った。けれどもどう見ても完璧とは言えず、このようにして Mac を使うことの利点もあまり多くなかった。この状況は将来変わるかもしれないが、とにかく現時点でのこの機能は単なる利便性の段階にあって、まだまだ生産性を増すためのものとは言えない。
結論
こうして長い記事を書いてきたが、これではかろうじて Vision Pro の上っ面をかじっただけのものでしかない。この製品について語るべき魅力的な話題はまだまだたくさんある。扱えなかった話題の中からいくつかを挙げれば:
先鋭的なユーザーインターフェイス (別名“空間コンピューティング”)
非常に高度であると同時に全く高度でないところもある自己矛盾したハードウェア
ヘッドセットの孤立的側面と、他の人とはハードウェアの共有も体験の共有もできないこと
高過ぎる価格だが、同時にそれ相応のものを得ている面もある
不気味の谷にあるデジタル Personas 機能
度肝を抜かれる没入的な 3D 体験
現時点では幅広い使用事例が欠如、ただしニッチユーザーは多く存在する
フル機能の Mac を仮想環境の中へ持ち込めるというユニークな機能
開発者にとっては“ゴールドラッシュ”状態、Next Big Thing を発明するのは誰か
VR と AR が長期的に社会に及ぼす影響
これらの話題の多くについてそれぞれ丸ごと一つずつの記事が十分書けるだろうが、究極的に Vision Pro にとっては可能性こそすべてだ。これは信じられないような機能を秘めたユニークなデバイスだが、その可能性の多くはまだまだ時間をかけなければ実現されないだろうし、実現までに数世代のハードウェアの進化が必要かもしれない。
皆さんは今すぐ Vision Pro に賭けるつもりがあるだろうか? $4000 くらい簡単に出せるという人なら、手に入れても別に何の問題もないだろう。私自身はベガスへ行ってギャンブルしてみたような気持ちでいる。つまり、負けたら支払えないような賭けをしてはならない。ここでは、未来に対して賭けているのだ。未来の Vision Pro は、エンジニアリングし過ぎの大失敗に終わるかもしれないし、新たな時代の iPhone となるかもしれない。
今は見送る決断をしても何の問題もない。99.9% の人々に対しては、購入はせずに Vision Pro を Apple Store 店頭で試すだけにすることをお勧めしたい。ほとんどの人にとって、ハードウェアが改良され、価格が下がるまで待つ方が良い結果になるだろう。そのような状態がすぐに訪れるとは期待しない方が良い。Apple は高級ブランドなのだから。でも、2026 年頃になれば $2000 以下のバージョンが出るのは十分にあり得ると思う。
現時点で Vision Pro に価値があると思っているのは、開発者たち、好奇心の強い人たち、冒険好きの人たち、そして新しいテクノロジーを探求したがっている企業各社だ。私自身は、視力に問題があり、その上魅力的かつ生産的な使用事例をまだ見つけられていないにもかかわらず、購入することを決断した。携帯用ケースさえ注文した。これは Apple 製のものではなく、あの素晴らしい鞄専門店 Waterfield Designs が出している安価でコンパクトなケースだ。
ずっと私は 16 インチ MacBook Pro を M3 ベースのモデルに買い替えようと思っていたけれども、現有の M1 Max でさえ私の必要には十分以上なので、むしろもっとユニークでエキサイティングなものの方にお金を使ってもいいじゃないかと考えたのだ。子供の頃に夢見た空飛ぶ自動車はまだ手に入れられていないけれども、Vision Pro で空を飛ぶ没入的 3D シミュレーションが実現する方がずっと早いに違いない。うむ、それこそまさに、とびきり魅力的なアプリになるのではなかろうか!